24歳、

2

 なんだっけ、どっかで見たことあるぞ、というのが合コンのために訪れたダイニングバーの第一印象だった。

 個室に通されて早速メニュー表を広げる。もちろん男性陣の到着がまだだからできることだ。


「黒岩さん、早速メニュー見てるんですか?」


 今日の合コンに誘ってくれた後輩、峯田さんが私の行動を見てクスクスと笑った。


「だってお腹空いたんだもん」

「仕事忙しかったですしね。なんかチーズ料理のお店みたいですよ!」


 峯田さんのその言葉に思い出す。

 もしかして、3年前の私の誕生日に瑞樹くんが連れて来てくれようとしたお店か……!

 瑞樹くんとは結局今の今まで外食をしたことがない。なのに瑞樹くんオススメのお店で合コンか……と私はチリチリと小さな痛みを伴う罪悪感を覚えた。

 

「あ、もうすぐ着くって」


 幹事である峯田さんがスマホを確認して楽しげな声を上げた。恐らく男性陣の幹事からそのような連絡があったのだろう。

 ここにきていよいよ私は緊張してきた。だって合コンなんて4年近くしていない。しかも女性陣側にも知っている人は峯田さんだけ、というなんとも心細い状況であった。

 しかしそれもこれも私の性格が招いたことだ。ここは腹を括って美味しいご飯を食べることに専念しよう……!


「遅くなってすみません」


 個室に入ってくるなり、幹事であろう男性は頭を下げた。確か峯田さんの大学の同級生だと言っていた。

 なるほど、事前情報の通り、スポーツをしているだろうことがはっきりと分かる、がっしりとした体つきだった。そして、綺麗に切り揃えられた襟足が清潔感を醸し出していた。


「よろしくお願いします」


 となんともぎこちない挨拶と共に自己紹介が始まった。

 男性陣は峯田さんの友達、医療機器の営業をしているスポーツ爽やか男子、澤田さん。

 澤田さんの同僚、眼鏡男子の村上さん。

 澤田さんの友達、予備校講師の河島さん。

 そして河島さんの友達の、消防士の清水さん、だった。


 私は顔と名前を必死で覚える。フルネームで自己紹介してくれたが下の名前は遥か彼方へ消えていった。すみません……。


 お酒がほどよく回った頃、席替えをしよう、と言ったのは誰だったか。私の隣には予備校講師の河島さんが座った。

 自然と距離を詰めるのが上手いなぁ、と彼の軽快なトークを聞きながら思う。


「河島さんって、面白いですね。お話が上手なのかな……つい引き込まれちゃう。すごく楽しい」


 私がそう素直な感想を述べると、彼は照れを隠すように「人気講師なんで、トークには自信があります」と笑った。

 確か私より2歳下だと言った彼がずっと大人っぽく見える顔を、くしゃくしゃにして笑う姿は子犬のようで可愛い。

 鼻に皺を入れながら笑う人が好きなんだよなぁ、私……。ふと彼を通して思い出した人物の笑顔をかき消すように、私はぐいっとワインをあおった。

 

「黒岩さんって、お酒強いんですか?」

「どうでしょう……強くはないかもしれないですね。でも好きです」


 何か変なことを言っただろうか。きょとんとした河島さんは残っていたビールを一気に流し込むと、お尻をずらし私との距離を縮めた。



 今回の合コンはかなり成功の部類に入るだろう。だってみんな割とベロベロに酔ってる。楽しい話と美味しい料理がお酒をすすめたようだ。

 そろそろ退店しないと……と時間を気にしながら峯田さんにアイコンタクトを送った。分かってるのか分かっていないのか、彼女は頭を縦に大きく揺らす。

 それは了解ってことでいいのね?とりあえずお手洗いに行って帰ってきてもまだこの状態なら、私が言い出そう。


 立った瞬間に気づいた。私も結構酔ってるかも……。少しふらついた足元を立て直そうとすると、河島さんが咄嗟に支えてくれた。


「あ、ありがと」

「大丈夫?結構酔ってるね、お手洗いついて行こうか?」

「大丈夫だよ。子供じゃないんだから」


 私の肩に触れたままになっている河島さんの手を解き、私は歩き出した。


 お手洗いの鏡に映った顔を見る。上気したように赤くなった頬と潤んだ瞳が目に入り、今一度自分を叱咤した。

 こんな風に酔ってる場合じゃないでしょ……!早く帰ろう。帰って瑞樹くんに会いたい。

 手を洗った冷たい水と自分の顔のお陰で少し酔いが覚めたようだ。


 お手洗いから通路に続く扉を開けて、目に入った人物にぎょっとする。


「……待ち伏せ?」


 しゃがみ込んでいた河島さんが私の声に反応して顔を上げる。


「そう、待ち伏せ。……気分悪い……」

「え!大丈夫ですか?とりあえずここは邪魔になりそうなんで、立ちましょ?」


 本気かそうではないかの判断がつかない軽口は無視して、私は河島さんの腕を掴んで立たせようとした。

 その瞬間だ。河島さんの手が私の腕を引く。必然的に近づいた距離に、やばい、と咄嗟に顔を横に逸らした。先程までお酒で惚けた顔をしていた河島さんが、私を下から覗き込むようにして見ている。

 キス、される……。


「ちょっと、やめてください」


 拒否の言葉と共に腕を押し戻すがビクともしない。


「なんで?すごい物欲しそうな顔してるよ」


 はぁ?誰が!?その言葉にイラついて河島の足を思いっきり踏んでやろうとした時だった。


「なにしてんの」


 頭上から降ってきた声の持ち主が、河島さんを力ずくで私から引き剥がした。


「いってぇ……。なにすんだ、よ……」


 河島は自分を押した男に食ってかかったが、目に入った男の圧に押され語尾を弱めた。


「それはこっちの台詞なんだけど。俺の姉さんになに無理矢理迫ってんの?」

「…へ?は?姉さん?え、弟!?なんで!?」


 それは私の方が聞きたいと思った。なんでここに透がいるんだろう。




 そそくさと退散した河島を見送り、透を見上げると、そこには軽蔑を多分に含んだ眼差しがあった。ヒュッと息を飲む。酔いは完璧に覚めていた。


「はぁ……なにしてんの、ほんと。瑞樹は?」


 呆れている。深いため息に責め立てられた心地になって、さらに肩身を狭くした。


「瑞樹くんは家……かな?」


 軽率に愛想笑いをすることもできないほど張り詰めた空気が流れている。


「とりあえず、荷物持ってきたら?俺、友達何人かと来てるから挨拶してくるわ。出入り口で待ってて」

「え……?」


 それは家まで送り届けてあげると言っているように聞こえる。


「いや、悪いからいいよ。一人で帰れる……」


 そう言った私に対して向けられた透の目は、一層険しく厳しいものになった。


「酔って、迫られて、あんな醜態晒してた人に断る権限があるとでも?」

「……ごもっともです……」


 ぐうの音も出ないとはまさにこの事だな、と私は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。


 先ほどまで楽しく飲んでいた部屋に戻り、峯田さんに「気分悪くなってきたから帰るね」と耳打ちをする。「大丈夫ですか?」という心配そうな顔に笑みを返し、これだけあればお釣りがくるだろう程のお金を峯田さんに預けた。

 全員に向かって、「ありがとうございました」と挨拶をし部屋を出る。河島の顔は最後まで見なかった。あちらも消し去りたい思い出になったことだろう。


 透に指定された場所で待ちながら、瑞樹くんに連絡を入れた方がいいか、という考えに至る。メッセージアプリを開き"今から帰るね"と打った。

 透に送ってもらうことは打たずに、帰ってから直接伝えようと思った。そこまでに至る経緯を上手く誤魔化しながら文章に落とし込めるほど頭が冴えていなかった。

 送ったメッセージに既読マークがついた途端、「お待たせ」という声と共に透が現れた。透はタクシーを手配してくれたようで、道路に出てすぐに乗り込む。なんだか大人になったなぁ、となんとも言えない気持ちを抱いたまま窓の外を見ている透の後頭部を見つめた。


「で、合コンでもしてた?」


 透はこちらを見ずに言葉を投げかけた。


「まぁ……そうです。もちろん瑞樹くんにはきちんと言ってるから!断れなくて……」


 言いながら自分自身が情けなくなってきた。


「相変わらずだね」


 もう完全に嫌われてるなぁ、ということが言動から伝わってきて、苦しい。奥歯を噛み締めてこぼれ落ちそうになる涙をぐっと堪えた。

 怪我の功名というのだろうか。無理矢理キスされそうになったと言えば、峯田さんからの合コンの誘いはなくなるだろう。そんなことを手に入れるために私は何を失ったのだろう。

 誰を傷つけたのだろう。




「ここで」


 マンションまであと少しというところで透はタクシーを止めた。スムーズにお会計を済ませて私を降ろす。透が続いて降りてきたことに私は驚き、目を丸くした。


「お酒、少し抜いた方がいいよ」


 そのまますぐそこにあったコンビニで水を買った透が私にそれを手渡した。

 酔いは完全に覚めてるよ、と思ったが側から見ればそうでもないのだろう。「ありがとう」と素直にそれを受け止り、喉に流し込んだ。


「……透が急に現れてビックリしちゃった」


 気まずさを追い払うように、軽く笑いながら言うと「俺の方が驚いたよ」と笑う。

 たしかに、なんか揉めてるなぁと横目で見た人物が姉だなんて、そうそうないだろう。


「あのお店、よく行くの?」

「ん?あぁ、瑞樹に教えてもらってから、まぁたまに」


 あぁ、瑞樹くんに。私は透が居たことにようやく納得をした。


「そっか……ほんとにありがとう」


 私の言葉に透は反応しなかった。また水の入ったペットボトルに口をつける。ぐびり。


「ねぇ。私のこと嫌な奴だなって思った?……嫌いになった?」


 ふっ、と鼻で笑う音がした。


「あなたって本当にどうしようもない人だね」


 透が顔を歪める。今にも泣き出しそうな顔。コンビニの明かりに照らされ儚げに揺れる瞳がよく見えた。


「俺が、……俺が、姉さんのことを嫌いになれると本気で思ってるの?」


 あ、泣く。


「水、こぼれそうだよ」


 傾いたペットボトルを指差し、透は笑った。透は泣かなかった。

 透が握っていたキャップを私に差し出す。

 僅かに触れた指先が名残惜しむように私の手のひらに痺れを残した。


「あーぁ」


 透が困ったように眉を下げる。


「触れたらもう最後だと思ってたのに」


 触れたら最後、もう一度求めてしまう。


 触れたら最後、もう後戻りはできない。




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