22歳、
5
熱に浮かされた頭じゃ、考えられることなんてたかが知れている。
ライブ終わり、ぼうとして、反応が鈍い私を見た峯田さんは「わかります。感極まると放心しちゃいますよね」と好意的に捉えてくれた。
そのまま晩ご飯に誘ってくれた峯田さんに断りを入れて、私は家路に着いた。なんだか今日は一人で思い出に浸りたかったのだ。
ご飯を食べる気にもなれなくて、冷蔵庫にあったチョコレートを一粒口に放り込んでお風呂に入った。
「ここではないどこかへ」
持ち込んだスマホのネット検索欄に打ち込むと、歌詞全文と曲の情報が表示された。悩みながらも生き方を模索する大学生にスポットライトを当てた群像劇ドラマのタイアップ曲のようで、明るいけれどどこかノスタルジックを感じるメロディラインがぴったりだと思った。
"僕の手をつかんで"
"怖いことなど一つもない"
"共にゆこう"
"君さえいればそれでいい"
"君は僕の運命"
"君が僕の光"
"僕は君だよ"
羅列された文字を追う。スマホ画面を無意識に親指が撫でる。これはきっとラブレターだ。気を抜けばそう感じてしまう浅ましい心を咎める。
三歩進んで二歩下がっているわけではない。私は一歩進んで二歩下がっている状態だ。それでも一歩あるけたことを褒めてあげようか……。
瑞樹くんはきっと「しょうがない人」だと言いながら褒めてくれるだろうな。私は自嘲の笑みを浮かべて涙を流した。
悲しいことなどない。なにもないのだ。
▼
どうしても会いたいと思った。ライブ終わりで気分が高揚していたこともあっただろう。しかも今日は東京公演の最終日で、明日はオフだ。それに何より、3日前に渡せなかった誕生日プレゼントを渡したかった。
渡せなかったのは香澄さんが酔ってしまったせいだけど。
「瑞樹も俺んち来るだろ?」
「ごめん。予定があって!じゃあ、また!」
智宏くんと透くんは仁くんの部屋で出前をとるみたいだった。俺は断りを入れて足早にお願いしていた送迎車に乗り込む。
約束なんてしていないけれど、今日はそれでも会える予感があった。
早く会いたい。顔を見てしまえば勢い余って抱き締めてしまうかもしれない、と自分の理性に自信が持てない。
「もしもし、香澄さん?あ、ごめん。お風呂だった?……いや、会いたいと思って。……それが、なんなら今向かってる」
香澄さんが電話越しに「疲れてない?」と心配そうな声を出した。
「大丈夫。いや、疲れてるんだけど、会いたい」
そう発した自分の声の甘さに驚いた。心底愛していると、声音すら伝えている。
「待ってる」
はっきりと言い切った香澄さんの声にも愛が含まれていればいいのに。
▼
いつもよりもインターホンを押す手が緊張している。鞄の中に入れた誕生日プレゼントを外から触って覚悟を決めた。俺が香澄さんを幸せにする。
「お疲れ様。ライブかっこよかった」
「ありがとー。けど、香澄さんがどこにいるかわからなかった」
「わかるわけないじゃん」
ケラケラと可笑しそうに笑う香澄さんにつられて俺も笑う。2人で笑い合う、それは俺の宝物のような時間だった。
「お酒あるけど、どうするー?」
コップに水を入れながら香澄さんが聞いてくる。
「や、今日はいいや。香澄さんもお酒なしね。この前めっちゃ酔ってたから」
「その節はご迷惑をおかけしました」
ばつが悪そうに眉を下げた香澄さんは俺に水の入ったコップを差し出した。
「ありがと」
緊張を忘れようと、水を一気に流し込んだ。それを見た香澄さんが「そんなに喉渇いてたの?」と水の入ったペットボトルを俺の前に置いた。
「おかわりいる?」
「いらない。大丈夫」
「……どうしたの?今日なんか変だよ」
俺を見つめる香澄さんの瞳が不安げに揺れる。
俺の気持ちは2度伝えているが、そのどちらも明確な答えを受け取ることを俺が拒否した。
拒絶されることが恐ろしいのだ。曖昧にしていればそばにいられる。それだけでいいじゃないかと思う心と、どうしてもこの人の特別になりたいと願う心が複雑に絡み合っていた。
自分はもっと自信満々でどんなことも恐れないと思っていた。だけどそれはとんだ思い違いだ。だってプレゼント一つ渡すことがこんなに怖い。この人を失うことがこんなに恐ろしいのだ。
「実はさ、この前渡せなかった誕生日プレゼントを持ってきたんだ」
「え……うそ、嬉しい!!」
香澄さんは花が咲くように笑った。
▼
「似合うと思って」と瑞樹くんが差し出してきたものは誰もが知っている有名ブランドのショップ袋だった。
丁寧にラッピングされた白色の包装紙の上に真っ赤なシーリングスタンプ。その赤をそっとなぞる。ゆっくり開けると真っ赤なジュエリーケースが私の目を奪う。
「瑞樹くん、わたし……」
思わず瑞樹くんを見ると、緊張した面持ちでこちらを見ていた。その表情に「こんな高価なもの受け取れないよ」それは言ってはいけない言葉だと感じた。
言葉を紡がぬままジュエリーケースを開けると、そこには華奢なホワイトゴールドのチェーンの先に一粒のダイヤモンドがあしらわれたシンプルなネックレスがあった。
「みずきくん……」
弾かれたように彼の顔を見て縋るように名前を呼んだ。
私を見て微笑む瑞樹くんの表情は先程よりも幾分か柔らかくなっている。
「つけてもいい?」
そう言った瑞樹くんの声も縋るように震えている。考えるより早く頷いた私は、もしかして間違った選択をしてしまっただろうか。
髪を横に流した私の後ろに回った瑞樹くんの手が震えている。いつもは生意気で、怖いもの知らずだと思うほど肝が据わっているのに。たかだかネックレス一つつける行為に戸惑っている彼からの愛情を痛いほど感じた。
「できた。こっち向いて」
瑞樹くんの声は私を甘やかす。全てを許してくれそうなその声に狡い私は逆らわない。
「すげぇ似合ってる」
どうして瑞樹くんが泣きそうなの?ふと、彼の涙も甘いのだろうかと場違いな疑問が頭をよぎった。
「ありがとう。大切にするね」
「うん……。ねぇ、香澄さん。俺があなたを幸せにするよ」
澄んだ、迷いのない声だった。
「そのかわり、俺のことも幸せにしてよ。俺は香澄さんがそばにいてくれたらそれだけで幸せだから」
私の手の中は空っぽだ。今日、あの場所で空っぽにしたのは瑞樹くんからの愛情を受け取るためだった。
なのにどうして、すんなり受け入れる言葉が出てこないのだろう。
透、あの曲の歌詞は私宛のラブレターなのでしょう?
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