22歳、

4

 ただただ、すごい、という感想しか出てこなかった。


「これってグッズを買うための列だよね?」


 開演の6時間以上前だというのに前後にずらりと並んだ人達に目を白黒させた。峯田さんから事前に聞いていたとはいえ、予想以上の大行例にただ息を飲んだ。


「深夜から並ぶの禁止になったんで、まだマシな方ですよ」


 こともなげに言い切った峯田さんにたじたじになる。


「とりあえずペンライトを買っておけばいいんだよね?」

「そうです!あとはやっぱりうちわが定番ですね」


 楽しそうに笑う峯田さんは、マスタードイエローのタートルネックに合わせたカーキのチェックスカートをふわりと揺らした。

 峯田さんの推しメンバーである智宏くんカラーと、ファンの呼称に使われている緑を上手に組み合わせたおしゃれコーデだ。

 どうやら推しカラーと緑を合わせることがライブ参戦コーデの鉄板らしかった。その証拠にあちこちで緑が揺れている。

 私は昨日職場で聞いた押しカラーを思い返した。

 智宏くんは黄色。仁くんは青。瑞樹くんは赤。そして、透は黒。なんてことはない。みんな苗字に使われている色をそのまま当て嵌めただけだ。



▼▲

 「推しメンがいなかったら、とりあえず緑をどっかに入れておけばいいので!」そう言った峯田さんに従い、私はクローゼットの服を引っ張りだした。

 瑞樹くんの顔を浮かべ赤色の服を探すが私のクローゼットに溢れているのは、黒ばかりだ。たまに、グレー、ブラウン、そして白。ボトムはカラー物もあるが、トップスはもっぱらベーシックカラーを好んで着ていた。その弊害がこんなところで起こるとは……。

 カーキのパンツを引っ張りだし、トップスはクルーネックのシンプルな白のニットを選んだ。お気に入りの肩から肘までフリルが施された繊細なデザインのニットは色で弾いた。黒だけは絶対に着れない。

▲▼



 グッズを買うことがこんなに大変だったとは……。すでによろよろになりながらも、開場時間になったのでライブ会場に入る。


 開演時間が近づくにつれて会場全体の空気が変わっていくのを感じる。会える。もうすぐで会える。私はその思いを心の底のもっと深くへと埋めた。

 ポケットに入れた真っ赤なパッケージのルージュを握る。私の部屋にあった唯一の赤がこれだった。瑞樹くん、私を攫ってほしい。それだけを願いながら開演を待った。


 開演と同時にステージに向かって四方から火花の柱が爆発音と共に勢いよく上がった。そこに飛び出してきたのは真っ白な衣装を身に纏った彼らだった。

 思ったよりも冷静でいられたのは、周りから聞こえる悲鳴にも似た歓声に当てられたからかもしれない。私はただそこに突っ立ったまま、アイドルの黒岩透を見ていた。

 チカチカとペンライトの光が揺れる。赤、緑、青、黄色、そして白。


「透くんのメンバーカラーの黒はペンライトでは点けられないので、白で!ソロのときは白にしてくださいね」


 開演前に聞いた峯田さんの声が響く。

 一切の汚れのない色。純粋でなんにでもなれる白。その白を汚してしまったのは私だ。あの日口づけなどせずにはぐらかしていれば、私たちは今も隣で笑っていられた。

 一度黒になってしまった私の心が再び何色かに染まることはあるのだろうか。

 ぎゅっとルージュを握りしめた。




 激しく踊りながら、ペロリと下唇を舐めた透がバックスクリーンに映し出されると、女の子の黄色い歓声があがった。

 あれだけ、やめなよ、と注意していた癖も彼を魅力的にみせているのだから笑ってしまう。

 想像していたよりもずっと冷静に見れている自分に、私が一番驚いていた。だって、私はアイドル黒岩透を知らない。あそこで妖艶に微笑む彼はもう私の知っている透ではなかった。

 

 センターで踊る瑞樹くんから感じる覚悟に圧倒される。まだ21歳の彼は私よりも随分と大人だ。

 しかし透とは対照的に、瑞樹くんはどこまでいっても私の知っている瑞樹くんだった。

 この3年、私を支えてくれていたのは瑞樹くんだったのだ、と改めて悟った。

 私は点けていなかったペンライトを赤色に変えた。もうルージュは握らなくても平気だ。

 だって私は手の中を空っぽにして、彼からの愛を受け止めたいのだ。




 3時間にも及ぶライブはアンコールを残すのみになっていた。会場を「アンコール」の声が包む。その声に押されるように出てきたメンバーたちに一際大きな歓声が巻き起こった。メンバーたちが順に感謝の言葉を述べていく。


「今日は本当にありがとう。俺の幸せはここにあるよ」


 最後にそう言った透は花が咲いたように笑った。大丈夫だ。透が幸せだと言っている。それ以上に私が望むことなんてあるのだろうか。執着塗れの醜かった恋心も白を足せば少しは救われるかもしれない。

 ここに捨てていこう。もう誰にも触れられないように。私も触れないように。

 幸せになって。ここで。他のどこでもない、この現実で。


「アンコールは絶対にこれって決めてた。俺が初めて作詞をして、この前発売されたばかりの曲」


 透の声に被さって前奏が流れだす。明るく、爽やかで、この世の光を集めたようなメロディラインだ。


「ここではないどこかへ」


 そう言った透の顔は私の愛した彼そのものだった。


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