22歳、proof of love for you

1

 どうやらカバンの中身が見えたらしい。後輩の峯田さんが嬉しそうに目を輝かせた。


「黒岩さんもミドリちゃんなんですか?」

「え、みどりちゃん?」

「違いました?blendsのライブグッズ持ってたからてっきりファンなのかなー?って思ったんですけど」


 グッズ……思い当たるのはつい先日会ったときに瑞樹くんに渡されたティッシュケースだった。


「あぁ、これ……これは人にもらったやつで」

「そうなんですね……ミドリちゃんだったらメンバーの話たくさんできると思ったんですよぉ!」


 峯田さんは残念そうな顔をしてメイク直しの続きを始めた。


「そのみどりちゃんて誰なの?」

「誰っていうか、blendsのファンの呼称です!知りません?3番目にリリースした"green"っていうヒット曲!」

「ごめん……私疎くてわからない」

「いえいえ。まぁ、その曲名とメンバーの名前に色が入ってること、あとはグループ名の"融合する"ってことと合わさって、ミドリちゃんになったんです!」


嬉々として語る峯田さんの圧に押されて、タジタジになりながら私は「へぇ」とだけ辛うじて返した。

 あの日、透と決別をしてから3年と少し、私はblendsに関すること、正確には透を遠ざけていた。


「ちょっと、布教してもいいですか?」


 私の返事も聞かず、峯田さんはスマホを取り出しカメラロールにずらりと並んだ写真を真剣に吟味し出した。


「これ、この方が私の推しの浅黄智宏くんです」


 そこに映っていたのは懐かしい笑顔の智宏くんだった。ほっと胸を撫で下ろし、「へぇ。かわいいね。どんなとこが好きなの?」とブラシにパウダーを含ませながら聞いた。


「ちょっと、一言では表せられないんですけど……!」

「長くなってもいいよ」


 微笑ましいと思った。好きな人を語る女の子のなんと可愛いことか。


「まず、まずはこのふにゃふにゃの笑顔です。元々優しい顔をしてるんですけど、笑うと目がなくなってさらに優しい顔になるんですよー。ほんとに浄化されます!」

「うんうん。次は?」


 心の中で、わかるよ、と相槌を打ちながら続きを促す。


「こんなにふにゃふにゃなのに、ダンスがパワフルでセクシーなんです。メンバーの中で一番華があるダンスをしますね。所謂ギャップ萌えってやつです!ギャップといえば、作詞作曲もしてて才能が爆発してるんですよー。そんな才能に溢れてるのに、バラエティではあざとさも見せてくるんです!え、なんなの?天使なの?私の心を殺しにきてるの?つまり、お母さん産んでくれてありがとうってことなんです!」


 捲し立てるように智宏くんの魅力を話した峯田さんは息を整えながら、「まだまだありますけど……」と得意げに笑った。

 

「充分に伝わりました」

「そうですか?じゃあ、次にメンバー紹介を……」


 言いながら峯田さんはスワイプをした。


「この人がリーダーの仁くんです。彼はどこかの国の王子です。で、次にこの子が最年少の瑞樹くん。彼は言う事なしの器用イケメンです。そして最後が……」

「待って、もう休憩終わっちゃうからいかないと」


 私の静止に「あと一人ですよー?」と悔しそうに峯田さんはスマホを休憩バッグにしまった。

 エレベーターを待っている間、こそこそと峯田さんが話しだす。エレベーターを待つスペースは狭く、他の人との距離が近い為、それは彼女の配慮だった。


「あと一人は透くんっていって、儚げな美少年です。この子が黒岩さんと同じ苗字なんですよ!職場で黒岩さんにお会いしたときドキドキしちゃいましたー!」


 あははと自虐気味に笑う峯田さんを見ながら私は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。




 一人暮らしの部屋は11月の外気温を差し引いても寒かった。もうすぐ誕生日だというのに今年も私は一人だ。

 失恋には時間薬。昔からよく言われるその言葉はどうやら私には適応外のようだった。

 26歳にもなれば友達の結婚話をチラホラと聞き始める。合コンにも行った。友達からの紹介も受けた。会社は女性が多いけれど、配属先の百貨店には男性も大勢いた。出会いは多くなかったけれど、ゼロだったわけではない。

 ありがたいことに私に好意を示してくれる人もいた。それなのに心が一ミリも動かないのだ。

 友達は「とりあえず付き合うだけでも付き合ってみなよ」とアドバイスをくれた。だけども、デートの準備をしている段階で億劫で億劫で仕方なくなるのだ。それを感じてしまえば相手との先を想像できないのも当然のことだった。


 唯一連絡をとっている異性は瑞樹くんだけ。あの日、自分の言葉で私の背中を押した自覚のある瑞樹くんは、私がマンションを引っ越してからも随分と気にかけてくれた。

 当初は恋愛的な意味で連絡をくれていたのだろうが、いつ頃からかそれは友情に変わっていったように思う。その証拠に今では、部屋で二人っきりになっても色っぽい雰囲気は微塵も横たわらなかった。それどころか瑞樹くんは私を好きだった頃を「あれは黒歴史だ」と言い切ったのだ。

 ただ私には気持ちを乱すことなく付き合っていける瑞樹くんとの関係が心地良かった。


  晩ごはんをどうしようかと考えていると、インターホンが鳴る。そういえば今日は水曜日だった。水曜日は彼の仕事が余程遅くならない限り、必ず私の家へと訪ねて来るのが恒例になっていた。

 一応誰か確認してからね、と心の中で呟いて確かめたパネルには、案の定の人物が映っていた。


「お疲れ様」

「おつかれ。仕事早く終わってよかった」


 そう言ってふらっと現れたのは先程まで考えていた人物、赤葦瑞樹、その人だった。


「酒も買ってきた」


 靴を脱ぎながらコンビニ袋を私に差し出す。


「ありがと。明日は仕事遅いの?」

「まあまあ早い」

「えー?飲んでいいの?」


 冷蔵庫に酒缶をしまいながら笑うと、瑞樹くんは「いいの!」と強く返事をした。早く大人になりたいと願っていた彼は幼さを感じる純粋そうな見た目はそのままに、しかし確実に色気を備えつつあった。



「お疲れ様、かんぱい!」


 冷蔵庫で冷やされたビールが身体を巡る。瑞樹くんだけが変わったと思ったが、出会った頃のカクテルしか飲めなかった私ももういない。今ではビールもワインも日本酒も飲めるようになった。


「おいしい!けど、ビールはやっぱり夏の方がおいしね」

「はい、文句言うなら飲まなくてよろしい」

「わぁ、ごめんてばー!」


 他人から見れば理解されないことで笑い合う瞬間が楽しい。瑞樹くんの前では素直な私でいられた。


「そういえば、後輩の子がみどりちゃん?なんだって」

「へぇ。誰のファンだって?」

「智宏くん」

「なんだそれ!絶対俺が一番じゃん!」

「たぶんね、そういうのが透けて見えない謙虚さがいいんだよ、智宏くんは」


 私の言葉に、面白くない、と瑞樹くんが顔を歪ませた。もう数え切れないほど会っている瑞樹くんだが、彼の方からblendsの話を持ち出すことは一切なかった。それは不自然なほど。

 もちろん私も好き好んで話す内容ではなかった。だからこうして直接的な話をするのはあの日から初めてのことだった。

 もう3年以上経っている。透の名前は出せないにしても、少しずつ、本当に少しずつだけど前に進めるような気がした。


「ありがとね、今まで私に付き合ってくれて。もう大丈夫な気がする」

「はぁー?俺が今まで香澄さんの為だけに一緒にいたってこと?自意識過剰すぎ」


 瑞樹くんの辛辣な物言いは相変わらずなのだ。漏れ出たのは苦笑いではなく、感謝の笑みだった。


「んだよ。一緒に居て楽しいって思ってる。だから今も一緒に居る。それって俺だけなの?」

「ううん。私も瑞樹くんと一緒にいると楽しいよ。それに瑞樹くんといる自分のことも好きなの」


 いつ頃からかなくなった色気を含んだ雰囲気が2人の間に横たわり始めた。もしかして、彼は今まで押し殺してくれていたのだろうか。あの「駆け引きが苦手なんだ!」と言い切った瑞樹くんが?


「すげぇ殺し文句」


 瑞樹くんが微笑む。彼は好きな人にはこんな風に笑いかけるのだなぁ、とどこか他人事の様に感じた。


「俺、今すごいダサい感じになってる……。好きって伝えるのって怖いんだね」

「だって、愛することは責め苦を受けるのと同じなんでしょう?」

「……ふふっ……。そうだった、そうだった」


 過去を思い返しながら笑った目を私に向けて一呼吸。


「やっぱすごい好きなんですよね」


 瑞樹くんはあの頃よりも丁寧に言葉を紡いだ。まん丸な大きい瞳がゆらゆらと揺れている。


「いい、返事はいい!ダサすぎるけど、自信がないから!だけど聞かなかったことにはしないで。きちんと受け止めて。その上で今まで通り一緒に居て」

「……わかった」

「俺、めっちゃかっこ悪いし、ずるいね」

「ずるいのは私だよ」


 だって今返事をしなくていいと言われたことに安心したから。瑞樹くんを失ってしまえば私は本当に一人になってしまう。私の心が壊れてしまわないように、瑞樹くんを利用しているのだ。


 私は罰を与えられるとわかっていてもきっと同じ過ちを犯すだろう。

 人に必要とされることは麻薬だ。狂おしいほどに求められることは甘美だ。罪は恐ろしく甘いのだ。

 心のどこかで、いや、もしかしたら中心かもしれない。私は瑞樹くんを通して、その向こう側にいる透を見ている。

 切っても切れない血縁というものを手に入れておきながら、それでも繋がりを少しでも太くしたくて、私は瑞樹くんを利用しているのだ。


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