18歳、

9

 誰からの着信かがなんとなくわかった。私はスマホ画面が透に見えないように、少し離れた場所で確認をする。

 やっぱり……。画面には昨日連絡先を交換したばかりの名前が表示されていた。

 やましいと感じていたからだろう。私は声が漏れ聞こえないように玄関の扉を開けて、廊下に出る。「はい」と発した声は思ったよりも緊張の色を含んでいた。


「香澄さん、今大丈夫だった?」


 電話越しに聞く瑞樹くんの声はいつもより低く感じる。


「うん。ちょうど帰ってきたところで、今透と少し話してた」

「大丈夫そうだった?透くん」

「瑞樹くんが連絡くれた通り。疲れてるね」

「んー、そのことでちょっと話したいことがあるんだけど、今から会えない?」


 今から……体調の悪い透を一人残して?「それは無理だよ」という私の言葉は瑞樹くんの次の言葉に遮られた。


「お願い。透が取り返しのつかないことになる前に」


 今まで聞いた瑞樹くんのどの声よりも切実なものだった。


「……透に言ってからなら」

「わかった。待ってる。香澄さんが来てくれるまで、ずっと待ってる。家のチャイムを鳴らして」


 ざわりと心が揺れる。「待って、やっぱり行けない」の言葉を今度は不通音が遮った。



 透の部屋を開ける前に深く息を吸った。気持ちは透だけを向いていて、やましいことなど一つもないはずなのに。じとりとした嫌な汗が背中を伝った。

 あれからもう一度電話をしても、メッセージを送っても瑞樹くんは反応しなかった。きっと私が彼を訪ねるまでそれを続けるつもりだろう。


「とおる」


 そっと扉を開けると、透は再び眠っていた。ほっと胸を撫で下ろす。聞こえるはずもないが一応、と「少し出かけてくるね」と告げて、仕事帰りに買ったスポーツ飲料とゼリーを枕元に置いて部屋を後にした。




 がちゃりと音を立てて玄関が開く。自宅と同じはずの扉の音がやけに重く響いた。


「はやかったね」

「透、寝てたから……」

「そう。入って」


 微笑みながら招き入れられた家の中は瑞樹くんの香りがする。その瞬間ぶわりと肌が粟立つ。恐ろしいのは、幼さを一切含まない瑞樹くんの微笑みなのだろうか。ドキドキと拍動する胸を抑える。これじゃあまるで期待に高鳴っているみたいだ。


「おじゃまします」

「そんなに緊張しなくても!なにも取って食おうだなんて思ってませんから」


 いつもの無邪気な笑顔はどこへいったのか?裏表がないとはなんだったのか?その純粋な光を帯びた黒々とした瞳の奥に、たしかな欲望を感じるのだ。


「部屋には上がらないから、玄関で話してほしい」


 きっぱりと言い切った私を見て、瑞樹くんが「俺ってそんなに信用ない?」と唇を尖らせて不満を訴えてきた。


「信用ないとかじゃなくて……付き合ってない人の家には上がれないの」

「なにそれ、ますます好きなんだけど!!」

「えっ!?やっぱり私のこと好きなの!?」


 突然投げ込まれた爆弾に大きく反応すれば、瑞樹くんは大きな口で笑い出した。今までのピンと張り詰めた空気が嘘かのように明るいものになる。


「昨日ので伝わってなかったの?」

「直接的な言葉はなかったし……どうかな……って」


 尻すぼみになっていく私を見て、瑞樹くんは愛おしげに目を細めた。大きな瞳が細まっていく様はなんとも可愛らしく年相応に見えた。そして目尻に寄る皺を確かに愛しいと思ったのだ。


「じゃあ、改めて、好きです」


 真剣な眼差しは痛いほどだった。返事ができない私を見て瑞樹くんはまた破顔する。


「わかりきってるから返事はいらない。でも近々俺のこと好きになるよ、絶対」


 キラキラとした自信が見えて、それが眩しくて、くらりと目眩を覚える。彼はもう納得したのだろう。そんな私には構わず、透のことを話しだした。


「香澄さんて、透の好きな人か付き合ってる人って知ってる?」


 そう言った瑞樹くんの視線が探るようだと感じたのは、後ろめたい心当たりがあるからだろうか。


「え、どうだろ……わからないな」


 スッと視線を逸らしてしまったのは悪手だ。だけど、瑞樹くんに全てを見透かされてしまいそうで、見ることはできなかった。


「だよね。俺個人の意見なんだけど、透くんの今日の早退はその人に関係してると思う」

「……、そうなの?どうして?」


 喉がカラカラに乾いている。息を吸うのすら憚られるほどの緊張感だ。


「えー、勘だよ、勘。男の勘も当たるんだよ」


 緊張しているのは私だけなのかもしれないと思ってしまうほどに、瑞樹くんは飄々としている。


「もし仮にそうだとしても、私が透にできることなんてなにもないよ。……それに瑞樹くんは透にどうしてほしいの?」

「あ、俺?俺はね、離れてほしい。何もかも手につかなくなる恋なんて異常だよ。早く解放してあげた方がお互いのためになると思うけどね」


 ニコリ。お手本のような笑みを浮かべた瑞樹くんの言葉が私の胸を深く抉った。

 どこまで知っているのだろう。そもそも知っているのだろうか?バレないように。バレないように。……いつまで?

 瑞樹くんは赦してくれるだろうか。私の真っ黒な恋心を。縋ってしまえばこの地獄から引き上げてくれるんじゃないか……そんな私の卑怯な心を見透かすように瑞樹くんは柔和な視線を逸らさない。


「ふっ……香澄さんと透くんってやっぱり本当のきょうだいなんだね。なんでそんなに顔にでるの。それじゃあ、透の好きな人は私ですって言ってるようなもんだよ」


 罪が明るみに出た罪人はまず安堵するのだろうか。心底安心したように微笑む私を見て瑞樹くんは驚きに目を見開いた。


「あなたって本当に……狡い人だね」


 貶されているはずの言葉が愛の言葉に聞こえるなんて、私はきっとどうかしてる。


「とりあえず物理的に距離を置きなよ。恋ってもっと楽しいものじゃないの?そんなこの世の終わりみたいな顔をしてするもんじゃないでしょ」


 この世の終わり……なんて的確に表しているのだろう。瑞樹くんは切なげに目を細めた。


「それとも俺がまだ知らないだけで、本物の愛ってのは胸を掻きむしってしまいそうなほどの責め苦を受けるものなの?……それなら人を愛することは罰だね」


 罪には罰を。罰には許しを。

 じゃあ、私たちを赦してくれるものはなんなのだろう。

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