18歳、

8

 告白なの?あれって……。でもあんな怒ったような投げやりな告白ってある?私は今朝の瑞樹くんを思い出し、なんだかおかしくなって吹き出した。


「なに?なんかあったの?」


 思い出し笑いをした私に透は問いかける。透は瑞樹くんの気持ちを知っているのだろうか?そもそもいつから好きでいてくれたのだろう?あの待ち伏せが始まったときから?

 だけど、好きだと思っている人と接する時の独特な熱っぽさは感じなかったけれど。それなら仁くんの方がよっぽど……。祝勝会の日を思い出す。

 瑞樹くんって分かり易そうと思ってたけど、そうでもないのかな。てか、好きって言われたわけじゃないよね。え……好きじゃないの!?わかんなーいー!!!


「姉さん?」


 一向に返事をする気配がない私を透が呼んだ。


「さっきからコロコロ表情変えて……なにかあった?」


 あった。確実に何かはあった。だけどこれは透には言えない。私たちの間に横たわる陰鬱な空気を吹き飛ばすように笑顔を作る。


「仕事で良いことがあっただけ!」


 この世に絶対変わらないものなんてあるのだろうか。

 

「そう。それはよかったね」


 透は無理矢理に微笑んだ。


 透、苦しいのなら手放していいんだよ。私を捨て置いてどこかに行ってもいいんだよ。


 それは私自身に言い聞かせていたのかもしれない。離れた方がいいとわかっているのに決定的な言葉を言わずに透に委ねている私は、ずるい。

 

 つらい。くるしい。離してしまえば解放される。

 

 だけど、私を好きでいてほしい。

 その笑顔も泣き顔も、怒った顔も、独占欲も、透の全ての感情を、死ぬその時まで、私だけに向けていてほしい。




 絶対になにかあったな。しかも俺には言えないこととなれば、恋愛関係である可能性が高かった。だけど追求できない。

 問い詰めて「気になる人ができたの」と言われてしまえば?手放す選択しかできなくなる状況を作ることこそが恐ろしかった。ふぅ、と大きなため息を吐けば、智宏が心配そうな瞳を向けた。


「透大丈夫?疲れてるね」

「え、そう?最近忙しいからかもな」


 智宏が次の言葉を発しようとしたとき、部屋の扉が開いて「おはよー」と仁くんと瑞樹が入ってきた。


「おっすー!」

「はよ」


 仁くんが智宏の隣の椅子を引いて座る。必然的に瑞樹は俺の横に座ることになった。


「なに、なんか暗いね」


 瑞樹にまで心配されるということは余程顔に出ているのだろうか。俺は「疲れてんのかもな」と返した。


「夏バテかもよ。最近急に暑くなったしな」


 仁くんは言いながらスポーツ飲料をぐびりと飲んだ。


「あ、そういえばさ。みんなに、というか主に透くんに。あと、仁くんにもかな?言っておかなきゃいけないことがあって」


 改まった瑞樹の言葉にみんなが注目する。俺に?なんだろう?全く見当がつかずに困惑した。仁くんも同様で、智宏も怪訝そうに眉を顰めた。


「いや、そんな構えないでよ。ただの報告」


 みんなの困惑した空気をかき消すように瑞樹は大きな口を開けて明るく笑った。


「香澄さんに俺のこと好きになってほしいって言った」

「……え、お前香澄さんのこと好きだったの?」


 しばしの沈黙のあと、仁くんが瑞樹の真意を確かめるように言い直した。


「うん」


 こともなげに言い切った瑞樹を見て、羨ましさで心を掻きむしられた心地だった。愛しい姉さんを好きだと言い切る男。だけど俺はかける言葉を持っていない。資格がないのだ。

 おかしい。俺は姉さんを唯一独占して、会いたい時に会えて、触れたい時に触れられる特別な存在であるはずなのに。


「姉さんはなんて?」


 どうしてその答えを姉さんではなく瑞樹から聞かなくてはいけないのか。どうして俺はこうも自信がないのだろうか。


「あぁ、無理ってハッキリ言われたよ」


 よかった、と心の底から安堵したのに、「でも」と瑞樹が言葉を続ける。


「連絡先は交換した。彼氏もいないみたいだし、blendsに迷惑がかからないように頑張るよ」

「だからこの前車の中で変なこと聞いてきたわけね」


 仁くんは合点がいったようで、呆れた顔でそれでも笑っていた。


「そう。だから仁くん、ごめんねって」

「まぁ、好きにはなってなかったからね」


 いいなぁ、仁くん。引き返せて。笑えて。俺はもうとっくの昔に無理なんだよ。


「てか、いつ言ったの?」


 場の空気をうかがうように、智宏が控えめに尋ねた。


「昨日の朝」


 だからか。昨日の姉さんの思い出したように微笑む姿は瑞樹に向けられたものだったんだな。


「透くんは弟だから聞いてるかもしれないけど。俺からも一応報告」


 瑞樹の見知った笑顔が勝ち誇った風に見えるのはきっと俺の被害妄想だろう。そうだ、俺は弟。牽制される存在ではないのだ。

 離れたい。手放したい。だけど囲っていたい。ぐずぐすに溶けて一つになれたらそれはどれほど幸せなことだろう。

 姉さん、俺はどうすればいいの。姉さん、あなたはどうしたいの。


 どうかその優しい眼差しで導いてほしい。




 リリースする曲は主にプロデューサーたちが決めていくのだが、そこには俺たちの意見も取り入れることになっていた。特に智宏は作曲と作詞にもがっつりと関わっており、プロデューサーにもその才能を認められていた。

 しかし次々回にリリース予定の曲のコンセプト決めの会議はいつもの智宏からではなく、瑞樹の発言によって始まった。


「緑の目をした怪物?」


 智宏は瑞樹の発言をなぞる。


「そう。シェイクスピアのオセロにそういった表現が出てくるんです」


「"green-eyed monster"、"be green with envy"か……」


 プロデューサーが興味深げに口にする。


「日本では緑って、癒しとか自然ってイメージですもんね。緑と嫉妬ってあんまり結びつかないし、たしかに面白いかも」


 智宏が前のめりに反応を示した。他の人たちも割と好意的なようで、会議はあといくつかの意見を出し終了となった。



「透、大丈夫か?明日休んだ方がいい。というかこのまま帰った方がいい」


 会議が終わると仁くんが心配そうに顔を覗き込んできた。


「そうだよ。やっぱり体調悪そうだ。今日はボイトレ。明日はダンスレッスンで、まだ休みやすいしね」


 智宏も朝から続く俺の異変に不安げに眉を下げる。


「マネージャーに連絡するよ」


 瑞樹はそう言ってスマホを取り出して電話をかけ出した。俺が入る隙のないまま俺の話が進んでいく。

 気がつけば「ゆっくり休めよ」と言われて送迎車に乗せられていた。


 送迎車の後部座席で「はぁ」と深いため息を吐く。それは自己嫌悪からくるものであった。

 俺はいったいなにをしているのだろう。デビューから時間の経っていない大事な時期に、恋愛で心乱されて仕事に支障をきたすって……。プロとしてどうなの?「ふっ」と自嘲の笑みが漏れた。

 しかも恋愛相手が血のつながった姉さん。どれだけ通じ合っても愛し合っても誰にも言えない。誰も祝福してくれない。

 姉さんが誰かと関わるたび不安で疑心暗鬼になって、自分で自分の心を削っていく。もうやめたい。楽になりたい。ただ手放し方がわからない。


 楽園ではなかった。形を変えた地獄が続いているだけだった。ここではないどこかへ行けたのなら、そこは楽園なのだろうか。それともまた地獄が形を変えて待っているだけなのだろうか。




 姉さんが仕事で良かったと心底思った。このまま寝てしまいたいとシャワーも浴びずにベッドに入る。身体が沈んでいく。意識を手放すまで、それでも俺は姉さんのことだけを考えていた。


「とおる、とおる。大丈夫なの?」


 肩を優しく叩かれた感触に薄っすらと目を開けた。あぁ、俺の愛しい人。手を伸ばせば擦り寄る頬にさらに愛おしさが募る。


「体調悪いんだよね?」


 昨日までなら引っかかりもしない言い方だったであろう。ただ、今は、言葉尻を捉えて「それはもしかして瑞樹に聞いたの?」と詰め寄ってしまいそうなほどだった。


「疲労かもね」

「気を張ってたしね。食欲は?」

「あんまりないかも」


 姉さん、そのどこまでも優しい眼差しに俺の全ては赦されたんだ。このどうしようもないほど醜い恋心さえも赦されたはずだった。

 だけど俺はいつも苦しい。幸せだった瞬間を宝物のようにかかえて、擦り切れるまで思い返している。

 姉さん。ごめんね。俺は手放せそうにないんだ。地獄だとわかっていても、姉さんがいてくれるならもうそれだけでいい。姉さんが俺の全てだ。死んでも変わらない。姉さん、俺はあなたなんだ。


「そう……とりあえず飲み物持ってくるね」


 立ち上がろうとした姉さんの腕を咄嗟に掴む。驚いた表情の姉さんが俺を安心させるように微笑んだ。


「いかないで」


 掠れた声が自分のものではないみたいだ。「いかないよ、どこにも」そう言おうとしてくれたのだろうか。「い」と発した刹那、スマホの着信音がそれを遮った。

 あの時言おうとしていた言葉は、永遠にわからないままとなった。




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