18歳、
7
香澄さんは俺の姿を捉えると苦笑いを浮かべた。
「おはよう、瑞樹くん。今日もたまたま?」
マンションのエントランスの壁に凭れかかっていた俺の前で足を止めた香澄さんは、呆れた声を出した。
「おはようございます、香澄さん。そうです、たまたま会いましたね」
ニコリと朝にふさわしい爽やかな笑顔を見せたけれど、どうやら香澄さんには響かなかったようで、くるりと前を向くと一人で歩き出した。
「ちょっと、香澄さん待ってよ!一緒に行きましょう」
香澄さんの後を追ってそう声を掛けると「瑞樹くんの目的を教えてくれたらね」と昨日も聞いた言葉が返ってきた。
「昨日も言いましたよ。仲良くなりたいんだって」
俺の返事に納得がいかないと、疑うように細められた香澄さんの目はそれでも優しかった。改めてみるとその瞳の輝きは透くんとよく似ていた。
「だって意味わからないもん」
俺を突き放すことを早々に諦めた香澄さんは、早歩きを通常のスピードに落とし、困ったように笑った。
「意味なんてないですけどね。仲良くなりたいって思うのはダメですか?」
「ダメじゃないけど……なんで私と?って気持ちが大きいの」
八の字に下がった眉が香澄さんの自信の無さを表している。このように俺の行動を警戒する香澄さんの気持ちも分からなくはなかった。
あの夜。智宏くんから聞かされた香澄さんと透くんの血の繋がり。blendsを、俺の居場所を壊されたくない。危険な芽は今のうちに摘み取っておきたい。
透くんが決定打を打つ前に。世間に知られてしまう前に。俺が香澄さんを好きだということにすれば、それよりも香澄さんに俺のことを好きになってもらえれば。そうすれば執着心の薄い透くんは血の繋がった姉を想う気持ちを棄てることができるんじゃないだろうか。
そうと決まれば香澄さんと距離を縮めたい。それが朝の待ち伏せに繋がっていた。
しかし誤算だったのは、俺の女の子へのアプローチの下手さだった。自慢ではないが、顔の良さは幼い頃から折り紙つきだった。そのため、俺がアプローチせずともあちらから寄ってくるのが常だったのだ。もちろんこれも自慢ではない。
待ち伏せ始めた2日目までは香澄さんも好意的だったが、それが3日4日と続くと怪訝な表情に変わり、1週間過ぎれば最早呆れきっていた。
まさか俺の顔の良さの弊害がこんなところに出るなんてなぁ……どう考えても思い浮かばないアプローチ法。呆れられているとわかっていてもただ待ち伏せを繰り返し、「仲良くなりたい」とお願いする他なかった。
そもそも俺は駆け引きなんてもんは苦手でしかない。だって、ニコリと微笑めば同年代の女の子は顔を赤らめてくれた。人に好きになってもらうって難しいんだな……。俺は顎に手を当てて唸った。
「え、なに?どうしたの?」
突然唸り出した俺を見て、香澄さんが眉間に皺を寄せる。
「いやー、人に好きになってもらうのって難しいんだなって。香澄さんって駆け引きします?」
目を丸くした香澄さんは、「ぷっ」と堪えきれずに笑いだした。なんでそんな笑うんだよ、と意味がわからないまま笑われていることに少なからず機嫌を損ねた。唇が尖りだした俺を見て、香澄さんが慌てて謝る。
「ごめん。かわいくって。瑞樹くんってほんとに裏表が無いというか……素直だよなって思ったの」
「可愛いって全然嬉しくないですけど」
さらに機嫌を損ねた俺は、香澄さんのいる方と反対にふいと顔を背ける。
「ごめんてばー、ほんとごめん」
必死に謝る香澄さんに少しばかり胸がすっとした俺は「俺に可愛いって言うの禁止ですからね」とだけ念押しをして気持ちを持ち直す。
"そういうところが子供っぽいんだぞ"と注意してくる仁くんが頭に浮かんだが、急いで隅に追いやった。
「で、駆け引きします?」
違う方向に行ってしまった話を元の流れに戻すと今度は香澄さんが「うーん」と唸った。
「嫌な女だなって思われるかもしれないけど、私は駆け引きするかなぁ」
悩む素振りを見せた割にスッと出てきた答えに、俺は興味深げに「へぇ」と相槌を打った。
「やっぱりあざとい女だって思った!?でも、好きな人にはかわいいって思われたいし、それに好きになってほしいもん!」
「だから、だから」と誰に言い訳をしているのか必死に話す香澄さんを見て自然と口角が上がってくるのを感じた。
え、これがあざといってやつなの!?俺まんまとハマってるじゃん。
「大丈夫。香澄さんはかわいいよ」
ぽろっと口から零れ出たたのはまごうことなき本音だった。途端、ぼっと燃えたように頬を赤くする香澄さん。あぁ、確かにこの人は男好きしそうだな、と思った。
いや、俺は全然だけど。そんなミイラ取りがミイラになるなんてこと絶対ないけど。
「そういう、かわいいとか……なんの気無しに言わないでよ」
「純粋に褒めてるだけじゃないすか。穿った見方しないでよ。かわいくねーの」
次にぽろっと零れた言葉は相手を非難するものだった。しまった。これじゃあ仲良くなんて程遠いぞ……。
「さっきはかわいいって言ったくせに」
ふいっと顔を背けた香澄さんの頬の丸みがなんだか幼い子供のようでかわいい。ぷっと吹き出した俺に香澄さんは向き直って非難するように目を細めた。
「子供みたーい」
俺が揶揄うように笑うと、「ほんとの子供に言われたくなーい」と香澄さんは意地悪な笑顔をみせた。
なんだよそれ。ほんとかわいくねーの。
「あ、ごめん。やな言葉だったね」
俺の表情が曇ったことに気づいたであろう香澄さんが咄嗟に謝る。んだよ。こんなことで臍を曲げてる俺がほんとの子供みたいじゃないか。
「別に怒ってないし」
香澄さんはそう言う俺の顔を見て優しげに微笑んだ。心臓を柔く撫でられたような気になって、俺はみるみる機嫌を持ち直す。これなのだな、と確信した。香澄さんの魅力はこの優しげな眼差しだ。俺のつまらないプライドはこの優しさに掬い上げられて、"そのままでいいのよ"と抱きしめられた心地で揺蕩って、霧散した。
「ふふ。あ、なんだか私たち仲良くなれた気がするね」
俺の顔を覗き込んではにかんだ香澄さんに、俺は敗北宣言をする他なかった。
▼
翌日から香澄さんは俺を見つけても苦笑いをしなかった。
「おはよー!今日も暑いね」
今年は雨が少なく、気がついたら梅雨明けしていた。じりじりとした肌を刺すような日差しにじとりと流れ出る汗に思考回路が鈍っていく。
「ほんと暑いっすね。俺夏嫌いなんですよ」
「わかる、私も!けど、夏祭りは好き!」
「じゃあ、行く?もうすぐあったよね、たしか」
「……え??」
「ん?」
俺の誘いに表情を固めた香澄さんが、閃いたように「あぁ!」と声を上げた。
「みんなでね?でも4人揃うとさずかに目立たないかな?」
「なんでみんなで行くんすか。2人だよ、俺と香澄さん」
人差し指で自分と香澄さんを交互に指せば香澄さんは狼狽えたように視線を彷徨わせた。
「でも、朝と違ってさすがに夏祭りは人が多すぎるよ」
アイドルをしている俺への気遣いは本心か建前か、香澄さんの瞳は何も語ってくれない。しかしその言葉に俺はハッとする。blendsを守りたい気持ちで始めたはずなのに、俺の行動こそが危険に晒しているじゃないか。
チラチラと俺に向けられた視線の中に、俺をblendsの赤葦瑞樹だと認識しているものはいくつあるのだろうか。
そもそも透くんが本当に香澄さんを好きかどうかもわからないし。もし俺の勘違いなら……。
「瑞樹くん……?」
何も話さない俺に香澄さんの瞳が不安げに揺れている。
やめた方がいい。俺の浅はかな計画は一度白紙に戻そう。透くんを説得してみようか。わかってくれないかもしれない。だけど俺が危険な橋を渡って出しゃばっている今の状況より、幾分かマシだ。
でもこの眼差しを無くしてしまうの?これが他の誰かのものになるのを、ただ指をくわえながら見ていることしかできないの?
「俺のこと好きになりませんか?」
「へ?」
きょとんとした顔の香澄さんに俺は続けて詰め寄った。
「だーかーら!俺駆け引きとかまどろっこしいこと大嫌いなんですよ!直球で言いますけど、俺のこと好きになりませんか!?」
ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったものだ。
この人を俺のものにして、俺から離れられなくしたらいいんだ。そしたら透くんも、副産物的に仁くんも、香澄さんのことを諦める。俺はわざわざ人目に着くようなことをしなくても、香澄さんと愛を育める。一石二鳥だ。
俺は諦めない。メンバーと好きな人が被っても俺は諦めない。
ジリジリとした日差しが俺の肌を刺す。本格的な夏が始まろうとしていた。
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