18歳、

4

「ねぇ、ほんとになにも持って行かなくていいの?」


 それはさっき俺が着替えているときに聞かれたことと同じ内容だった。「仁くんがいらないって言ってたんだから、いらないよ」さっきも言ったじゃん、とは言わずにこれまた同じことを繰り返して答えた。「そうだけど……」手ぶらで訪ねることに罪悪感がある姉さんは納得がいかないように眉間に皺を寄せた。

 悩んでる間に着いた仁くんの家のインターホンを鳴らすと「はい」とパネルから仁くんの声が聞こえた。さすが仁くん。メンバーの誰かだと確信を持ちながらもきちんとパネルで確認する。危機管理能力が違うな。と引っ越し当日に仁くんに注意されたことを思い返した。


「いらっしゃーい。智宏も瑞樹も来てるよ。香澄さん、突然呼び出しちゃってすみません」

「いえ、こちらこそ突然お邪魔しちゃってすみません。しかも手ぶらで……」


 まだ言ってるのかよ、と半ば呆れぎみに肩をすくめる。


「いやいや、俺がいらないって言ったから。さ、どうぞ」

「お邪魔します」


 きちんと靴を揃えて仁くんの家へ上がると、テレビの前にあるテーブルの上のオレンジジュースを飲みながら談笑している智宏と瑞樹が振り返った。


「透!香澄さんも!」

「お久しぶりです」

「誘ってくれてありがとう。改めてデビューおめでとうございます」


 姉さんがみんなの顔を見てにこりと目を細める。「ありがとう」と順番に応える3人に対して涙を堪えるように奥歯を噛み締めた姉さんをじっと見つめた。姉さんの感情の行き着く先はすべて涙だ。嬉しくても楽しくても、怒っても、感情が昂ると涙として溢れ出てくるのだ。姉さんを見ているとそれが女の武器だと言われてきた所以がよくわかる。

 庇護欲をくすぐられるのだ。その涙をこの手で拭って腕の中へ閉じ込めてしまいたくなる。姉さんの涙は本当に甘いのだ。俺しか知らないその事実に縋ってなんとか自制心を保った。




「料理は私が作ります!」

「香澄さん料理苦手って言ってたじゃん!俺が作ります!」

「ここに住み出して2ヶ月、毎晩作ってきたのでマシになりました!それに私には信頼安心のレシピアプリがあるので!」


 仁さんと私の余りに不毛な争いに智宏くんは苦笑いし、瑞樹くんは呆れきっていた。透も興味無さそうにふい、と視線を逸らす。


「じゃあ、2人で作ってよ」


 埒があかないと瑞樹くんが助け舟を出してくれた。「よし、そうしよう!」と仁さんが私をキッチンに招き入れる。私たちの部屋と間取りが同じ仁さんの部屋はキッチンの向きまで同じだった。


「なに作る?とりあえずあいつらにはフライドポテト揚げて食わせとくか」


 そう言いながら手際よく冷凍ポテトを十分に熱した油の中に放り込んでいった。


「食材はなにがあるの?」

「割となんでも揃ってるよ」


 野菜室とチルドを開けた仁さんの後ろから中を覗くと本当に食材が揃っていた。


「すごい、ほんとに揃ってますね。普段から自炊してるんですねぇ」


 感嘆の声を出せば、「さすがに普段はここまで揃えてないよ」と仁さんが照れたように笑った。ん?とわからない表情を向ければ「実は、デビューステージを終えたらあいつらを誘って祝勝会をしようってこと、決めてたんです」とさらに笑みを深くした。

 え、かわいい……一人でメンバーのことを考えながら食材を買い込む仁さんを想像して心ときめいた。


「香澄さんのことももちろん最初から誘うつもりでしたよ」


 いたずらっ子のように笑った彼の表情は普段の物腰柔らかな姿とは違い、ぐんと幼い少年の雰囲気を纏っていた。 



 テキパキと調理をしていく仁さんを見ながら、これは私いらなかったやつだな……と肩身が狭くなった。そんな私に気づいたのか適度に仕事を振ってくれる仁さんに対する評価がまたぐんっと上がる。

 出来上がったものからテーブルに並べていくと、ジャレついていた3人が「うまそー」と声を揃えた。


「ぜーんぶ仁さん作です」

「そんなことないよ。香澄さんと俺作です!」


 一つ年下の彼は私よりも随分と大人だった。


「仁さんと私作です」


 言い直して3人に笑いかければ無邪気な笑顔と「いただきます」が返ってきた。「うまっ」という幸せな声と顔を見届けてから再びキッチンへ戻ると、仁さんが私にお酒の缶を差し出した。


「香澄さんって飲めます?」

「飲めます……けど……」


 そう言って受け取ったお酒は女性が好んで飲みそうな、甘味が強くアルコール度数の低いものだった。

 

「あいつらは未成年だからさ、俺に付き合ってよ」


 この笑顔だ。私は仁さんに初めて会った日を鮮明に思い出した。彼の手に握られていたのはビールで、恐らくこのカクテルは私のために選んでくれただろうことがわかって、なんだかこそばゆくなった。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 グラスに移し替えてくれたお酒は柔らかなピンク色をしていた。「きれいな色……」私が思わず呟くと、「俺ピンク色大好きなんだよね」と仁さんが柔らかく微笑む。


「幸せそうな色でしょ。柔らかくて可憐で、優しい色。香澄さんみたいだね」


 それはどういう意味なんだろ……他意を含まなさそうな仁さんの笑顔に戸惑う。頬に集まる熱を誤魔化すように曖昧に微笑み返し、「いただきます」と仁さんとグラスを合わせた。



 料理をする男の人って色っぽいんだな。私はグラスに入ったピーチ系カクテルをちびちび飲みながら迷いなく動く仁さんの手元を見ていた。

 ビールを流し込むときに上を向く顎から耳にかけてのシュッと引き締まったラインが美しかった。


「ねぇ、香澄さんと仁くんも食べてる?こっちで一緒に……って、あー!2人でお酒飲んでるし!」


 いつまでも席につかない私たちに痺れを切らしたのか、いや、彼の優しさからだろう、私たちを呼びに来た智宏くんは飲酒現場を目撃し大袈裟に叫んだ。


「未成年のお子様たちは大人しくジュースを飲んでなさい」

「俺だって後一年したら飲めるんだからね!」


 ついこの間19歳になったばかりの智宏くんは悔しそうに頬を膨らませた。「わかったから席に戻って待ってて。すぐ行くから」仁さんの口調が子供を嗜める父親のようでほんわかした。



「とりあえず今できてる分を持って行って乾杯しましょうか」

「だね」


 焼き上がったお肉をフライパンからお皿に移し替えていると、私の後ろに立った仁さんが手元を覗き込むように顔を近づけた。顔と顔の余りの近さにびくりとする。


「なにか変でした……?」


 おどおどと聞いた私に「いや」と否定をして、「そろそろ俺も仁くんって呼んでほしいし、敬語外してほしいんですけど……」とぽつりと声を落とした。

 不貞腐れた声音が、視線を合わせない態度から伝わる照れを確かなものにしている。彼の照れがそのまま私に伝わり、ぶわりと頬を赤く染める。

こくんと頷くことでしか肯定の意を表せないほどに照れた私をみて、仁くんは満足げに笑った。



 出来上がった料理をテーブルに並べてから改めてみんなで「いただきます」と「お疲れ様」を言い合った。

 透の右隣に座り、みんながわいわいと楽しそうに話しながら食べてを繰り返している光景を眺めていると正面に座った仁くんと目が合う。


「香澄さん食べてる?」

「うん、食べてるよ。とっても美味しい」

「よかった。……お酒まだあるけどどうする?」


 私の空になったグラスを見て仁くんが首をかしげた。すでに一本飲んじゃったしな……。それに今日の主役は4人だから、その4人を差し置いて楽しくなっちゃうのは違うしなぁ……。などと考えていると「姉さんはお酒ストップで。お茶飲んでな」と透が飲みかけの自分のコップを差し出した。


「仁くんもストップね。他はみんな未成年なんだから」


 有無を言わせない威圧感と至極真っ当な言い分に成年済みの私と仁くんはカタなしだ。「はぁい」と反省した声で返事をした私たちに透は「よろしい」と頷いた。



「めっちゃ食べたぁ!」


 誰よりも食べていた瑞樹くんが幸せそうな声をあげた。あれだけ大量に作った料理は、育ち盛りのピークは過ぎたであろう彼らの胃袋の中に見事に収められた。ここまできれいに食べてくれると嬉しいな。いや、作ったのはほとんど……98%ぐらいは仁くんだけども……!


「片付けはみんなでやるぞー」


 仁くんの掛け声にみんなが「はーい」と元気よく返事をして、お皿をシンクに運ぶ。なんか幼稚園みたいなんだけど……とおかしいやらかわいいやらで、頬が緩んだ。


「仁くん、お皿は予洗いした方がいいよね?」

「そうだね、一応。香澄さんがしてくれたやつを俺が食洗機に入れていくよ」

「うん、わかった」


 あれから仁くんと変な雰囲気になることもなく、やっぱりただ単に褒めてくれただけなのかな?とほっと安心していた。

 私は自分の八方美人な性格をよく理解している。特に好意を無下に断ることは昔から苦手としていた。ていうか、仁くんが私に好意を寄せてくれてるなんて……おこがましいにも程があるか。と己の自意識過剰さを恥ずかしく思い、心の中で仁くんに謝った。



「ねぇねぇ。仁くんと香澄さんってお似合いじゃない?」


 シンクの前に並んで食器を片付けている2人を見て、智宏が純粋な感想を投げかける。


「智宏くんって割と恋愛脳なんだね」

「まーたそうやって酷いこと言うー、瑞樹は」


 瑞樹の辛辣な言葉に傷ついたと、智宏は泣き真似でアピールをした。


「ごめんて」


 智宏の背中に手を回し、小さい子をあやすようにトントンと背中を叩く瑞樹に、どっちが年上だかわからないな……という感想を抱いた。


「まぁ、仁くんは香澄さんのこと気に入ってるんじゃない?ねえ?」


 不意に向けられた瑞樹の視線に、しまった、と思った。今俺は確実に緑の目をした怪物になっていたからだ。


「俺は恋とか愛とか、そういうの分からないからなぁ……」


 咄嗟に目の色を無くし、曖昧に微笑んだが、鋭い瑞樹のことを誤魔化せただろうか。


「あぁ。透くんって初恋まだだって言ってたもんね」


 努めて明るい声音を出した瑞樹の視線は俺を探るように見つめていた。


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