17歳、

5

「姉さん」


 愛おしい人を呼ぶ声は弱々しく掠れていて、それが自分の自信のなさをより一層際立たせた。


「とおる」


 姉さんの黒々とした目がだめだよ、と言っている。だけど俺の名前を呼ぶ声は愛おしげにまろみを帯び、それだけで涙が出てしまいそうなほどに切なげであった。

 もしかすると姉さんも俺と同じ気持ちかもしれない。いや、そんなことあるわけないだろう?2つの感情が忙しなく押し寄せせめぎ合う。

 あと少しだ。それを言ってしまえばあとは堕ちるだけだ。

 

「彼女なんていないよ。ただ連絡先を渡されただけ」

「そう……」


 返事をした姉さんは視線をそらし、ほっとため息を吐く。


「だって、俺が好きなのは……」


 その先は姉さんの口内へと溶けて消えた。背伸びをしていた踵を下ろした姉さんを強く抱きしめた。握っていたピンクの紙が音も立てずに廊下に落ちる。


「すきだ。ずっとずっと好きだった」


 やっと言えたその言葉に姉さんは消えそうな声で「わたしも」と応えた。

 地獄ではなかった。ここは地獄などではなかった。どこを選びとっても地獄だと思っていた姉さんとの関係は、唯一の楽園に成った。


 触れた肌はしっとりと吸い付き、俺を惑わせる。お互いの気持ちを確認してからは、今まで抑圧されていた欲望が一気に目覚め、もっともっとと貪欲にお互いを求めた。

 一線を越えてしまえば、今まで何を不安に思い、何に遠慮していたのかさえわからなくなった。

 仕方ない。だってどうしようもなく好きなんだから。それを大義名分とし「すきだ、すきだ」と熱に浮かされたように繰り返した。


「姉さん、すきだよ」

「さっきから何度も聞いてるよ」


 姉さんがくすくすと口元に手をあてて優しく笑う。


「今まで我慢してきた分がまだたんまり残ってる」

「わかる。私にもまだたんまり残ってる」

「じゃあ、もっとちょうだい」


 セミダブルのベッドで布団に潜り、足を絡めながらじゃれつく。子供が親に隠れていたずらをするときと同じ、見つからないように小さ声で。

 耳元で囁く愛の言葉はこんなにも甘美だったのか。ずぶずぶと堕ちていく。絡み合った足が這い上がる気を根こそぎ奪っていく。


「すきよ」

「俺も。あいしてる」


 そう告げれば、姉さんはぴたりと動きを止め「それはずるいよ」と泣いた。その涙に口づけを落とす。


「すごいね。姉さんは涙まで甘い」

「……もう……」


 呆れたように笑った姉さん。信じてないな。本当なんだよ。本当に全部甘いんだよ。


「誰にもバレないように」

「わかってます。もう何度目?」


 俺は少しでも長く甘い空気の中にいたいのに。姉さんは先程から約束ごとを何度も繰り返した。


「だって、透って自分で思ってるよりずーっと、顔に出るんだよ?」

「それ仁くんにも注意されたことあるわぁ」

「もうっ、何呑気なこと言ってるのよ!?」

「姉さん、しーっ!」


 ヒートアップした姉さんの唇に人差し指をあてる。「父さんたちもう帰ってきてるからね」と咎めるためにあてた人差し指。違う。ただ俺が触りたかっただけだ。


「……ごめん」


 顔を赤らめた姉さんが「でも、本当に気をつけようね」と念押した。


「はい。わかってます」


 頷いて先程した約束ごとを復唱した。


「意味深に視線を合わせない」

「不必要にボディタッチしない」

「嫉妬心を表に出さない」

「俺と姉さんはただのきょうだい。守れます。誓います」


 得意げに微笑むと、姉さんは安心して頷いた。


「もしもバレたら、私たちきっと離れなくちゃいけない」


 そんな日を想像しているのだろうか。姉さんの瞳に薄っすらと涙の膜が張った。「そんなことさせない。大丈夫だよ」と瞼に口づけを落とせば、姉さんが笑う。それだけで俺は何者にでもなれる気がした。


「あと、最後に。透はお仕事を優先してね」


 忙しくなるであろうこれからを心配してくれたのだろう。


「うん、ありがとう。けど、姉さんは姉さんだから。……そういや、家族に会ってるところを週刊誌に撮られても困らないよな」

「そうだね。家族だからね」

「堂々とデートできるじゃん!」


 嬉々とした俺に姉さんは大きなため息をついた。


「それぐらい喜んだっていいだろ。姉さんと家族になったことを初めて心の底から喜べたんだから」


 不貞腐れた俺の頭に手を伸ばした姉さんが髪を梳く。その手がこめかみまで滑り、姉さんの親指がやわやわとそこを撫でた。

 今世界が滅びてもいいと思った。姉さん、姉さん。俺の愛しい人。

 髪の匂いも抱きしめた体温も、囁く愛の言葉も知れた。次はなにを俺にくれるのだろう。俺はこの人になにをあげられるのだろう。

 細められた目が愛してると言っている。触れた親指がずっと一緒だと言っている。

 俺はこの夜を一生忘れない。死ぬ間際まで擦り切れるほど思い返してやる。


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