18歳、burn in hell
1
3月下旬。
引っ越しってこんなに大変なの!?
荷造りをするときに要らないものは捨てたはずだった。なのにいざ荷解きを始めると、荷物の多さに辟易していた。
「メイク用品多すぎじゃない?姉さんの目は一対しかないし、口も一つしかないじゃん」
「それを言うなら透の漫画とゲームもすごい量なんだけど?漫画もスマホで読めるし、ゲームもスマホでできるじゃん」
いや、そういう問題じゃないんだよ!と、お互いが思った。相手を攻撃したつもりが綺麗に自分自身に返ってくることを理解した私たちは、「ごめん」と謝って再び荷解きを開始した。
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「今日はここまでにしない?」と、ある程度の目処がついたところで私が提案した。集中し始めると時間を忘れてのめり込むタイプの透に、買っておいたコーラを渡してストップをかけた。
「ありがと」
ぷしゅりと炭酸の抜ける音がする。上下する小さな喉仏に目が釘付けになる。出会った時より身体の線が太くなりだいぶと男性的になった透だが、元来のパーツの繊細さが女性的な儚げさを醸し出し、彼の魅力を引き出していた。とてもバランスの取れた見た目だ。どんどん素敵になっていく愛しい人に私はたまに寂しさを感じる。一番近くに居るのに、なんて贅沢。
「なに?そんな見られると照れる……」
はにかんだ笑顔にまた胸が締め付けられた。
「えぇ?いや、かっこいいなって……」
「……姉さんのその照れもなく褒められるところ、尊敬するわ」
そうかな?透も割と照れも衒いもなく私のこと褒め殺すけどな。耳まで真っ赤にした透は子供のようでかわいい。
「それにしても、こんなに駅近で部屋も広いところに住まわせてくれるなんて……さすが大手事務所というか。ほんと感謝だね」
「新人はだいたいここに住むみたいだよ。俺は姉さんも一緒に住まわせてくれたことに感謝だね」
「ほんとに、それだね」
引っ越し先は透が所属する事務所名義の不動産だった。私が一人暮らし用の賃貸物件を探していると「姉さんも俺と一緒のところでいいじゃん」とこともなげに言った透に驚いたことを覚えている。
「いやいや、無理でしょ」なんの冗談だと笑って流す私に「社長はいいって」とすでに交渉済みだったことを透は告げた。私の一人暮らしを不安視していた両親は手放しで賛成し、願ってもない話に断る理由など見つからなかった。
「俺たちが家族だったからできたことだよ」
柔らかい曲線を描く透のかさついた唇にそっと私のそれを重ねる。
「また舐めたでしょ。集中するといつもよりぺろぺろするんだから」
「犬みたいに言わないでよ」
透の唇を舐める癖は依然として健在だった。「これからはきちんとリップクリーム塗ります」と笑った透はその赤い舌で私の下唇をぺろりと舐める。幾度となく重ねてきた唇はしっかりと私に馴染んで、もう違和感や罪悪感などは微塵も感じなかった。
お互いの気持ちを確認しあった日の夜の食卓では両親の顔をうまく見ることができなかったのに……。しかし今では、体を重ねた直後でも何食わぬ顔で接することができるようになった。
裏切っているなぁと良心が痛むことももちろんある。だけどそれよりも私には透との関係を維持していく方が重要だった。それになにより私たちの関係が露呈し、家族がめちゃくちゃになる、それだけは避けなければいけなかった。
健全な家族を演じる。それは両親が亡くなるまで続けなければいけない、私たちの責務なのだ。
「今日からは存分にえっちなことができるね」
にやりと口角を上げた透のその顔に私はくらくらと目眩を覚えた。
▼
ピンポーンと間の抜けた音が鳴る。重ねていた唇を離し、姉さんと顔を見合わせた。引っ越し当日の夜に訪ねてくる人なんてだいたい見当がつく。そういや、2人は昨日が引っ越しって言ってたな。「俺が出る」と立ち上がり姉さんの頭を撫でる。
「はい」
インターホンパネルを確認せずに扉を開けたことに急な来客2人は目を丸くして驚いていた。予想通りの人物に「お疲れ」と挨拶をして家の中に招き入れた。
「俺らだってなんとなくわかってもちゃんと確認しろよ」
「わかった」
俺の気のない返事に「ったく、お前は……」と呆れた声が返ってくる。開けっ放しにしていたリビングへ続く扉を通ると姉さんが笑顔で2人を迎えた。
「こんばんは。お久しぶりです」
「香澄さん、こんばんは」
「本当に久しぶりですね。引っ越しの手伝いできなくてすみません」
「いえいえ。仁さんも智宏くんも昨日引っ越しだったんですよね?荷解きまだ終わってないんじゃ……?」
いたずらっ子のように笑う姉さんに仁くんと智宏が声を揃えて「そう!!」と答えた。「やっぱり」クスクスと他所行きの笑い方をする姉さんもそれはそれでかわいい。だけど、ダメだ。姉さんの全ては俺のものだと、まだ燃え尽きることのない嫉妬心が頭をもたげる。
"嫉妬心を表に出さない"
未だに律儀に守っている約束を頭の中で繰り返した。
「瑞樹は明日に引っ越しだっけ?」
姉さんが出したお茶を飲みながら智宏がぽつりと確認をするように言った。「そうそう」仁くんもお茶を飲みながら同意する。
「瑞樹さんって高校生……だよね?」
姉さんの語尾が丁寧語かタメ口かでふらふらしているのが堪らなく面白かった。
「そうですよ」
「料理……できるのかな……」
智宏の返答に姉さんが心配そうな声を出した。「大丈夫。瑞樹はなんでもできるから」姉さんは自分の心配をした方がいいと思うという言葉は飲み込んだ。この世には言わなくていいことの方が多いのだ。
「え……そうなんだ……うらやましい」
「香澄さんは苦手なの?料理」
突然確信めいた質問を仁くんに投げかけられ姉さんの頬に熱が集まっていく。肩をすくめながら上目遣いに頷いた姉さんの破壊力ったら……。はいはい、嫉妬心も独占欲も表には出しません。俺は精一杯笑顔を貼り付けた。
「俺、料理得意だから。困ったらいつでも言ってくださいね」
にこりと笑った仁くんも、「仁くん、ほんと上手だから。俺はあんま得意じゃないけど!」と照れ隠しに笑う智宏も、心なしか頬を赤らめている。
「そういえば、香澄さんって就職ですよね?」
智宏に聞かれ、姉さんはこくんと頷いた。
「へぇ。あれ?じゃあ、俺の一つ上ですか?」
「そうです、そうです。仁さんは大学生……?」
「ですね。次4年です。デビューの年と被るんで忙しくなりそうですけど、卒業はできるかと」
落ち着いたトーンで話す仁くんはなんだか聡明に見える。
「同じフロアどころか、部屋も隣だし、みんなで助け合いましょうね」
「だね!これからよろしくお願いします」
「うん、よろしくお願いします」
爽やかな笑顔で仁くんが言って、智宏と姉さんがそれに応える。反応のない俺に向かって姉さんが「透も」と笑いかけた。
想いが通じ合っても、大っぴらに言えない関係の俺たちは「付き合ってる」と牽制することもできない。いくらかっこいいと騒がれたって、優しい、謙虚だと褒められたって、それが姉さんを確実に繋ぎ止める鎖になるわけじゃない。
足枷と手錠で好きな人を監禁する……それを行動に移す人の気持ちがわかってしまう自分を恐ろしく感じるのだ。
「よろしく」
貼り付けた笑顔は醜い嫉妬でカラカラに乾ききっていた。ひび割れたところからどろどろと溢れ出てこないように、どうか口づけてほしいとひたすらに願っていた。
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