深呼吸
まもり ちとせ
1年
看護短大2年生の私。どこに就職するか。看護師の就職難と言われた時期。
大学病院のような大きな所に就職した方がいいと言われていたけれど
実習がつらかったせいか、どうしても大きなところへ就職したいと思えなかった。
春。武蔵野の地にある、子どもの病院へ就職した。
地方出身の私は、学生時代を過ごした関東で引き続き過ごしたかった。
就職してから、大学病院のような所で就職した方がいいと言われた理由がわかった。
新人教育が充実している。そこだった。
それならもっとはやく教えてよ・・・
就職して1か月もしないうちにそれに気づいた。
新人教育と称した、現場で一人で学べ方式。
入職10日目で、急変した生後6か月の子の救急搬送。
行けと言われ、何か聞かれたら「これに書いてある」と言え、
子どもの顔色を見ていればいいと師長に言われ、封筒2通持たされ、
救急隊員が子どもを乗せたストレッチャーを押す後ろにくっついていく。
搬送の間、子どもの顔色を見ていろと言われたからずっと見ていた。
心臓が悪い子だったから、唇の色があまりよくない。
だからなおさら心配で、まばたきを忘れるくらいの勢いで子どもの顔色だけを見た。
ストレッチャーに寝ている子どもの右側に座り、進行方向に対して90度の椅子の位置。その体制で目の前の子どもだけを見ていれば、当然酔う。少しずつムカムカしてくる。でも、子どもの顔色を見なくちゃ。
搬送先へ到着。次は、何を聞かれても「これに書いてあります。」と言う。
深呼吸してその通りに実践した。事細かに、いろいろ搬送先の先生に聞かれた。
酔って吐き気がするのか、緊張して吐き気がするのかわからないけれど、
吐き気を抑えながら「書類に書いてありますので。」すべてこの一言で返答した。
そう言われたから守った。
吐かなくてよかったと搬送先の病院を出る。搬送してくれた救急車で職場へ戻る。
当時は、搬送してくれた救急車が搬送要請がきていなければ送ってもらえた。
吐かなくて良かったと思えたのは、救急車に乗るまで。
乗ったら、目の前のストレッチャーには毛布しか乗っていないけれど、進行方向に対して90度の椅子に座ることは変わりなし。進行方向は、カーテンがあって進行方向を向いても景色は見えず。緊張がほぐれて、ほっとしているのか、酔っているのか、
理由はわからないが、吐き気をまた我慢して救急車に乗っていた。
職場へ到着。送ってもらった救急隊員へお礼を伝え、病棟へ戻る。
師長へ報告し終了。「顔色悪いね。どっちが患者かわからないね。」
先輩方大爆笑。車酔いを一言も言っていないのに、顔色ですべてばれた。
これは、「搬送児以上に顔色悪い看護師」と大爆笑付きで数年語り継がれた。
夏。子どもたちと海へ行く行事が計画された。隣の県へバスで日帰り。
新人はもちろん参加。無事故で子どもたちの行事を終わらせることができるようにと準備を行う。残る先輩方に「顔色良くして行けよ」なんて言われながら
「任せてください!ピンクの口紅がいいですか?赤ですかね?」なんて返せる
くらいに少しは成長している私。
海になんて、小さい頃以降行っていない。どちらかといえば、インドア派の私には、久々の夏らしい行事。でも、これは仕事。
でも、仕事じゃなければ、自分で海なんて行かないから。やっぱりいいチャンス。
行きのバスでは、子どもたちと大はしゃぎ。歌を歌い、なぞなぞやしりとりしたり。ちゃんと進行方向を向いているから酔わない。よし!いいぞ私。
海では、子どもたちとたくさん楽しんだ。天気も良くて、きれいな青空と、深緑色の海も、白い砂浜もいい!子どもたちもケガせずに思う存分遊び、
ちゃんとご飯も食べた。帰りのバスは子どもたちはぐっすり眠っていた。
無事故で帰れる。語り継がれることなんてない。
はずだった。
しかし、私は大事な事を忘れていた。日焼けである。
顔は化粧をしていたのでセーフ。
首から背中、腕が大変なことになった。真っ赤になり、水疱が数か所できた。
翌日の出勤でユニフォームが当たる上半身が痛い。激痛と言ってもいいほどの痛み。
水疱には絆創膏を貼るが、貼った絆創膏が刺激になって痛い。広範囲の赤みには塗り薬を塗っても、衣類に当たる痛みは和らぐことはない。痛みを軽くしようと変な動きになった。先輩方はおもしろがって触ってくる。ロボットみたいと笑いながら。
「日焼けロボット」数日は痛いところをつつかれながらまた語り継がれた。
秋。旬の果物で季節を感じるようにと梨狩り行事が計画された。
もちろん私は参加。もはや、秋になると新人扱いされない。
誤嚥せずに梨を食べて、楽しめるように。ある程度、仕事にも慣れて子どもたちの状態把握もできている。子どもに応じて食べられる大きさや柔らかさが違うため、切るためのナイフとまな板、おろし器、個々に応じたスプーン、トロミ剤など準備万端。行事の流れ、準備をした方が良いものなど、だいぶ自分で考えられるようになっている。厳しいと思っていた、現場で一人で学べ方式も秋頃には慣れてきた。
行きのバスではしゃいで、到着すると梨の木をみて喜ぶ子どもたち。
木は低いが、車いすの子どもたちには高く見える。
ずっと上を見て首痛いよなんて笑いながら、みずみずしい梨をお腹いっぱい食べた。
誤嚥せずに食べることができた。ほっとする。あとは無事に帰ろう。
梨を小さく切ったり、すりおろして残ったものは、一つの皿にまとめられた。
最後の片付けで、その一皿をどうするか。もったいないので、私がもらった。
ゴロゴロ果実入り梨ジュース状態。一気飲みした。とってもおいしい。自分も楽しんでいるとはいえ、子どもたちと一緒に食べられるわけではなく、緊張感は常にある。
乾いていた喉がうるおされた。ずっと子どもたちと梨ばかりを見ていた中で、一気飲みして上を向いた時に、すこし遠いが向こう側に木々が見えた。
「あれトトロのモデルになったところ」と先輩が遠くを見ている私に教えてくれた。モデルになった森ってあるの?!それもこんな近くに!初めて知ったトトロの森に
感激してしばらく見つめていたような気がするが、たぶん数秒程度。
でも、感覚としてはかなり長く眺めていたように思える。
いまだにその時を思い出せる。
地方育ちの私には、こういった自然の姿は久々に見ると感動するようにDNAに組み込まれている。と思う。ましてや、好きな映画のモデル地を目の前にしている。
感動しないわけがない。
帰りのバスは、トトロの森が見えるルートで帰った。
トトロの森に感動する私を見た運転手役の先輩が、少し遠回りしてくれた。
バスの窓が森の緑でいっぱいになった。あまりのきれいさに息を止めた。
「梨を一気食いした。」と帰ってから先輩方に言われた。
「いいえ、あれは梨ジュースの一気飲みです。」と訂正すると、これ以降
飲み会では一気飲みをすすめられるようになった。
残念ながら、お酒は飲めないので、オレンジジュースの一気飲みである。
いい飲みっぷりだと先輩方からたくさんおだてられ、木に登った(気分!)。
よくこれで「豚」とあだ名がつかなかったと思っている。
冬。冬の景色を見ようとドライブ行事が計画された。
トトロの森を通るルートである。乗り降りをしないドライブだけ。
いつもお留守番の子どもたちが参加できないかと提案した。
先輩方が賛成して、体調が悪くなければできる限り全員が見ることができるようにしようとなった。率先して私は参加希望した。あの森をまた見たかった。
3往復の計画。1日森を見られるとワクワクした。
雪が降ったらよかったねといいながら、時々、窓を開けて冷たい空気を感じながら
子どもたちはキャーキャー喜んでバスの中で冬を体感して過ごした。
体調が思わしくなく、今までの行事に参加できなかった子どもたちも、おうちの人の許可をもらって外出。いつもお留守番の子どもたちも参加できたことは、子どもたちのその後の生活の質に大きく影響した。他の子と共通の話題を持てることが、こんなにいい方向へ行くのかと、子どもたちを通して知る機会になった。
トトロの森を見ると、子どもたちはとても喜んでいた。私もワクワクしていた。
子どもたちが喜ぶならと行事はトトロの森を通るルートを計画することが多かった。
子どもたちがと言うが、本当は、私が見たかったというのが大きな理由。
それはずっと内緒。ばれていたら、「トトロ」とあだ名がついていただろうと思う。
聖地巡礼として、モデルになった土地を訪れる人の気持ちが良くわかる。
私の聖地巡礼は、これが1番目。
そして看護師1年目もここ。現場経験はここから始まった。
今では、救急搬送に付き添っても酔わない。
搬送先の先生や看護師さんから何を聞かれてもきちんと答えられる。
深呼吸 まもり ちとせ @azuki-purin
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