恋は突然に

●その日の夜

「和泉候補生」


 夕食後、自習室から出た美奈代は、その声に振り返った。


「あっ」


 思わず出た声に、自分で驚いた。


 知的で涼やかな顔立ち。クールなのに目元に優しさがある。

 背はそれほど高くないが、適度に引き締まった体つきは、制服の上からでもよくわかる。

 汚れ一つない詰め襟の制服。その襟元に付けられている分隊番号は1。

 そして、その胸元で光るのは候補生全員をまとめる学生隊総隊長章と分隊長章。

 候補生の中で最も成績優秀、素行良好だと、二つの記章が保証してくれる。

 ただ、正直なことを言うと、この時点で、美奈代が逢いたい人物ではなかった。


 第一分隊分隊長、染谷瞬そめや・しゅん


 分隊長同士の会合で顔なじみにはなっている相手に、美奈代は形ばかりの敬礼をした。


「すまないが」

 答礼しつつ、染谷は言った。

「時間、とれないか」


 その声には、普段にはない、何か緊張しているような色があった。

 第一分隊とのもめ事があったばかりだ。

 個別に報復されるのではないかと、美奈代はさすがに警戒した。


「何か、ご用ですか?」


「うん」染谷は頷いた。

「ここでは何だから……」

 染谷はあたりを見回した。

「図書室は閉鎖だし―――物陰だと君に警戒されるだろうし」 


「……」


「……まいったな。女の子と安全に会話出来る場所……とは」


「……あの」

 困惑する染谷を前に、美奈代は言った。

「今、ここには自分達しかいませんが?」


 その言葉に、染谷は驚いた様子で、あたりを見回した。

「あっ」

 美奈代の言うとおりだったと、初めて気づいたらしい。

 校内消灯、1時間前。

 今時、こんな時間に自習室にいる物好きはそう多くない。


「あ……ああ。そう……だね」


「何です?」


「……」

 どうやって切り出そうか。

 染谷は何か迷いながら、しばらくの後、ようやく言った。

「手を貸してほしい」


「?」

 美奈代は無言で右手を出した。


「……そうじゃなくて」


「は?」


「力というか……知恵を貸してほしい」


「第一分隊は」

 美奈代は真顔で言った。

「力も頭脳も、ウチのようなドンガメ分隊より優れていると思いますが?」


「……ううっ。そうじゃくて」


「どう聞けばわかります?」


「……黙って聞いてほしい」


「はい」


「……まず、この前、僕がいない間に分隊が引き起こした不祥事を、分隊長として謝罪したい。非はすべて、こちら側にある」


「……」


「ただ……いろいろあって、それを認めない。受け入れないどころか、逆恨みする連中が……どうしたんだい?」

 染谷は、無言で手をあげた美奈代に言葉を止めた。


「……発言を許してください」


「……君は僕を馬鹿にしているのか?」


「警戒しているんです」美奈代は答えた。


「こんな夜中に、人気のない所で男と二人っきり。しかも、あんなセクハラ分隊のトップとです」


「……返す言葉がない」


「昼間に声かけてください」

 美奈代が染谷を避け、歩きだそうとした。


「待ってくれ!」

 染谷はその進路に立ちはだかった。

「昼間だと、池田教官の目があるんだ。下手なことをすると、みんなが迷惑する!」


「……?」美奈代は足を止め、まっすぐに染谷を見上げた。


「頼む」

 その美奈代の目の前で、染谷は頭を下げた。

「協力してほしい」



「……は?」

 話を聞き終えた美奈代は、あきれ顔で染谷を見た。

「個人的な怨念を晴らすためとはいえ、そこまでやりますか?普通」


「池田教官は、そういう意味では普通じゃない」

 染谷は答えた。

「騎士としては確かに一流だけど、出世欲の権化だ。自分の出世を妨げるようなものはすべて認めない」


「その中に?」


「分隊の不祥事で始末書を書かされたことに激怒している。責任はすべて第七分隊にあると」


「そんな!」


「わかってほしい。そんなこと考えているのは、教官だけだと」

 染谷は、美奈代の反論を妨げるように早口で言った。

「そのために、教官は第七分隊と僕達の模擬戦を仕組んだ。

 元々、“雛鎧すうがい”と“幻龍げんりゅう”では勝負にならない。

 それだけじゃない。

 教官は、“どうあっても、第七分隊が負けざるを得ない”ことを仕組んでいる。

 完璧な出来レースを進めようとしている」


「私達が―――負けざるを得ない?」


「僕にも詳しいことはわからない。ただ、教官は常にそう豪語している。“二宮も終わりだ”とね……あの口調からして、教官はウソを言っていないのは確かだ」


「……」


「考えてほしい」

 染谷は美奈代の両肩をしっかりと握ると、まっすぐにその目を見つめながら早口で、奇妙なことを言った。

「教官が“幻龍げんりゅう”をどうやって手に入れたかを、僕は知っているんだ」


「……あ、あの」


「何か、この富士学校の機密を他部署に売り飛ばして、その見返りとして借り受けたんだ。僕はその会話を聞いたんだ!」


「で……ですから」


「そこまでするからには、教官はもう、事故に見せかけてでも第七分隊と指導教官である二宮中佐を亡き者にしようとするに違いない。

 そのお先棒は僕達第一分隊が担ぐことになる。

 模擬演習で候補生が死んだら事故死。

 教官の責任は問われない。

 だけど―――実際に手を下す僕達は!」


「……染谷候補生っ!」

 美奈代の声に、染谷は驚いた顔で言葉を止めた。

 目の前、しかもものすごく間近に見える美奈代の顔は、真っ赤になっていた。


「……えっ?」

 恥ずかしそうに伏せられたまつげさえはっきりと見えるほど、美奈代の顔は近い。

 かみしめられた唇が魅力的にふるえているのがありありと見える。

「……あっ」

 つまり、自分が顔を近づけているということだ。

「わわっ!」

 染谷はあわてて美奈代との距離をとると、まるで“降参”といわんばかりに両手をあげた。

「す、すまないっ!ヘンなことするつもりはないんだ!」


「……」

 胸元を押さえながら、美奈代は言った。

「話は、二宮教官にしておきます」


「もうしてある」


「なら、指示を仰ぎます」

 美奈代は泣きそうな顔で後ずさった。

「正直、話が大きすぎて信じられません。それに私は」


「だけど―――」


「第一分隊を信じていません」


「っ!」


「今の私達の分隊同士の関係は、こんな時間に、唐突にそんなこと言って、信じてもらえる関係ですか?まず、互いに信じられるように、何かしたのか、考えてください」


「……だけど」


「失礼しますっ!」

 美奈代は駆けだした。



「待ってくれっ!」


 その声は背中で聞いた。




 その声から逃れるように廊下を走った美奈代は、


 自分がどうやって部屋にたどり着いたか。


 どうやって眠ったのか。


 ただ、染谷の顔と、掴まれた手の感触以外、何も思い出せないまま、朝を迎えた。



 はっきり寝不足だ。


 ―――いかん。


 美奈代は鈍い頭を軽くふって食堂に入った。


 食事をとる候補生でごった返す食堂。

「……?」

 急いで配食の列に並んで配食用のトレーをとった美奈代が、奇妙な視線を感じたのはその時だ。


 ―――ヒソヒソ

 ―――マジ?

 ―――ホントかよ


 そんな声があちこちから聞こえてくる。

 我ながら地獄耳だと感心しつつ、美奈代は何も聞こえないフリをして食事を受け取り、空いている席に座った。


「美奈代さん」


「おっはよ♪」


 振り返ると、美晴とさつき、そして山崎がトレーをもって立っていた。

 別な席に座っていたが、美奈代の姿を見て席を移ってきたらしい。


「おはよう」

 そう答えた美奈代に、


「聞きましたよぉ?」

 美晴は、興味津々の顔で言った。


「染谷君と深夜の逢い引きですか?」


 ブッ!

 美奈代は思わず飲みかけていたみそ汁を吹き出した。

「きったないわねぇ!」


 心底むせぶ美奈代の背中をさすりながら、さつきが言った。

「染谷とあんたが自習室の前でキスしていたって噂が立ってるのよ」


「だ、誰が!?」


「誰かが昨日、見たらしいけど、二宮教官の耳に入ったら大変よ?」


「それにしても、染谷君とは」

 何かを納得したように、美晴は何度も頷いた。

「理想が高いですねぇ。和泉さん」


「―――で」

 ぽんっ。というより、ガシッ!とさつきは美奈代の肩を押さえた。

「どうやって染谷をたぶらかしたのか、教えてほしいなぁ。なんて♪」


「だ、だからっ!」


「見苦しい言い訳はやめましょう。美奈代さん」

 美晴はICレコーダーをポケットから取り出した。

「ネタはあがっているんです」


「何もしていないっ!」


「じゃあ、二人で何していたんです?」


「美晴。そりゃもう、はっきりナニよ!」


「違うっ!」


「じゃあ、何していたのよ」


「だからっ!」

 美奈代は言葉に詰まった。

 池田教官の話を、美奈代自身が信じていないと言い切った。

 それをここで口にしていいはずはない。

 かといって、下手なウソをつけば事態はもっとやっかいになる。

 なら?


「……っ」

 美奈代は完全に言葉に詰まった。


「やっぱりそうなんですね?」


「……へ?」


「そんなに深い関係だったとは」


「……そうねぇ」


「ち、ちょっと待て。二人とも?」


「同期だから、仲間だと思っていたのに」


「いくら何でもひどい抜け駆けですよねぇ」


「な、何の話だ?なぁ、二人とも」


 席から立ち上がろうとした美奈代の耳に、不意にチャイムが聞こえたのは、その時だ。


「生徒の呼び出しを告げる。

 和泉美奈代候補生、染谷瞬候補生、至急校長室へ―――繰り返す」


「……」


「……美奈代」

 ポンッ。

 さつきは気の毒そうな顔をしたまま、頭を抱える美奈代に言った。

「ご愁傷様」


「お幸せに」


「……いっそ殺してくれ」





-----キャラクター紹介---------

染谷瞬そめや・しゅん

・第44期主席候補生

・メサイア適性BBB+(作者注:これでも通常のメサイア使いとしてはハイスペック)

・実家は代々国会議員。

・メサイア使いとして武功を立て、それを元に議員選挙に勝てと教え込まれて育ってきた。

・性格的に不器用だが、心優しい青年。

【ネタバレ】

・キャラクターイメージは『機動戦士ガンダムUC』のリディ・マーセナス。












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