シミュレーター
シミュレーター 第一話
「シミュレーター。これが本物なら、貴様等の棺桶と呼ぶところだ」
富士学校の一角に二宮の声が響く。
最低限の照明しかない広い室内にはバレーボールをそのまま巨大化したような白い機械の塊が並んでいる。
その塊の各所に繋がれたケーブルと、下回りを支える複雑なアブソーバーやスプリングが、一体どういう使い方をするか、何となくわからせてくれる。
つまり、日常において定義される「普通でマトモなこと」には決して使われない。
そういうことだ。
「メサイアのコクピットで五体満足な死体が残ることはほとんどない」
二宮は言った。
「挽肉にされるか、生きたまま火葬されるか……口さがないアメリカ人達が、メサイアのコクピットを“
それを聞く候補生達は顔色一つ変えることはない。
全周約3メートルの円形状のコクピットでどうしてそんなことが起きる?
目の前の教官の言葉を、単なる脅しだと思っているからだ。
二宮は顔をしかめた。
彼女は決して嘘や脅しを言っているのではない。
そうやって死んでいった仲間を、実際に見聞している。
つまり、事実を言っているのだ。
だが、その経験のない候補生達は、どれほど言っても、コクピットで騎士が挽肉になるなんて想像さえ出来ない。
ここに入るだけで気絶するなんて離れ業をしてのけた美奈代を除いて……。
「……まぁ、いい」
二宮は諦めている。
新米教官だった頃は、蕩々と言葉の意味を説教したものだが、すでに無駄だと悟っているのだ。
ただ、はったりだと思われるのだけは、面白くはない。
「今日、貴様等の乗るのは、単なるシミュレーターに過ぎない。何かの間違いで、本物に乗った時には、私が言っていることが正しかったと理解するだろう―――多くは死ぬ時に」
二宮はそんなイヤミを言うだけに止めた。
「まぁ。どっちにしろ、我々教官は、教えることは教えた」
二宮は、あえて教え子を突っぱねるような口調になった。
「限られた時間の中で、ただ聞く人形をやっても何の意味もないことは、これまでの訓練の中で骨身にしみているだろうし?これだって、単なるオモチャのつもりなら、待っているのは、貴様等の確実な死そのもの。それだって百もご承知だな?」
「はいっ!」
訓練生達の返答を聞いた二宮は、手元の資料をめくりながら言った。
「まず、本シミュレーターは、メサイアの動きを完全に再現するために、コクピット回りを構成するものだ。だが、単にコクピットの形だけを再現しても何の意味もない」
訓練生の何人かが、首を傾げた。
「早瀬。意味がわからないという顔をしているな」
「はぁ……」
早瀬さつきは首を傾げながら言った。
「シミュレーターって、コクピットを再現して、その操縦に慣れさせるための装置ではないのですか?」
「ふむ……本来なら腕立て20というところだが、まぁ、いい」
青くなる早瀬は、小さく安堵のため息をついた。
「メサイアを操る以上、メサイアの高い機動にパイロットはついていかなければならない。しかも、かなり厳しい動きに、だ」
候補生達の顔は、一様に「わかっている」という顔だ。
「だからこそ、このシミュレーターは、メサイアの機動を完全に再現出来るように作られている。具体的には、各種G、振動、衝撃―――これらによりメサイアが受けるダメージが、操縦システムを通じてパイロットにダイレクトに来ることは、座学で説明済みだな?」
「はい」
「擬似的な実戦を搭乗者に味わわせるための装置。それがコイツだ。単に操縦を知るという部分だけを考えてデパートの屋上にあるオモチャと一緒に見るな」
「……」
候補生達から返答はない。
「よし。数の問題がある。ペアを組め」
二宮はそう言うと、ページをめくって固まった。
「?」
皆の疑問を含んだ視線が集中する中、二宮はやっと出した。といわんばかりの声を、文字通り絞り出した。
「特1号騎へ天儀、和泉……他は好きにペアを組んで乗れ」
早瀬さつきが搭乗することになったのは、シミュレーター2号機。 ペアは美晴だ。
「じゃ、準備開始するよ?」
シミュレーターの前に立つ整備兵の一人が、手元の装置をいじり出す。
シミュレーターの前面部分が二つに割れ、中からシートがせり出してきた。
「あれ?」
それがさつきには疑問だった。
「コクピットって、上から入るんじゃなかった?」
「それは実騎」
整備兵は言った。
「実騎は、専属パイロットの身体的特徴にあわせたセッティングがされてるけどさ?不特定の騎士が乗るシミュレーターではそうはいかないだろ?その関係で、あえてシステムをコクピットから引き出して、騎士の体格に合わせてセッティングする。―――ま、他の国じゃ、こういうタイプのコクピットの方が一般的だけどな」
「近衛のコクピットは、もう、その騎士専用にセッティングされてるの?」
「Lサイズの服しか着れないヤツに、Sサイズの服を着ろって命じているようなモンさ」
「ふぅん?よくわかんないけど」
「最初は慣れないかもしれないけど、後は場数だよ―――それと」
なぜか整備兵がさつきに渡したのは、ビニール袋だ。
「何?」
「すぐにわかる」
整備兵は、意味ありげな顔で言った。
「頼むからこいつで済ませてくれよ?後始末、俺達なんで」
何でこんなものが必要なんだろう。
それはイヤでもわかった。
起動手順はクリア。
スイッチや計器類が書かれた紙を壁に貼り付け、二宮の指導の元、指が痛くなるほど押し続けた
後はシステムを動かすだけ。
恐る恐る脚を動かし、メサイアの動作を表示するモーションモニターの端に表示されるメサイア稼動情報表示を見る。
一歩踏み出していた。
また一歩。
また一歩。
歩いている。
世界最強の兵器が自分の意のままに動くことは、さつきにとって新鮮な感動だ。
「すご……」
モニターが映し出すのは、疑似環境。
手足が動く感覚が、皮膚越しに伝わってくる。
メサイアが手を動かし、歩くというのがどういうことか、さつきにきちんと教えてくれる。
わずか1分足らずで、さつきはメサイアの感覚に慣れてしまった。
もっと揺れるかと覚悟していたが、魔法により完全に近い慣性制御が施されたコクピットは、システムが微弱な揺れを情報として伝えてくる程度で、この程度の動作では全く揺れないに等しいと、冷静に判断する余裕さえあった。
掌を見ようと右手を動かすと、モニターの向こうでメサイアの手が動き、首を動かせばメサイアの視界がそちらの方向へ動く。
「こういうものなんだ……」
『早瀬候補生』
通信機に教官の声が入る。
「はい」
『歩行訓練はクリアした。これからは戦闘機動に移ってもらう』
「戦闘機動?ま、待ってください!私、そんなの!」
『すべてオートで行われる。その際のシステムの動きを、今のウチに味わっておけ―――やりたきゃマニュアルで対応してもいいぞ?』
そんな無茶な!
私はまだ歩ける程度だよ!
そんなさつきのもっともらしい抗議は、最後には言葉にすらならなかった。
「大丈夫ですか?」
シミュレーターから降ろされ、床にノびたさつきの顔を心配そうにのぞき込むのは祷子だ。
同性として羨ましいを通り越している美貌の持ち主である祷子の顔を間近で見られるのは嬉しい限りだが、時と場合にもよる。
女の子に生まれてくるなら、こういう風に生まれたい。
男にモテるだろうなぁ。
見る度に、心底、そう思わせる祷子の美貌を今、独り占めしている満足感も、くすぐったくなるほど心地よい不思議なコロンの香も、正直、どうでもいい。
「……死んだと思った」
そういうのが精一杯だ。
胃の中のものは全て戻してしまった。
毎日、時間をかけて手入れしているパイロットスーツはゲロまみれだ。
ビニール袋を開く暇すらなかった。
今朝に限って、教官達がやたらと「メシちゃんと食え!」と言って回ってきた理由がわかった。
最後には胃液すら出なかったが、あれは辛かった。
三半規管がどうにかなったみたいだ。
目の前がぐらぐら揺れている。
この気持ち悪さは説明が出来ない。
「そんなに揺れるんですか?」
「最初がウソみたい……戦闘機動に切り替わった途端、振動とか、とにかく全部がすさまじくシビアになって……」
「はぁ」
祷子が辺りを見回した視線の先。
先発でシミュレーターに乗って、今、立っているのは美奈代だけだ。
足下ではバケツを抱えた都築がノビている。
「美奈代さん以外、みんなぐったりされています」
「あいつ、バケモノよ」
「10騎を撃破。実戦ならダブルエース誕生ですよ?スゴイです」
「私の気絶回数は、そんなもんじゃない」
「ふふっ」
笑う祷子に、さつきは気づいた。
「美奈代、戦ったの?って言うか、突発的に出来ることなの?戦闘機動よ?」
「普通の人にケンカが出来るか―――その問いと同じだって二宮教官は言ってました」
祷子はなぜかペロリと舌を出した。
「同じ事、教官に聞いて怒られちゃいました。座学で何を学んでいた!って」
「ふふっ……声マネ似てない」
「あら。ヒドイ」
笑おうとして吐き気に襲われたさつきは、口元を抑えながら言った。
「私も戦えば良かった……そう言いたいけど、こんなの、人間の乗れる代物じゃない……」
「スピーカーから、皆さんの悲鳴が聞こえてましたけど……」
「あんたも乗ってみればわかる」
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