A:悪魔の契約書にサインしたことです
最後の検査日は、市役所職員採用試験と同じ日。
そういうことになった。
知った時の絶望感は、言葉に表せるものではない。
理由の如何を問わず、検査日の変更は出来ません。
検査は法律で義務づけられています。
そんな、あまりに無慈悲にすぎる返答で、検査の延長申請は潰された。
刑法犯に問われるより、就職浪人の方がマシ。
担任に説得された私は公務員の道を断念、自分の血を泣いて恨んだ。
しかも……。
涙で乗り越えた検査結果は、何時まで経っても来なかった。
恨み辛みを胸に進路指導室の壁に貼られた求人を眺める頃には、すでに秋も過ぎ去ろうとしていた。
世界的不況だとか、いろんな事情があって、ただでさえ新卒の採用が厳しい中、めぼしい求人は見あたらない。
一緒に市役所を目指した友達は見事採用試験に合格し、免許をとるために教習場に通い出したせいで、ちょっとだけ疎遠になったのがさみしい。
明日からストーブをつける。
HRでそんな話が出た日。私は校内放送で呼び出された。
場所は校長室。
私、何かしたか?
戦々恐々として部屋に入った私を待っていたのは、引きつった顔の校長と教頭。
そして、いかにも「お堅い仕事をしてます」って感じの、スーツ姿の男達だった。
神崎。
その中の一人、白髪交じりの髪を寸分の狂いもない七三分けにした年長の男が、イヤに親しげな口調で自らをそう名乗って、高そうな革のケースから名刺を取り出した。
生まれて初めてもらった名刺の肩書きは、
宮内省近衛府人事局採用本部部長
そう書かれていた。
宮内省近衛府は、亡き父の勤務先。
世界トップレベルの騎士団の一つ、近衛騎士団を擁する近衛軍を管理する公的機関だ。
そんなトコロの採用関係の偉いさんが自分を訪ねてきた?
今でなら、緊張でぶっ倒れても、笑いもしない。
ところが……だ。
何だこりゃ?
当時の私の感想はそんなものでしかなかった。
「それで?」
緊張した顔の校長や教頭が見つめている前で、神崎さんに勧められるままにソファーに座った私は、ハンカチを取り出して、名刺をその上に置いた。
「父について―――何か?」
「ん?……ああ」
何を言われたのかわかっていない。
神崎さんは、そんな表情をわずかに浮かべ、少しの間視線を宙にさまよわせた後、
「お父上は、2年程前にアフリカ戦線で未帰還。規定により戦死認定されたのでしたね」
そう、答えた。
「はい」
面食らった。
近衛の人が私を訪ねてくるのだから、きっと父のことだろうと思ったのに。
「残念ですが、今回、私がうかがったのは、お父上に関してではありません」
「では?」
―――突然ですが、近衛は、
冗談。
そう思った。
近衛軍、特に近衛騎士の精鋭ぶりは世界的に知れ渡っている。
その名は名誉と栄光の代名詞。
ただ、私は自分のことを理解している。
つまりは、そんなトコロが自分を相手にするはずがない。
ってか、私は自分が騎士なのかどうかさえ知らないんだ。これは一体、何の冗談だ?
「それにしても」
いろいろとついていけない私を置き去りにしたまま、神崎さんはテーブルに書類を並べ始めた。
その声は妙に楽しげだった。
「私も長年こんな仕事してるけどね?キミのような“マスターピース”をスカウトするのは初めてだねぇ」
マスターピース。
その言葉を私は知らなかった。
後から知ったことだけど、騎士の能力は、基本的に魔法もしくは科学(化学)を用いた測定によって外部から謀り知ることが出来るそうだ。
その測定結果は「騎士ランク」と呼ばれるが、検査は単純なものだ。
人の持つ素質を、
肉体(SFS)
魔力(SMS)
メサイア操縦能力(SMD)
魔法科学を応用した装置により、おおまかにこれら3つの側面から測定するだけ(補足 検査そのものは、本当は数十項目に渡る幅広いものだが、詳細は国家機密指定されている)。
社会的な地位はともかくも、騎士個人としての“価値”は、この結果(特に肉体能力)によって決まる。
生まれもって決まるこの“素質”は、汗臭いマンガやアニメみたく“努力”だか“根性”だかによってひっくり返せるほど簡単ではない。
文字通り「生まれ」が人の一生を左右するこの社会では、この検査結果は決定的な意味を持つ。
最高ランクはFL(フローレス)。
最低ランクはDマイナス。
Bの評価を受ければランクが“高い”とされ、それ以上の、Aともなれば“稀少品”扱いされる。
―――以上、テキストの朗読終わり。
神崎さんが一番最初に私に見せてくれた書類は、いつまでたっても来なかった検査の結果。
肝心のそれは、私には得体の知れないグラフや数字の羅列にしか見えなかった。
どう読むのかさえわからない。
眉を潜める私の表情から、それを悟ったんだろう。神崎さんの説明によると、私は数度の検査の全てにおいて、メサイア操縦能力(SMD)で、
AAA-(トリプルエーマイナス)
そんな結果が出たという。
神崎さん曰く、これだけで「“超”がいくつもつく貴重品」なんだそうだ。
しかも、それだけではない。
特別称号である“マスターピース”というおまけつきだ。
“マスターピース”。
なんだそりゃ。
さらにわかんない。
さらに続いた神崎さんの説明によると、
「ランク測定では計りかねる潜在能力を持つを示す特別な称号。別に言えば、ランクを超越した眠れる能力の持ち主であることの証明」
なんだそうだ。
……成る程?
それで読めた。
確かに、そんな貴重な存在なら、騎士を擁する組織が放っておくはずもない。
……でも。
だからどうした?
そう思うのも確か。
私は騎士階級に生まれたらしい。
だけど、騎士として生きるつもりなんてない。
本気で、そう思っていたから。
神崎さんは、そんな私にお構いなしに話を進めた。
―――就職をお考えだとか。どこか内定を?
決まっているなら進路指導室に毎日通うはずもないし、どうせ校長当たりから説明されているだろうに。見透かされたような質問は面白くない。
―――ちなみに、我々が提示出来る雇用条件はこうなりますが。
差し出された書面の一部を神崎さんは指さした。
“初任給”
どう断ろうか考えつつのぞき込んだその額に、私は目を見張った。
その横に並んでいた数字は、求人票で見慣れたそれとは一線を画していたからだ。
※提示する金額は、あくまで参考にすぎません。
書類の下に埋もれた、そんな“契約上、一番大切な言葉”に全く気づかない、いや、気づけないアホな私は、しばらく固まったまま動けなかった。
就職を希望する心が“決めろ”とはやし立てる。
一方で何かが“やめろ”と足掻く。
「こことここにサインを」
額に脂汗を浮かべていたろう。
そんな私相手に楽しげに微笑んだ神崎さんが万年筆を差し出した。
高そうな万年筆を掴むなり、私の手はゆっくりと、必要事項を記入し始めた。
―――詳細は後日云々。
そんな言葉さえ、私はほとんど聞き流した。
毎月、これだけもらって、これに遺族年金も入れば……。
帰り道、そんな金勘定ばかりが頭を駆けめぐった。
これで父さんにも面子が立つだろうなぁ。ちょっとした親孝行かなぁ。なんて、センチなことに浮かれきっていた。
でも……。
人生最大の失敗だっけ?
はっきり言ってあげる。
答えは―――。
「あの書類にサインした事」
これね。
騎士としての教育を受けるため、養成訓練機関、富士学校へ入学する。
私の前に開かれた人生の進路。
それがどんだけ間違いだったかは、すぐに知れた。
高校卒業を間近に控えた頃、住み慣れたアパートも退去すべく手続きをした。
別に、私が入れるんだから、そんな難しいことはやらされないだろう。
もし、イヤならさっさと辞めればいい。
私には遺族年金もあるし。
そんなソロバン勘定もあった。
ところが―――だ。
近衛から採用関係の通知とは別に届いたのは、就職と同時に遺族年金を打ち切る通知。
そして、アパート退去に際して、修繕費その他の名目で大家から突きつけられた請求書。
貯金は限りなくゼロ。
収入途絶。
前途絶望。
私には、環境の激変に呆然とするヒマもなかった。
もう前に進むしか選択肢はなかったのよ。
……ああ。
いいから。
そこで手を合わせてくれなくて結構よ。
---キャラクター紹介-----
・メサイア使い(騎士ランクAAA+ 特別スキル:マスターピース)
・キャラクターイメージは『空の境界』の両儀式と『ココロコネクト』の稲葉姫子
・声は沢城みゆきさん希望
・間違っても泉野明ではない。
---用語解説-----
戦争
・小説内における「戦争」は、特別な記述が無い限り、下記のいずれかを指す。
・別名北米大戦。
・アメリカ連邦(北部)とアメリカ連合(南部)の経済摩擦から発生した内戦が国際戦争に発展したもので、この世界唯一の世界大戦でもある。(作者注:この世界では第一次・第二次大戦は起きていない)
・日本はアメリカ連邦に所属して参戦。
・最終決戦となるサンタフェ会戦においてアメリカ連邦が勝利したことにより終戦が決定。
・1945年8月15日、サンフランシスコ湾上において戦艦ミズーリ艦上で終戦協定が結ばれた後、同年9月1日、アメリカ連邦がアメリカ連合を吸収する形でアメリカ合衆国が発足した。
・アフリカと南米で行われた人類最大規模の戦争。
・人類対魔族(妖魔)との戦争
・死者行方不明者は35億人。
・突如出現した妖魔達によってアフリカと南米から人類が駆逐された三週間戦争からヴェルサイユ条約発効によるアフリカ解放宣言までの一連の戦争を指す。
・この戦争により、アフリカと南米の人類は一時的に絶滅させられた。
(作者注:この世界はキリスト教の力が低いため、現実の三十年戦争(1618-1648)は起きていない)
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