ヴァルキリーズストーム 〜人型兵器に乗って戦争するだけの簡単なお仕事って、なんか違わなくないですか?

綿屋伊織

序章 和泉美奈代

Q:人生最大の失敗は?

 人生最大の失敗?


 唐突に何?


 ……え?

 質問に答えろ?

 おエラいのね、あなた。

 ……。

 そうね。


 私、一応は“騎士”でしょう?


 騎士って何かって?


 騎士ってのは、甲冑を着て馬に乗って戦う“職業”じゃないわ。


 一種の超人。


 中世以来、厳然とした身分制度が残るこの世界で、騎士は反乱を恐れる王族や貴族達によって、それらに次ぐ階級階級と、それに見合う様々な社会的特典を与えられてきた。


 戦争の時は兵器として扱うため。

 平和の間は飼い殺しにするため。


 平和の時代には嘲笑の種とさえなる“灰かぶりの剣”でしかないけれど、いざ戦争となれば人々を恐怖のどん底に突き落とす“殺戮の剣”となる騎士。

 世界史の時間の多くは、その血にまみれた栄光を教えることに裂かれていた気がする。


 騎士。 


 それは力。

 力こそが全て。

 生きた戦闘兵器。

 それが騎士。

 

 騎士は、自ら何かを選ぶ事は出来ない。

 生まれた環境と、時流に翻弄される存在。

 人殺しの道具。

 そんな存在。


 私、和泉美奈代いずみ・みなよも、そんな騎士階級に生まれた一人。


 といっても、私は騎士としての自覚なんてこれっぽっちもない。

 刃物ってハサミか包丁ぐらいしか握ったことがないし。

 腕力だか握力だか、そんなものはほとんどない。

 自分で言うのも何だけど、走っても運動しても、ただひたすらに「普通」。

 体育の成績は万年「3」。

 おかげで、私自身、騎士らしい能力を自覚したことなんて一度もない。

 ……というか。


 はっきり言う。


 私は高校三年生まで、自分が騎士だと言うことさえ知らなかった。


 それでも騎士か?


 そう思うかも知れないけど、言い分はある。

 

 この世界には、私のような、“騎士と呼べなくもないが、騎士と認めるのも問題”な連中はゴマンといるの。


 騎士なのに、騎士に求められる身体能力が発揮できない。


 騎士階級内部では、こんな連中を、


 “騎士崩れ”

 

 そう呼んで蔑む。


 “騎士崩れ”


 その名は、同じ騎士に同族扱いを拒まれて当然の、“恥ずかしい”存在とされている。

 

 ……まぁ、私にとってどうでもいい話だった。

 ずっと次のテストがどうとか、駅前のあんみつ屋がどうとか、誰と誰が付き合い始めたとか、そんなことばかり気にしながら、どこにでもある地方の県立高校に通っていた程度に、私はどこまでも普通だったから。


 精一杯、普通と違う所と言えば、育ち位。


 私は生まれてすぐに孤児院に入って、そこで育った。

 本当の親が誰か知らないし、里親になってくれた人もコロコロ変わった。

 私の「和泉」という姓は、“最後の”里親の姓に過ぎない。 

 最後の里親となった人―――私の養父は、日本の騎士としてはトップ中のトップである近衛騎士。

 その人となりは一言で済ませることが出来る。


 仕事の鬼。


 そんな人だった。

 最初から最後まで私を顧みることはなかった。

 義理だか付き合いだか知らないけど、望んで私の里親になってくれたんじゃない。

 その程度は、会ってすぐにわかった。

 騎士として、軍人として、出征に次ぐ出征を重ね、ほとんど日本にいることさえ希。

 自分が「親」であることを自覚していたのかさえ、定かではない人。

 希に顔を合わせても、口にするのは仕事の事ばかり。

 どうせ、返事はもらえないだろうと、戦地の父へ手紙を書いた覚えさえほとんどない。


 そんな父もアフリカで戦死。


 遺体は帰ってこなかった。


 爪と髪だけが入った棺桶を送り出す合同慰霊祭っていうのには出た。


 その後、私の収入源は、父の給与振り込みから遺族年金に変わった。


 父が死んだことより、毎月の収入が極端に減ったことの方がショックだった。


 最初の振り込み額を見て、朧気に夢見た大学進学ではなく、就職を考えるようになっても、それでも父の死に対して涙も出なかった。


 心配なのは親の喪失よりも明日の生活。


 とはいえ、別に就きたい仕事や向いていると思う仕事もなかった。


 高校三年の春。

 進路を“就職”と決めて望んだ進路相談の席上、「どんな仕事に就きたいか」と訊ねられ、私は本音を語った。

 つまり、真顔でこう答えたんだ。

 

 「とにかく楽したい。

 難しいことしたくない。

 定時に帰りたい。

 ボーナスはしっかり欲しい」


 結果、「人生と苦労の価値について」と題した担任と進路指導の教諭の説教を小一時間は喰らった。


「答えに最も近い」

 その後、担任から勧められたのは市役所の職員だった。

 少なくとも定年まで勤めたら恩給が付く。

 恩給。

 それがいくらだか知らないが、金がもらえるならいい。

 その帰りに本屋で採用試験の問題集を購入、自らの進路を「公務員」と定めた。

 後は、試験に合格して、市役所で働いて、結婚でもして、静かに死ぬ。

 自分の人生はそれで終わる。

 まぁ、十分だと、私はそう思っていた。


 ところが、そうはいかなかった。 


 人生の転機は、それからすぐに来た。


 “騎士階級に属する未成年者は、騎士能力の検査を受けることが法律で義務づけられています。貴校の生徒、和泉美奈代は、その検査を未だに受けていません。”

 

 高校へそんなハガキが送られてきたのが、そもそもの発端だった。

 騎士個人の能力を測定する検査があること自体、私はその時、初めて知った。

 へぇ?

 その時の私の感想は、その一言で足りる。

 どうでもいい。

 私にとって市役所採用試験の方が余程大切だ。

 騎士だろうと何だろうと、役場に雇ってもらえたら、それで生涯安泰なんだから。


 ただ、それで済まなかったのは、このハガキを受け取った高校だ。


 “指定の日時に測定検査を受けなければ、本人及び関係者が刑法犯として処罰されます”


 この場合の関係者とは、高校のこと。

 指定の検査日は、通知が来たその日だった。


 「何とかしろ!」

 「俺の年金生活を潰す気か!」

 定年間近、年金ばかりが心配で、不祥事について病的なまでに神経質に陥っていた当時の**校長の命令によって、私は検査会場まで連行された。


 その時、私は中間テストの真っ最中。


 一日かかった検査の結果、私は四科目で追試を受けるハメになった。

 ボロボロの試験結果を前に悲嘆に暮れる中、届いた検査結果は、さらに私を泣かせるものだった。


 曰く―――再検査。


「もうイヤだ!」

「うるさいダマレ!」


 そんな職員室でのやりとりもあり、脱走を懸念した学校側によって、再検査には早朝、アパートまで押しかけてきた担任の監視付きで送られた。


 指定された検査場所は県内ではなく、東京の某大学付属病院。


 担任がアパートまで押しかけてこなければ、絶対に行かなかっただろう。


 新幹線に乗ったのも、“銘菓ひよ*”と“東京バ*ナ”を食べたのも、その日が初めてだった。


 でも、その時は、まさか再検査で何度も東京へ送られるとは考えもしなかった。


 検査の度に立派というか、巨大な建物の中をたらい回しにされ、あっちで検査、そっちでレントゲン、こっちで採血……こんなことを何度もやらされれば誰だってうんざりするはず。


 検査終了後に「おみやげ」と称してもらうクッキーやケーキだけが唯一の慰み。

 それをつまみながら、市役所採用試験の問題集を読みふけることが数度。

 検査は検査。

 どうせ、ロクな結果にはならない。

 そう割り切っていた。


 読みは正しかった。 


 確かに、ロクな結果にはならなかったのだから。

 

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