5千回負けた女
かつての陸軍少年戦車兵学校を引き継いだ古ぼけた学校。
富士学校はそんな所だ。
陸軍が少年戦車兵の採用をやめた後、近衛が施設を譲り受け、巡り巡って世界最先端のメサイアを駆る騎士達――メサイア使い――の養成学校となった経緯がある。
その訓練対象は、メサイアを生まれて初めて触ったという素人から、屍山血河をくぐり抜けてきたベテランまで幅広い。
当然、そのニーズに対応すべく、かつての校舎の周囲には、次々と巨大なビル群が建築された。
その結果、今や富士学校は、学校そのものより関連施設の方が圧倒的に広い。
それを証明するのが地名だ。
富士学校町。
つまり、富士学校は、すでに一つの街なのだ。
学校施設に付随した、大規模演習設備の他、中隊規模の集団演習も出来る、世界最大規模のシミュレーター施設、一からメサイアを開発できるという大型研究設備、メサイアの整備工場、国際会議も開かれる各種会議場、宿泊施設、各種トレーニング、ジャクジー付の大浴場等のリラクゼーション設備。それでも足りないのか、教官向けのコンビニや食堂。さらに関係者の家族の居住用マンションに、それを相手にした商店街まで幅広いニーズに対応出来る設備に満ちあふれている。
その一角に、メサイアの開発部門が占有している区画がある。
第9区画と呼ばれている。
規模で凌ぐのは演習区画だけという、広大な施設だ。
航空写真で富士学校を見ると、まるで第9区画に他の区画が寄生しているように見えるというから、その規模がしれる。
富士学校を隠れ蓑にした、近衛のメサイアの設計と試作が行われる、国家レベルでの最重要区画の一つであり、学生は近づくことも許されていない。
富士学校での物語は、ここから始まる。
●入学式から半年後 富士学校第9区画
「……それにしても」
シミュレーターが派手に揺れるシミュレーションルームとは強化ガラスで区切られたコントロールルームの中、冷たい視線でモニターを見つめるのは
人目を引く美しいボディラインをスーツに納めた、メガネの似合う美女の目の前、スピーカーの向こうからは断続的な悲鳴が聞こえてくる。
「ボキャブラリーの豊富な娘ねぇ」
ギャァッ!
ミギャァァッ!
ホゲェェェッ!
「そういう問題ではないと思いますよ?」
あきれ顔で突っ込みを入れたのは佐藤主任。この区画の責任者だ。
「バックラッシュをまともに食らってるんです。下手すりゃ死にます」
「事故死ね」
「死因はそうでしょうが」
佐藤は言いづらそうに続けた。
「あの、佐渡さん?」
「メサイア操縦適格者ですよ?」
沢渡はモニターを見つめたまま、静かに答えた。
「決して一般人ではありません」
「でも……」
「本部のお墨付きですから」
「かれこれ半年ですよ?半年、毎日20時間もシミュレーターに乗せて、それでも指一本動かすことが出来ない娘をこんな――」
「ですから」
佐渡は佐藤に向き直ると、佐藤の姿勢が自然と直立不動になる。
佐渡のめがね越しの視線は、佐藤にとってご褒美のようなものだ。
「その原因を調べて欲しいと命令――失礼。お願いしているのです」
「そ、そうですね。そうでした」
佐藤は取り繕うように答えた。
「色々やってるんですけどねぇ……原因がさっぱり」
「半年もシミュレーターに乗せても全然ですものね。一般人でも指一本くらいは動かせるはずなのに」
「そうなんです。ライブラリにあるシミュレーションデータのほぼ全部を経験させたんですが、何の変化もありません」
「こんな異常が起きることは理論上ない……」
何かしら?
沢渡が小首をかしげる。
「シミュレーターの機械上の問題は?」
「何回載せ替えても全く変化なし」
「……ログは?」
「原因不明のエラーの羅列です」
「調べたんですよね?」
「それでも原因不明です。少なくとも、この手のエラーに該当する情報は、マニュアルやテキストには書かれていない」
「具体的に、どんなエラーなのですか?」
「読み取り不能」
「読み取り?それって」
「そうです。メサイア使いの神経とメサイアのデータリンクが出来ない。或いは」
「或いは?」
「あり得ないんですよ」
佐藤は肩をすくめて見せた。
「ごく希なケースです。メサイア側でパイロットを拒否する場合、似たような現象が起きます――“拒絶現象”といいますが」
「しかし、あれは」
「そうです。例えば、β級に慣れきった超上級のベテラン騎士が、格下のα級メサイアに搭乗しようとしても、メサイアが騎士の操縦を過負荷に感じて動かなくなる現象ですが、まぁ、この子の場合、そんなワケなし……」
「……」
「セッティングはα級で最低レベル。サポート機能は許容範囲ギリギリのレベルで入れている。つまり、あのシミュレーターは今、一般人でも通常動作だけなら出来るレベルにしているんです。それでも指一本動かないってのは……」
はぁっ。
佐藤は肩をすくめた。
「ある意味、才能ですよ」
「……今」
佐渡は表情を変えず、視線もスクリーンに見つめたまま言った。
「面白いことを言いましたね」
「面白い?」
「そう。β級の操縦とか」
「ダメですよ!」
予想外の言葉に、佐藤は慌てて反論した。
「死んでしまいます!」
「……」
沢渡が無言で指さしたのは、部屋の隅で静かにしている別なシミュレーターだった。
「勘弁してください!」
意味を悟った佐藤が悲鳴を上げた。
「“あの”シミュレーターの意味は、ご存じでしょう!?」
「最新鋭β級メサイア“白龍”。その操縦適任者養成用シミュレーター」
「そこまでご存じならわかるでしょう?何かあったらどうするんです!こっちじゃ面倒は見切れません!」
「勿論」
「なら――」
「ショック療法ってご存じ?」
シミュレーターが停止して、ハッチが開かれる。
メサイアのコクピットだけを切り取って、メサイアの動作を追体験するための設備がシミュレーターだ。
研究員達によってその中から引きずり出されたのは、なんと美奈代だった。
驚くべきは、その格好。
髪は乱れ、顔は涙と涎でボロボロ。黄ばんだ襟や袖から察するに、ろくに風呂どころか着替えもしていない、まるで女浮浪者の様相だ。
その両腕を掴んで研究員が隣のシミュレーターに放り込む。
「シミュレーターを半年も借り切って“楽しんだ”ご褒美――じゃなくて」
それをなんとか止めてもらおうと、泣いて抵抗する美奈代の様子に背筋がゾクゾクするものを感じつつ、佐渡は続けた。
「5千回分のシミュレーション費用は、例えあの娘がお風呂に沈んでも払いきれる代物じゃないですよねぇ」
「ま、まぁ……そりゃ」
「なら」
抵抗もむなしくシミュレーターにくくりつけられた美奈代の前でハッチが無情にも閉められる。
表現のしようもない、絶望の叫びがスピーカーから聞こえて来る。
「せめて命で払ってもらいましょう」
「……了解」
佐藤は全てを諦めた。という顔でマイクを握った。
「美奈代ちゃん。落ち着いて」
「ううっ。ううっ……グスッ。もうヤダぁ……帰るぅ……おうち帰るぅ……」
「うんうん。これ終わったら、お休みしようね。佐藤のお兄さんとの約束だ――って、ホントに大丈夫っすかね。あの子、幼児退行してますよ」
「構いません」
佐渡はうなずいた。
「5千回の全戦全敗記録は永遠です」
「何だかなぁ……おい、中村ぁ!とっとと動かさんか!モードA01からでいいですか?」
「待ちなさい。モードC13からです」と佐渡の指示が飛ぶ。
「ちょっ!?」
皆がぎょっとなった。
モードCは戦闘訓練。
α級のシミュレーションで指一本メサイアを動かすことが出来なかった娘に耐えられる代物ではない。しかも、13は――
「ベテラン向きの特別モードでやれと!?」
通常のシミュレーションモードは全部で12。
それで満足できないベテラン向けに用意された別ステージがモードC13からの特別ステージだ。
「然り」
「知りませんよ!?あのモードでバックラッシュをまともに食らったら本当に!」
「ここで死んでおく方が」
佐渡は言った。
「この娘にとっても幸せでしょう」
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