とてもお辛い経験をされてきたのですね。
表現することは大変だったと推察しますが、とても伝わってきました。
小細胞癌の初期のレントゲンを拝見したことがありますが、「ほら、これ」と言われても、これが? と思うくらいわからないものでした。まさに疑ってかからないとわからない、ものでした。
なので、症状がで始めた時はかなり進んでいるという点が怖い点ですよね。
ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます(*´ω`*)
演劇の道に入ったばかりのころ、日常では害にしかならないような経験でも、表現者であるかぎりそれはすべてあなたの宝で武器になるといってくれた人がいました。
表現者として、創作者として、今もわたしの根っこにはその言葉があります。
小細胞肺がんを初期でみつけるのはほんとうにむずかしいみたいですね。
当事者やその家族からすればいいわけにしか聞こえないんですが、それはたぶん担当の先生もわかっていて、だから説明する際もひどく申しわけなさそうにしていました。
こちらこそ、お読みくださいまして☆もありがとうございます️(๑ˊ꒳ˋ๑)
もう三年ほど前になるでしょうか。
私よりも年下の詩人として才能を持つ親戚がガンで亡くなったのは。
コンテストで賞をとりながら障害のある兄弟の面倒を見て、社会人としても最前線で働く、とても立派な方でした。
その方が病床で残した詩は、読んだ人の心に響く感動的なものでしたが…。
書籍化されるにあたって本人の希望により、闘病の詩は削除されてしまったのです。
私が元気だった頃の作品を残したい。
健康だった自分を思い出してほしい。
それが彼女の願いでした。
ですので、このエッセイにレビューを書くことはちえ様にとって必ずしも本望ではないかもしれませんが、どうかお許し下さい。
言葉に力があると信じているから私達はカクヨムで活動を続けているのです。
警告と告白は多くの人に届けられるべきなのだと、私は思います。
身勝手な長文を大変失礼いたしました。
作者からの返信
まずはコメントとレビューをありがとうございます✧
診断から息をひきとるまで、ほぼリアルタイムでひとりごと記録(とてもエッセイとは呼べない)を書いていたんですが、年が明けるまえに一度『外に向けて』だしておきたいなと思いまして。ただ、そう思ったのが三十日だったもので突貫仕上げになってしまいましたが(;^_^A
わたしにとっては、人に読まれることを前提として書くということ自体が重要だったので、読者さんの反応があってもなくてもどちらでもいいと思ってました。でもコメントくださる方のなかにはご自身の経験を話してくださる方もいて、公開してよかったなと思います。
一矢さんも大切なお話をお寄せくださって、重ねがさねありがとうございました。
編集済
「生きて」という言葉は、本当に身に染みますね。私も普通の人よりは死に近い職場に身を置いていますので、「生きて」という言葉や、生の先にある死について考える事もあります。
多くのご遺体と向き合ってきましたが、特に自殺のご遺体と対面するのはいつまで経っても慣れません。もちろん生きるのが辛いという気持ちも理解はできるのですが、月並みですが「生きたい」と思っていた人がいることを考えると、絶対に止めたいと思ってしまいます。
ちえさんもお母様の言葉を胸に、簡単に言ってしまって申し訳ないのですけど、頑張って下さい。私は何があっても、応援してします!
素晴らしい、身に染みるようなエッセイでした。
作者からの返信
真に愛された記憶を持っている人間は、なにがあってもなかなか自殺にはいたらない。というような話を聞いたことがあるんですが、今回なんとなくその意味がわかったような気がします。
薮坂さんのお仕事も、ほんとうに大変なお仕事ですよね。とうとつに断ち切られてしまった命と向き合うことも多いと思います。
この先たとえばまたそういう衝動が起こっても、きっとひきとめてくれるだろう声が自分のなかにあると感じられるのは思いのほか心強いものですね。その中心にある母の声を補強するように、薮坂さんやカクヨム仲間さんたちの声まで感じられるわたしは、ほんとうに果報者だと思います。ありがとうございます。
お読みくださいまして、コメントと☆もありがとうございます(*´꒳`人)
わたしも母が亡くなるまえには、出来るだけのことはやろうと思い、あれこれやったつもりです。それでもね……やっぱり「ああすれば!」「こうしていれば!」と後悔ばかり思い出します。
もうすぐ母が亡くなって二十年になろうとしています。
きっと「これで十分!」なんて親孝行は無いのかもしれませんね。
今は「ふとした拍子に母を思い出す」、それが今できる親孝行なのかなぁ?と思っています。
作者からの返信
齢七十になろうという現役ヘルパーさんいわく、一生懸命お世話をした人ほど後悔するものらしいです。近くにいたからこそ、もっとああしていればこうしていればというものが出てくるのだと。そうなのだとしたら、できるかぎりのことをした上での後悔はそう悪いことでもないのかもしれないなと思います。
そうですね。思いだすことが一番の供養で孝行になるのかもしれません(*´ω`*)
コメント失礼いたします。
>最後、母がわたしにいった言葉は『生きて』でした。
凄い言葉ですね。
お母様は本当になにかを感じ取っていたのかもしれませんね。
でも、感じ取っていなくても、亡くなる方が、それを言い残したというのは凄いです。
お会いしたことはないですが、強い人だったんでしょうね。
ちょっと格好いい人とも思います。
僕もそういう格好いい人になりたいですが、僕は僕のことでいっぱいいっぱいですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます️(๑ˊ꒳ˋ๑)
そうですね。母をひとことであらわすなら、おっしゃるとおり『強い人』というのが一番しっくりくるような気がします。
妹たちのため、友だちのため、子どものため、いつも誰かのために骨を折っているような人でした。
わたしには気にかけるような家族も友人もいないので、心置きなく自分のことだけ考えとこうと思います。←
わたくしも死ぬまで生きる人生ですけれど、
せっかくだから楽しいことをして過ごしたいと思っています。
できるだけやりたくないことはやらずに生きようと決めました。
あまり実践できていませんけれど。
でも、それほどやりたくないと思わないことをやって生きているかな。
ともかく、野々ちえさんに死んでほしくありません。
生きようと思ってくれて、ひと安心です。
作者からの返信
ありがとうございます、ありがとうございます.˚‧º·(´ฅωฅ`)‧º·˚.
苦労したのは母であってわたしではないですが、我慢はもう一生分したような気がするので(え)
わたしもこれからはやりたいことだけやって生きてゆきたいと思ってます。これまでもわりとやりたいことしかやってこなかったような気もしますが。笑
編集済
癌は通院していても、癌の可能性をかなり意識して調べないと見つからないみたいですね。実は伯母が今年癌で亡くなりまして。診断が出てから三週間で亡くなりました。それまで、いろいろ病院で調べてたんですけどね。いよいよ歩けなくなるまでわからなくて。もっとすぐ見つかるものだと思ってたので驚きましたよ。難しいですね、病気は。
作者からの返信
やっぱりそうですよねえ。なにかしら症状があったとしても、疑われる病気にしぼって検査をしないとわからなかったりしますし。
がんは末期でもかなりギリギリまでふつうに動けてしまったりするみたいですからね。
それにしても三週間とは。
伯母さまが心安らかでありますように。
コメントありがとうございます( *´ω`* )
私の父は、「世の中は順番なんだから、悲しむな」と言いました。
肺がんでした。見つかった時には、余命1ヶ月と言われました。
入院がいい。家には帰らない。痛み止めだけで治療はしないと。
もう少しジタバタしてほしかったなあ。家族としては。
作者からの返信
このいいかたは適切ではないかもしれませんが、お父さま潔い方だったんですね。家族は切ないですが。
うちにきていたナースのひとりが、七十年以上生きたからもういいんだという母に『何歳だからいいなんてことは絶対にないんだよ』といってくれたのがすごく印象に残ってます。ナース自身、寝たきりのお母さまを自宅介護しているという方だったので、なおさらだったのかもしれません。
身近な人ががんになり、同い年な友人が腫瘍で手術をコロナの中受けるというタイミングでこちらを読みました。
自分も気をつけなきゃだけど家族が……となった時自分はどう行動を取ったり助けることができるか色々と考えてしまいました。
すごく読みやすかったと思います。
作者からの返信
それはいろいろとご心配ですね(*´ƠㅿƠ*)
ご友人の手術、成功されますように。
コメントと☆をありがとうございます⌖˚