1-3
「木葉くん、おはよう」
紺色のセーラー服に身を包んだ少女が、登校中だった木葉の裾を引いた。詰まった学ランの襟が喉に当たり不快だ。煩わしさをひた隠し、木葉は愛想よく挨拶を返す。
「おはよう、櫻木さん。今日も早いんだね」
「この時間に登校すれば、木葉くんと一緒に学校へ行けるじゃない」
そっか――小さく微笑んでから相槌を入れ、木葉は散った桜並木の通学路を真っ直ぐ見据える。
ぴったり横に並び歩幅を合わせる彼女は、櫻木マヤ。中学生になって早々にできた木葉の恋人だ。同じ小学校で面識はあっても、親しい間柄ではなかった。なのに、一週間前に執り行った入学式の日、彼女は恋人になりたいと木葉に告白してきたのだ。
木葉は他者との親密な関係など望まないし、興味も持たない。煩わしく思いながらも揉め事は回避したく、悪態を着くようなことはしなかった。だが、彼女からはすぐにでも返事が欲しい、どうしても恋人になりたいと求められ、苛立ちにひきつるこめかみを疎ましく感じながらも、困った笑みは崩さなかった。
木葉はある条件を開示し、彼女の返答次第で承諾すると申し出た。マヤはその条件を二つ返事で快諾。約束通り木葉はマヤの恋人として振る舞っている。
「今日も頼むね」
そう言って、木葉はマヤに素っ気ない茶封筒を差し出した。A4紙三ツ折サイズで宛名もなく、糊付けされた事務的な封筒だ。それを受け取ったマヤは木葉を訝しげに見る。
なにか――そう木葉が疑問を口にするより先に「雪葉ちゃんは木葉くんのお姉さんなんだよね? 双子って、嘘じゃないよね?」と、早口に言い放った。茶封筒を握る華奢な指先には力が入り、嘆くように震え、表情は薄暗く曇っている。
「そうだけど、どうして? 君は、こんなにそっくりな他人がいると思ってる?」
「思ってないけど――、でもやっぱり変だよ。姉弟なのに口を利けないとか、顔を会わせるのが難しいなんて、変じゃん」
「変だって自覚しているよ。だから君に、文通の伝達役を頼んでいるんじゃないか。雪葉との連絡手段は」これしかないんだ――そう口にした自身の声音に、木葉は訝しく眉を寄せた。噛み締めるような重さに、精神的に余裕がないのだと悟る。たった一人の姉と、たったわずかな時間さえも共有できない。制約してくる大人を牽制できない、無力で非力な自身に腹が立つし、悔しくて堪らなかった。
「木葉くん家の事情は、なにも教えてもらえないんだね」
言った寂しげなマヤの問いに、複雑すぎるんだ――そう困った風に返す。特別に隠したい事柄ではなかったが、他人へ説明するとなると難しいし、堪らなく面倒だった。ただでさえ今の木葉の思考は、常に臨戦態勢を取っている状態なのだ。極力無駄な会話は避けたい。
「私が木葉くんの彼女なんだよ? それでも言えないの?」
「ごめん――今はまだ」
口角が震えて言葉を続けられなかった。煩わしさを悟られぬよう、口をつぐみマヤから顔を背ける。瞬時に自分を繕い、真摯な眼差しでマヤの目を真っ直ぐに見て口を開く。
「俺は、君だけを頼りにしているんだ」
木葉は胸中で自分自身を嘲笑った。よくもこんな、心にもないことを――と。
「わかったよ、木葉くん!」
と、あからさまに嬉しそうな笑みを閃かせ、恍惚に染まる程に頬を赤らめた。たったの一言で彼女は満足したらしく「雪葉ちゃんから預かってきたよ」と、いかにも幸福だと言う笑顔のまま、白い封筒を差し出した。
雪葉からの手紙を受け取り、すぐに開封する。軽く内容に目を通した。
鮮やかな葉桜は淡い色を脱ぎ捨てて、上手く色彩を届けやしない
薄れない興味はいつ開かれたの?
それは私への気遣い? ケーキは必要じゃないの
あなたは気にする? 私は興味ない
簡素な短い手紙だった。木葉は眉間を険しくし、手紙の文言を睨み付ける。怨めしくて溜め息が出そうだった。
《鮮やかな葉桜は淡い色を脱ぎ捨てて、上手く色彩を届けやしない》
淡い色は桜色、恋人を指しているのだろう。届けやしないなら、仕事ができていないと言うことだ。
櫻木マヤは仕事をこなせていない。
《薄れない興味はいつ開かれたの?》
好奇心にまけて手紙を開いた。
《それは私への気遣い?》
バレないように細工を施している。
《ケーキは必要じゃないの》
詰めが甘い。
《あなたは気にする? 私は興味ない》
気にするまでもないことだ。
雪葉の言葉に言い換えるなら、きっとこうなる。
あなたの雇う仲介さん、あなたのことに興味津々のようね。好奇心に負けて手紙を開いちゃってるわよ。バレないように気を遣ったみたいだけれど、詰めが甘いわね。こんなんじゃあ、私の目は誤魔化せない。まあ、読まれて困る文章ではないわ。覗かれることを想定した暗号文ですもの。
確かに覗かれることを想定してはいるし、素直に読んだだけでは理解できない。気にすべきことではないと理解しているが、やはり受け入れられない。雪葉との会話を邪魔された気分で、内蔵が翻るように怒りが沸いた。
「ねえ、木葉くん。今週末なんだけど、どっかデートに行かない?」
「君とか?」行くわけない――甘えてきたマヤを鋭く突っぱねる。息を飲む音がマヤの喉から漏れた。
「あ、ごめん。えっと――忙しかった?」
溜め息がでる、バカは休み休み言え。木葉は冷血な目でマヤを見据え「今ここで、君との契約を打ち切る」金輪際俺に関わるな――音で殺すような声色で言い放った。
「ど、どうして――急に、そんなっ!」
「理由は自分でわかっているだろ? 君のような仲介能力皆無な無能に用はない。わからないか? 使えない人間に時間を割く程、俺は暇じゃないんだ」
そう吐き捨て、呆然と佇む彼女を置き去りに、さっさと学校への道を進んだ。
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