第6話 瑞樹の思い



 どうして・・・


 どうしてこうなったの!?


 もう、訳がわからない!!


 夜になり、私は震える手でスマホを持ちながら何とか彼へメッセージを送った後、ベッドに倒れこみ枕に顔を突っ伏して嘆いていた。


 何!?


 何がいけなかったの!?


 私は何を・・・どこで間違えたの!?


 いくら考えた所で、答えなんて出るはずがない。


 それでも考えずにはいられない。


 更には頭の中を巡る、過去の思い出。


 嫌だった事や辛かった事。

 それに対して、嬉しかった事や楽しかった事。


 今思い返されるその全てが、何かしらで彼に関わりのある出来事だけだった。


 そして今回の件で、自分がどこで選択を間違えたのか、何をするべきだったのかなどの後悔の念が再び浮かぶ。


 様々な思考が頭の中でぐるぐる巡り、考えるのを止める事が出来ない。


 もうさすがにここまでくれば、自分の気持ちを誤魔化せない・・・

 私は自分の気持ちに気がついてしまっていた。


 ああ、私は彼の事が・・・

 異性として、こんなにも好きだったのだと・・・


 私は、彼との何気ない会話、日常が楽しかった・・・


 彼がたまに言う冗談が楽しかった・・・


 その冗談に私が合わせるのも楽しかった・・・


 私が変な事を言ってしまった時に見せる、彼の困った顔を見るのが好きだった・・・


 彼に物を借りた時に、僅かに触れた手・・・


 どんなに握りしめたかった事か・・・


 そして何よりも・・・


 彼の笑顔が愛おしかった・・・


 だから、この関係を壊したくはなかった・・・


 その思いから、無意識的に自分の気持ちに蓋をして誤魔化し続けていた・・・


 彼が私の事が好きかわからないのに、私が自分の気持ちに気がつく事で彼に告白して、この関係が崩れるのが怖かったから・・・


 でも、もう遅い。


 今更、それを理解した所で後の祭り・・・


 今となっては、彼とあの子を祝福してあげないといけないのに・・・


 でも・・・


 夢であってほしい・・・


 嘘であってほしい・・・


 現実ならば、今すぐにでも別れてほしい・・


 出来る事なら時間を戻して、今回の事が起きないようにしたい・・・


 そんな事ばかりが頭をよぎり、そう考える自分が本当に嫌になってくる。


 妹に別れてほしいと願う姉なんて・・・

 本当に最低・・・


 そして、再び思う。


 どうしてこうなってしまったのかと・・・




 それは今朝の事。


 私はいつもより少しだけ寝坊してしまった。


 とはいえ、たったの10分程度。


 でも、私にとっては大きな10分。


 なぜなら・・・


 私は今のクラスになってからは、予鈴の20分前には教室に来るようにしている。


 それなのに、10分も寝坊してしまうと、いつもの電車に乗る事が出来なくて、その時間に登校する事が出来なくなってしまうから。


 特に、今の窓際の席になってからは絶対に遅れる事が出来ない。


 どうしてって?


 だって、私は20分前に自分の席に座って、窓の外を見ていたいから。


 そこからは、ちょうど校門が見える位置で生徒達が登校する姿が見える。


 その中から、彼の姿を見つけるのが楽しみだった。


 そして彼が登校する姿を見えなくなるまで眺め、彼が教室に入ってきたら彼よりも先に挨拶をする。


 それが私の朝の日課であり、何よりも大切な時間だった。


 だからこそ、10分でも遅れる訳にはいかない。


 私は急いで起きると軽くシャワーを浴び、髪を整えて歯を磨き制服に着替える。


 本当なら朝食もきちんと摂っているんだけど、今日はそんな時間はない。

 いつもの電車に間に合わなくなってしまうから。


 お母さんに、「ちゃんと朝食は食べなさい!」と声をかけられたけど、私は「ごめん、いらない!」と言って、急いで用意を終えて玄関に向かう。



 思い返せば、それこそが私の致命的なミスだった。


 お母さんはいつも、朝食を食べているテーブルにお弁当を置いてくれている。

 そして朝食を食べ終えると、お弁当を持っていって鞄に入れていた。


 なので、朝食を摂らなかった私は、そのテーブルに行く事もなければ、お弁当の事すら忘れてしまっていた。


 私の頭の中は、いつもの時間に教室に辿り着けるかどうか。


 ただその一点だけだった。



 結局、いつもの時間に間に合う事が出来てほっとする。

 そのまま私はいつも通り彼が登校するのを待ち、彼が教室に入ってくると挨拶をする。


 そして、彼といつも通り楽しく会話をしていた。


 私が登校する時間が早い事を聞かれた時には、ドキッとした。


 それで、私がボソッと呟いてしまったのだけど、それに気がついた彼が私の口元に耳を寄せてきた時には、あまりの顔の近さに恥ずかしくて慌ててしまい、彼の顔を手で押しのけてしまった。


 その時に彼の口から漏れた言葉が可笑しかった。


 その後も、彼が冗談を言った事に対して私がむくれてみたり、それに対して彼が意地悪を言ってくるので私は泣き真似をして彼を困らせてみたり、再び冗談を言い合ったりして楽しかった。


 これまでの私は、彼がというよりも彼と楽しく過ごせるこの時間が好きだった・・・

 そう思い込もうとしていたんだ・・・


 でも・・・

 この瞬間が、私の最後の幸せな時間となってしまった。



 少しして、妹の柚希が私の弁当を届けにわざわざ教室までやってきた。


 よく上級生のクラスに普通に入ってこれるなぁ、と我が妹ながら感心して話を聞いていた。


 その際、ふと柚希が私の後ろの席に目線をずらす。

 すると、柚希は突然固まってしまう。


 彼が何かしたのだろうかと考えて後ろを振り向こうとした矢先、柚希に「ちょっと来て!」と腕を引っ張られて教室を後にする。


 そして、あまり人気ひとけの無い廊下の端へと連れて来られていた。


「柚希、急にどうしたの?」


 柚希のいつもとは違う感じに、私は少し心配になって声をかけてみる。


 すると・・・


「お姉ちゃん!」


 と、なぜか鬼気迫るというか気迫とでもいうかを感じさせながら、力強く私を呼んだ。


「な、なに?一体どうしたのよ・・・柚希」


 私は今まで見た事のない柚希の迫力に、少しだけ後退りをしてしまう。


「お姉ちゃんの後ろの席にいた人!あの人はなんていう名前なの!?」

「えっ?由比くんの事?」


 グイグイ迫って来る柚希に、聞かれた私が思わず問いかけてしまう。


「私が聞いてるんだから、確認されてもわかるわけないでしょ!?・・・でも、その人は由比って言うのね!?」

「え、ええ、由比水輝くんだけど・・・」


「へえ、由比水輝先輩・・・お姉ちゃんと同じ名前なんだぁ」

「う、うん、偶然にもね・・・」


 私が彼の名前を出す度に、柚希が自分の胸に刻み込むかのように彼の名前を復唱するのを見て、何か嫌な予感を覚えた。


「やっぱり・・・運命なのかもしれない!!」

「えっ!?」


 柚希の突然放った言葉が、私には全く意味がわからなかった。


「だって、私の大好きな姉と同じ名前なんだよ?これはもう、運命しかないじゃない!!」

「は、はあ・・・」


 私には柚希が何を言っているのかも、何を言いたいのかも全然理解出来ないでいた。


「あ、確認なんだけど、お姉ちゃんは由比先輩と付き合ってたりする?」

「つ、付き!?ちょ、な、なにバカな事言ってるの!ゆ、由比くんとは、た、ただの・・・友達です!」


 私は柚希の予想外の言葉に、心臓が跳ね上がるくらい動揺をして、どもりながら“ただの”の部分を強調して否定してしまう。


「そっかぁ、付き合ってないならよかった!・・・だったら、お姉ちゃん?・・・申し訳ないけど、お願いがあるんだけど・・・聞いてもらっていい?」

「えっ?な、なに?」


 動揺を隠そうとしながら、柚希のお願いを聞くことにした。

 ただ柚希がお願いしようとしている事に、何となく一抹の不安がよぎる。


「今日の放課後、由比先輩を呼び出して・・・もらえないかなぁ?」

「・・・えっ?」


 な、なんで、柚希が・・・

 由比くんを呼び出してほしいって・・・


「そ、それは、ど、どうして!?」


 嫌な予感が、私の中でドンドン大きくなっていく。


「・・・由比先輩は覚えてないかもしれないけど・・・私は去年、由比先輩に助けられた事があるの」

「へ、へえ、そうだったんだ・・・そ、それで・・・?」


 そんな事があったなんて知らなかった。


 でも、そんな事よりも・・・

 その続きは、ただお礼を言いたいだけだと言うつもりなんだよね!?


 私は心の底からそう願う。


 ・・・しかし、その願いは脆くも崩れ去る。


「その時から私、由比先輩の事が好きだったの・・・もちろん、先輩がこの学校にいるなんて知らなかったし、もう会えるとも思っていなかったから諦めていたんだけど・・・でも、まさかお姉ちゃんと同じクラスにいて、しかも私の好きだった人が私の好きな姉と同じ名前だなんて!これは運命以外には無いじゃない!」

「・・・・・」


 ・・・私の嫌な予感は的中してしまった。


 柚希が彼の事を・・・?


 いつから・・・?


 どこで・・・?


 どうして・・・?


 聞きたい事はいくらでも出てくる。


 それに運命というなら・・・

 彼と同じ名前であり、同じクラスになり、そして席もずっと近くになり続けた自分の方が、よほど運命だと言える。


 でも、どうしても口から言葉が出てこない・・・


 聞きたい事も聞けない・・・


 言いたい事も言えない・・・


 そもそも、自分の主張を柚希に言えるはずもない・・・


 なぜなら・・・


 私も妹の事が・・・


 柚希の事が大好きだから・・・


 柚希を悲しませたくなんてない!


 柚希の喜ぶ顔が見たい!


 柚希の為に何かをしてあげたい!


 私は姉として、柚希には幸せになってほしいから・・・


「私はこの折角のチャンス、逃したくはないの!もちろん、結果はダメでも構わない!・・・ううん、ダメに決まっているかもしれない!でも、以前伝えられなかったこの思いを・・・私の思いだけでも伝えたいの!」

「・・・・・」


 私が様々な思考を駆け巡らせて黙っていると、柚希が真剣な眼差しで私に懇願してきた。


 ああ・・・

 この子は私と違って自分の気持ちに素直で、そして強い子なんだ・・・


 ううん、強いというわけじゃないんだね・・・

 だって、今も握りしめた拳がプルプル震えている・・・


 ダメでいいはずがない・・・


 柚希も怖いんだ・・・


 告白する事が・・・


 その結果を知る事が・・・


 怖くて怖くて仕方が無いんだ・・・

 逃げられるものなら逃げ出したいんだよね・・・


 でもきっと、もう会えないと思っていた彼を見て、諦めていたはずの感情が爆発してしまったんだね・・・


 もう感情が止められないんだね・・・


「・・・ダメ・・・かな?」


 何も言わない私に、柚希が悲しげな表情を浮かべていた。


「・・・う、ううん、わかった!私に任せて!」


 私は無理矢理笑顔を作って、柚希へと向けた。


「っ!本当!?ありがとう、お姉ちゃん!」


 柚希は顔をパアーっと明るくさせて、お礼を言って来る。


「あと、出来ればだけど・・・私が呼び出す事は内緒にしてほしいんだよね・・・」

「どうして?」


「だって、由比先輩はきっと私の事を覚えていないと思うの・・・だから面識がないと思われている可能性が高い私が呼び出しても、来てくれないかもしれないから・・・」

「由比くんに限って、そんな事は無いと思うけど・・・」


 柚希は彼が来てくれない事を不安に思っているようだけど、彼は冗談を言ったり人をからかったりはしても、本当に相手が嫌がる事をしたり相手を蔑ろにしたりするような人ではないはず。


 だけど、それを言った所で柚希にはわからない事。

 だから私は素直に了承する。


「わかったわ。それで・・・場所は?どこに呼び出せばいいの?」


 私は柚希に、場所を聞いておかないといけないと思って尋ねた。

 すると・・・


「学校裏・・・一本桜の所・・・」

「えっ!?」


 呼び出す場所を聞いた私は驚いてしまった。


 いや、告白スポットとして有名な事は私も知っている。

 もちろん、確かにその場所も脳裏をよぎった。


 でも、その場所を彼に伝えるのは私の役目。


 おそらく彼も、一本桜がどういう場所か知っているだろう。


 その場所に呼び出すと言う事は、どういう事なのかを理解するだろう。


 だからこそ、その一本桜は外してくれると期待していた。


「ごめんね、お姉ちゃん。もしかしたら、由比先輩に勘違いさせちゃうかもしれない・・・お姉ちゃんも恥ずかしいかもしれない・・・でも、私が思いを伝えるには、その場所以外には考えられないの・・・」

「・・・・・」


 柚希の思いの強さが伝わってくる。


 それほどに・・・


「・・・一本桜ね?わかったわ。彼にそこに来るように伝えておくね」

「嫌な役割させちゃって本当にごめんね・・・でも、ありがとう!お姉ちゃん!」


 私の返事を聞くと、心底申し訳なさそうに謝り、そして嬉しそうに礼を言って去って行った。


 私は柚希の為に何かしてあげたい・・・


 柚希の喜ぶ顔が見たい・・・


 それは本当の事・・・


 でも、教室へ戻る私の足取りは重かった・・・



 教室に入り自分の席へと戻ると、私の顔に余程出てしまっていたのか、心配した彼が声をかけてくれる。


 その優しさが、今は胸に痛い。


 そのため後で話そうかとも思ったのだけれど、今言わないとタイミングが難しい上、私自身が気持ちに押しつぶされてしまいそうな気がした。


 だから私は彼に、柚希の名前を伏せて一本桜に来て欲しいと伝えた。


 彼の表情を見て、(ああ、やっぱり一本桜がどういう場所か知っているんだね)と思った。


 それと同時に、(ごめん・・・本当にごめんね)と心の中で謝っていた。



 その日は、私と彼はほとんど口をきかなかった。


 その理由は、私と彼とでは全く違うと思う。


 彼は私と話すのが気恥ずかしいというか、何を話していいのかわからなかったのだろう。


 そして私は・・・


 彼に勘違いさせてしまっているだろう事と放課後の事を考え、彼と話すのは気が重かったから・・・


 あんなに彼と話すのが楽しかったのに・・・


 あんなに彼の笑顔を見たかったのに・・・


 今は、彼の笑顔を見る事に耐えられない・・・


 だから私は放課後まで、彼の顔を見る事すらしなかった・・・


 いや、出来なかった・・・



 そしてそのまま放課後になり、私は今日の朝以降で初めて彼の方を見て声をかける。


「じゃあ由比くん。朝の件、お願いね。少し遅れていくと思うから、先に行って待っててもらえるかな?」

「あ、う、うん、わかったよ。じゃ、じゃあ、先に行ってるね」


 そう笑顔で返事をする彼の顔を見るのがいたたまれなかった。


 彼が教室を出て行く姿を見送ると、私も急いで帰り支度を整える。


 そして彼と鉢合わせないようにしながら、玄関で靴を履き替え、彼が通るだろう道と別の道を通り、彼よりも先に一本桜へと向かう。


 本当なら柚希に声をかけていきたかったんだけど、でも昼休みに柚希に伝えてあるから、今は会いにいかなくても大丈夫。


 それよりも、どうなるのか結果の方が気になって仕方がなかった。


 急いで先回りした私が一本桜に着いた時には、案の定彼はまだ来ていなかった。


 私は一本桜に近づくと根元から上へと視線を向ける。


 すごい、近くで見ると本当に大きくて立派な桜・・・


 私は今までこんなに近くで、この桜を見た事が無かった。


 だから一瞬の間、見とれてしまっていた。


 そして、ふと思う。


 本当なら、いずれ私が彼をここに・・・


 そう考えている途中で頭を振り、このままここにいては彼や柚希に見つかってしまう事を思い出し、一本桜の裏手へ回る。


 ここに呼ばれた彼は、おそらく学校側の林が見える正面で待つだろうと考えている。


 だから裏手にいれば気がつかれないはず・・・


 でも、私は最低だ・・・


 人の告白を盗み聞きしようとしているなんて・・・


 本当、最低・・・


 自己嫌悪に陥りながらも、今更この場から動く事は出来ない。


 だって、彼も近くまで来ているはず。


 やっぱり止めようと動けば、きっと彼に見つかってしまう。


 もう仕方がない・・・仕方がないんだ、と自分に言い聞かせる。


 そう考えている内に、ザッザッと足音が聞こえてきた。


 そして・・・


「すごいな、遠くからしか見た事なかったけど、近くで見るとこんなに立派なんだ」


 っ!!


 間違いなく彼の声だ・・・


 彼が私と全く同じことを考えていた事に、嬉しさがこみあげてくる。


 そのせいで私は彼の前に飛び出して行きたい衝動に駆られるが、なんとか自分を抑える。


 そして息を潜めながら、柚希が来るのをジッと待つ。


 その間、10分・・・20分・・・1時間・・・2時間と、永遠にも続くのではないかと思うほど、長い時間の感覚を覚える。


 でも実際には、ほとんど時間が経っていなかった。


 しかし、1分が1時間くらいに感じてしまうほど、もしくは完全に時間が止まったのではないかというほど、時間が進むのが遅い。


 早く・・・早く・・・


 と思いながら待ち続けると、再びザッザッと足音が聞こえてきた。


「佐倉さんの妹さん・・・」


 やっぱり柚希が来たみたい。


 柚希が自己紹介をしても、彼は柚希の名前を呼ばずに「佐倉さんの妹さん」と言ってくれた事に、少しだけ嬉しさと期待感を持ってしまっていた。


 その後は柚希に強く言われた事で、柚希の名前を呼んでいたみたいだけど。


 そして遂に・・・


「・・・・・私と付き合って下さい!」


 言った!!


 その瞬間・・・

 私の胸がドキッとして、心臓がキューっと締め付けられるような感覚に陥った。


 でも、まだ彼からの返事がない。


 だから私は・・・


 柚希、ごめんなさい・・・


 こんな事考える、最低な姉で・・・


 でも、お願い!!


 由比くん、断って下さい!!


 どうか、お願いです・・・


 私は自分を最低だと思いながらも、そう願わずにはいられなかった。


 そして彼からの返事がないことに、再び柚希が告げる。


「・・・私と付き合って下さい!!」


 すると、私の祈りもむなしく・・・


「えっ、あっ、は、はい」


 という声が聞こえてしまった。


「――っ!!」


 私は一瞬声が出そうになり、自分の両手で口を塞ぐ。


 その瞬間、一筋の突風が私に向かって吹き抜け、そのまま木を駆け上るように桜の花へと向かっていく。

 突風により下から花びらが舞い上がり、桜の木からは花が散り、大量の桜の花びらが舞い私に降り注ぐ。


 そして突風に煽られた桜の木の花は、全て散ってしまったような錯覚に陥った。


 まるで、今の私の気持ちが桜に反映されているかのように・・・


 私の思いも散ってしまった・・・


 全てが終ってしまったのだと・・・


 私は全身の力が抜け、そのまま膝から崩れて座り込んでしまった。


 手で口を押さえた状態のまま、私の目からは涙が溢れてきた。


 視界が歪み、流れ出る涙も拭えず、声を上げたくとも声を出せない。


 ただただ、止めどなく涙を流すばかりだった。


 その間、柚希と彼は何か言葉を交わしていたようだが、あまりのショックに耳も遠くなり聞こえない。


 少ししてから、2人が過ぎ去っていく足音だけが聞こえてきていた。


 私は足音が聞こえなくなると桜の木の陰から身を出し、2人の姿が完全にないことを確認する。


 そして・・・


 再び泣いた・・・


 盛大に泣き喚いた・・・




 しばらくして、重い足を何とか引きずりながらも、私は家に帰ってきた。


 一本桜から家に帰ってくるまでの、途中の記憶がない。

 多分いつも通りの道を通ったとは思うのだけれど、帰りの風景が私の頭の中には残っていなかった。


 家の玄関のドアノブを握っても、中々開けることが出来ないでいる。


 ふぅ・・・と、一度深呼吸をして、いつまでもこんなことをしていても仕方が無いと、意を決してドアを開ける。


 すると、パタパタと廊下を走る音が聞こえて、すぐに柚希が出迎えてくれた。


「あ、お姉ちゃん、お帰り~!・・・って、どうしたのその顔!?何かあったの!?」

「えっ!?」


 私は柚希に言われて、玄関にある鏡を覗いて自分の顔を見た。


 すると、確かに酷い顔をしていた。


 髪はボサボサで、目が充血し、顔には生気が感じられなかった。


 気がつかなかった・・・


 ずっと、こんな顔の状態で帰ってきてたんだ。


 私は一度頭を振ると、精一杯の笑顔を柚希に向けた。


「あ、あははっ・・・さっき、突風に煽られて、砂が目に入ったり髪が乱れたりして、大変な目に遭っちゃって・・・」

「そうだったんだぁ。じゃあ、お姉ちゃんに報告があるんだけど・・・とりあえず、先に顔を洗っておいでよ」


 嫌よ!

 絶対に聞きたくない!


 私は柚希の言葉にそう思いながらも、なんとか笑顔を作り・・・


「うん、そうさせてもらうね」


 と、言うしかなかった・・・



 洗面所へ行き、鏡でもう一度自分の顔を見る。


 やっぱり、酷い顔・・・


 そう思った私は、憑きものでも落とすかのように綺麗に丁寧に顔を洗った。


 そして、顔を上げて再び鏡を覗き込む。


 うん、さっきよりはマシになったかも・・・


 これなら大丈夫と感じた私は、重い足取りで柚希の待つ居間へと向かう。


 居間に入ると、柚希はソファーに座って待っていた。


「あ、お姉ちゃん。待ってたよ!・・・うん、まだ目は少し赤いけど、さっきよりは良くなったね」


 柚希は笑顔で私を迎え入れてくれる。

 そして、私の顔を覗き込むように見た後、頷きながら大丈夫だと言ってくれる。


「ごめんね、心配かけちゃって」

「ううん、そんな事は気にしなくて大丈夫だよ」


「ありがとう・・・あ、今日の晩ご飯は何かなぁ?」

「えっ?」


 私は柚希の話を聞きたくないが為に、わざと別の話題を持ち上げる。


「さあ、それはわかんないけど・・・ねえねえ、そんな事よりも聞いてよ」


 しかし、柚希はそんな事はどうでもいいから、自分の話を聞いて欲しいと言ってくる。


 いや!

 聞きたくない!


 そうは思うもの、そんな事言えないし顔に出すわけにもいかず・・・


「う、うん・・・報告って・・・何?」

「うん、それはもちろん・・・由比先輩を呼び出してもらった件についてだよ」


 彼の名前が出ると、私の胸にチクッとした痛みが走る。


「そう・・・だよね」

「それでね、由比先輩は本当に一本桜に来てくれててね、会うことが出来たんだぁ」


「そ、そっか・・・よかったね」

「えへへっ、ありがとっ!でね、その後なんだけど、実はぁ・・・」


 もったいぶる柚希に、少しだけ・・・本当に少しだけ腹立たしい気持ちになった。


 だって、私はあの場にいて知っているのだから・・・


 それでも一縷の望みをかけて、あの時に起こったことは幻であり、実際は彼が断っている事を願ってしまう。


 そんな願いも空しく、柚希は非情な現実を突きつけてきた。


「めでたく、由比先輩・・・ううん、水輝くんと付き合う事になりましたぁ!!」


 ドクン!!

 と私の心臓が大きく跳ね上がった。


 聞きたくなかった・・・

 嘘であって欲しかった・・・


 やはり、あそこで起こった事は本当の事だった。


「・・・そ、そっか、おめでとう柚希」


 私は今、どんな顔をしているのだろう。

 柚希に笑顔を向けているつもりだけど、ちゃんと笑えているのだろうか。


「うん、本当に・・・本当にありがとうね!お姉ちゃん!」


 柚希は笑顔で喜びながら、私に抱きついてきた。


 私は、そんな柚希の背中に手を回しながら「よかったね」と呟く。


 でも、内心では祝福してあげることが出来ずにいた。



 私は正直、その後のことはほとんど覚えていない。


 夕飯の中身も、その時に柚希が嬉しそうに話していた会話も、付けていたTVの内容も・・・


 気がつけば自分の部屋に戻っていた。


 そこでふと、柚希から状況を聞いてしまったからには、彼にメッセージを送っておかないといけないと考えた。


 しかし、手が震え思うように打てない。

 間違えたり違う所が押ささったり、1文字1文字打つのに時間が掛かってしまう。


 それでも何とか入力を終えて送信する。


 そしてベッドに身体を投げ出して枕に顔を埋め、疑問や後悔などがずっと頭の中をかき乱していたのだった。


 ・・・・・・・

 ・・・・・

 ・・・


 しばらくして、頭の中がぐちゃぐちゃになった私は、すっきりさせようとお風呂に入ることにした。


 そして、シャワーを出して頭からかぶると、再び涙が止めどなく溢れてきた


 私はそのまま、声を殺して盛大に泣いた。


 涙が出なくなるまで・・・


 ずっと・・・・・


 ずっと・・・



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