お巡りさん、この人です
「……………………来てしまった…………」
薄暗い路地の中でボクは焦燥と後悔に襲われていた。
千早くんから『菜々実ちゃんと喫茶店に行く』と連絡があったのが……昨夜の事。
…………聞いた時は『これでいいんだ』と腹を括れていたんだよ?
でも一晩明けるとそんなティッシュのように軽い決心はどこかに飛んでしまったようで。
居ても立ってもいられなくなったボクは、こうして二人が行く予定の喫茶店そばの脇道に隠れているのだった。
深めの帽子を被って。
マスクとサングラスをして。
「…………」
言い訳はしない。
今のボクは世界中の誰が見ても満場一致で不審者そのものだ。
今この街で最も職務質問すべき人間がここにいる。
…………だって仕方ないじゃないか。
我慢出来なかったんだ。怖かったんだ。
もし千早くんと菜々実ちゃんが、盛り上がっちゃったらどうしよう。
いい雰囲気になっちゃったら、どうしよう。
そう考えたら…………大人しく家で待ってることなんて出来なかった。
自分で言い出した事なのに、一体何をしているのやら。本当にバカだと思う。
「バカでも……いいもん」
神様お願いします。
どうか二人がいい感じになりませんように…………。
こんな祈りをこの半日で何度重ねたことか。
「…………あ」
ボクが路地裏から四角く切り取られた青空に祈っていると、いつの間にか千早くんと菜々実ちゃんが集合していた。二人は店の前でいくつか言葉を交わすと、仲良さそうに店の中に吸い込まれていく。
────ボクは慌ててその背中を追った。
◆
慌てて入店すると、二人はレジで注文をしている所だった。
他に並んでる人はおらず、ボクは帽子を深く被り直して二人のすぐ後ろに並んだ。
「えーっと…………菜々実ちゃん、何にする……?」
「うーん…………あーー……イス、カフェオレで」
「了解。じゃあアイスココアとアイスカフェオレをお願いします。店内で」
千早くんはスマートにオーダーを済ませていく。
菜々実ちゃんに聞いているのもかっこよくてちょっと胸がキュンとした。
えへへ、ボクの彼氏はかっこいいなあ…………。
「よし、じゃあ、行こっか」
「は、はい!」
二人はまだそんなに打ち解けていないようでボクは胸を撫でおろす。
目の前で繰り広げられるぎこちないやり取りにボクのライフポイントは大幅に回復した。
「次のお客様ーどうぞー」
「ふえっ!?」
急に呼び掛けられボクは飛び跳ねた。
「あーえとえと…………アイスコーヒーで! 店内です!」
二人の行き先を目線で追いながら、コーヒーが出されるのをせわしなく待つ。
会話が聞こえるくらいのいい席は空いてないものか…………。
「お待たせ致しました。アイスコーヒーになります」
二人掛けのテーブルにターゲットが着席するのと同時にコーヒーが手渡された。
衝立を挟んだ席が空いているのを確認すると、ボクは足音を殺して席に体を滑り込ませた。
◆
果たして二人はどんな会話を繰り広げるのか…………。
千早くんからすればずっとファンだった憧れの人が目の前にいるんだもん。
ちょっと羽目を外しちゃってもおかしくはない。千早くんが他の女の子にデレデレする所なのて絶対見たくはないけれど、これはボクが言い出したことなんだ。
…………今更止めることなんて出来ない。
ボクはコーヒーを啜りながら『せめて二人の会話が世間話レベルで終わりますように』と祈った。マッチポンプのお手本のような存在が今ここにいる。
「彼女さんとすれ違ってる…………ですか」
「!?」
衝立の向こうから聞こえてきた衝撃的な言葉にボクは体を強張らせた。飲み込むことを忘れたコーヒーがグラスからどんどん吸い上げられ、口の中いっぱいに広がっていく。
「そうなんだ。俺は芽衣ちゃ────彼女の事が大好きなんだけどさ。どうにもその気持ちが伝わってないというか」
千早君の言葉に反応して急速で身体が熱くなっていく。
予想外の話題に面食らって脳みそがうまく回らないけど、これはボクの事を相談しているんだよね!?
ち、千早くんが、ボクの事をだ、だ、大好きって!
それも菜々実ちゃんに!
底知れぬ達成感が全身を包んでいく。許されるのなら両手を広げて踊りだしたい気分だった。
「…………ゴクリ」
いつの間にか口から零れんばかりになっていたコーヒーを嚥下して、ボクは全神経を壁の向こうに集中させた。
「彼女さんにそういう気持ちをちゃんと伝えてますか? 好きだよーとか」
…………ボクは、正直な所今まで菜々実ちゃんにあまりいい印象は持てなかった。それが嫉妬という醜い感情であることは理解していても、どうしてもその想いを完全に断ち切ることは出来ずにいた。
恋愛というのは理性ではなく感情でするものだから。この世界で千早くんと付き合うようになっても尚、菜々実ちゃんへの劣等感はボクの中に確かに残っていた。
────でも、それもさっきまでの話。
今のボクには菜々実ちゃんがまるで百年戦争でフランス軍を率いたジャンヌダルクのように映った。いや、実際には姿は見えてはいないから聞こえた、が正確な所なのだけど。
それくらい菜々実ちゃんの言葉はボクに取って救世の言葉だった。思わず同調してしまいそうなのを堪えるのがどれだけ大変だったか。
「────え」
次に聞こえてくるのは、千早くんの呆気に取られたような声。
千早くんが何を考えているのか、ボクには手に取るように分かる。
『やばい…………全然言ってない…………』
こんな所だろう。
本当その通りだ。千早くんはもっとボクをキュンキュンさせるべきなんだよね。
「…………ふう」
ボクはすっかり満足してコーヒーを啜った。
さっきまであんなに苦く感じたコーヒーが、今はまるでアイスココアのように感じられる。心もすっかり落ち着きを取り戻していた。
────何だか、不安になりすぎちゃってたかな。ちょっとネガティブな気持ちに支配されすぎていたのかもしれない。
そんな後悔と安堵がない交ぜになったエンドロールじみた気分でいると、衝立の向こうから爆弾が投下された。
「────因みに彼女さんはどういう人なんですか?」
…………もし耳に集中度合いに応じて長さが変わる機能が付いていたとしたら、ボクの耳は天井を突き破って空高く伸びていっただろう。全身が耳になってしまったのかと錯覚するくらい色んな音が一斉に入ってくる。
ボクの意識は一気に幸せムードから引き戻された。
一体どんなフレーズで表現されようと、ここでの言葉を、ボクはきっと一生忘れないだろう。そんな予感があった。それが傷になるか宝石になるかは、分からないけれど。
時間にすれば────たった数秒。けれど体感には極めて永遠に近く感じられたその一瞬を、ボクは乾いた口内を潤すことに使った。グラスを持つ手の震えはどうにも止められないままだった。
「…………!」
千早くんの息を飲む声が鼓膜を震わせる。
聞きたいような、聞きたくないような────ボクの心の準備なんてお構いなしに、天から声が降り注ぐ。
「どういう人、かあ。えーっと…………可愛くて、クールそうなのに実は甘えん坊で、ほっとけなくて、笑顔が本当に可愛くて…………俺に元気と癒しをくれる、そんな人かなあ」
「ぶっ…………ゴホっごほッ……!」
天から降ってきたのは言葉ではなく、甘ったるい生クリーム。
必死に酸素を求める循環器系をよそに、涙目のボクは抑えがたい幸福感に包まれていた。
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