収束
…………バレた。
俺がこおりちゃんのファンだという事も、最初期から推している事も、世界に数十枚しかないこおりちゃんTシャツを持っている事も。完膚なきまでに丸裸にされた。
今は休憩時間。平田さんはタバコを吸いに行ってしまい、俺はテンションの上がった二人に囲まれ生気を失っていた。
「へー、じゃあななみんは岡さんの事認知してたんだ」
「それはもう当然してましたよー! 本当に初期の頃からずっと応援して下さっていた方でしたから!」
こおりちゃんは配信では見せないようなハイテンションで姫と話している。本来はこういう性格なのかな。
「あ、ごめんなさいはしゃいでしまって。ファンの方に会ったのって初めての事だったのでつい……」
「い、いえ…………」
俺達はお互いにぺこぺこと頭を下げ合った。
笑ったり、かと思えば必死に謝ったり、こおりちゃんの中の人は落ち着いたこおりちゃんの印象とは対極にあるような人だった。
「…………あの、会えて本当に嬉しいです。実は私、岡さんのコメントに救われたことがあるんです」
「?」
こおりちゃんが真面目なトーンでそう呟く。
救われた……?
俺は何を言ったんだろうか。正直、好きとか可愛いとかばかりコメントしている気がする。
…………本人を前にすると顔から火が出そうになるな。認知されていると余計に。
「えっと…………結構前の事なんですけど。まだ配信の視聴者も二桁くらいの頃で」
となると……割と初期の頃だな。因みに今は雑談枠でも一万人以上集まる。エムエム配信となれば三万人は固い。本当に有名になったなあ。
「その頃はコメントもほとんど付かなくて。別に有名になりたかった訳じゃないんですけど、それでも『辞めようかな』ってぼんやり考えるようになったんです」
まあ…………それはそうだろう。自分が話しているのに全く反応が無いのでは寂しくもなると思う。
俺はリアルタイムで観れる時は極力コメントするようにしていたが、残業等で時間が合わない時もあった。そういう時でもアーカイブで観ていたが…………確かにコメントがない放送もあったように思う。
「でも、そんな中でも熱心にコメントをしてくれる方がいて。その人がいる時の放送は、コメント欄がその人で埋まっちゃうくらいの感じで」
ああ…………間違いなくそれは俺だ。
コメント欄を埋めてしまうのは申し訳ないなと思いつつ、コメント欲に負けてしまうんだよな。
「その人がいる時は、何だかひとりじゃない気がして嬉しかったんです。放送を始める時は『今日は来てくれるかな……』って考える自分がいました」
こおりちゃんは、力強い目で真っ直ぐ俺を見た。
射抜かれたように俺は馬鹿正直にこおりちゃんの綺麗な瞳を見返すことしか出来なかった。
「────こんなに私を好きでいてくれる人がいるのなら、頑張ってみようって思えたんです。だから、今の私がいるのは岡さんのお陰です。本当に…………ありがとうございました」
「あ、いや…………」
言葉が出なかった。そのかわり目から熱いものが零れた。
慌ててそれを拭うと、ぼやけた視界の向こうに笑顔の推しがいた。
「…………こちらこそ、ありがとう、ございます」
…………こおりちゃんを推していて良かった。
見返りを求めていたわけじゃない。それでも、こおりちゃんを推してきたこの一年数か月が報われたような気がした。
「これからも、是非ともよろしくお願いします」
こおりちゃんが丁寧に頭を下げた。俺は推しより頭が高い場所にあることが許せなくて慌てて頭を下げ返した。
「こっ、こちらこそよろしくお願いします!」
頭を上げると、丁度喫煙室から帰ってきた平田さんと目が合った。半泣きの俺に気が付いて見るからに怪訝な顔をしていた。
「────え、何ですかこの空気?」
◆
それからの打合せは極めてスムーズに進んだ。俺とこおりちゃん、お互いの緊張も取れていい打ち合わせになったと思う。
「────では、このような形でお願いします。本日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。細かい所はこちらで詰めておきますので」
資料をまとめると平田さんは立ち上がった。釣られて姫とこおりちゃんも立ち上がる。
平田さんはビジネス然と、姫は大仰に、そしてこおりちゃんはペコペコと何度もお辞儀をして三人は会議室から出て行った。
「…………」
静かになった会議室。
俺はその中でぼーっと今日の出来事を思い返していた。
「…………おれ、こおりちゃんと話しちゃった」
話しちゃったよ。それどころか、認知されてた。感謝さえされてしまった。
今すぐスーツを脱ぎ捨てて踊り狂ってしまいたい。
身体の奥底から抗いがたい衝動が沸き起こってくる。
俺がもう少し常識を重視していなかったらあるいは実行に移していたかもしれない。それくらいの熱量が体から放出されていた。
…………だってそうだろう?
推しに感謝されるだなんて、そんな嬉しいことはないじゃないか。誰だって俺と同じような気分になると思うんだ。
◆
今日の仕事は一瞬に感じられた。
午前の打ち合わせで無限のパワーを得た俺は午後の仕事をスーパーマンばりにちぎっては投げ、あまりの溌剌さに目を丸くする課長を置いてけぼりにした。
そのまま溢れるパワーを推進力にロケット退勤を済ませ、帰りの電車で視聴するのは…………勿論こおりちゃんの配信だ。
『あ、ごめんなさい。このマッチが終わったら少しコンビニに行ってきますね。飲み物が無くなっちゃいました』
スマホの小さな画面の中を、こおりちゃんが操るキャラが縦横無尽に駆けていく。今日はエムエム配信だった。
「…………」
吊り革に捕まりながら、規則的な揺れに身体を任せる。普段なら眠気と戦う所だが今日は冴えていた。
というのも、こおりちゃんの配信に対する解像度が違っていた。画面上で動くこおりちゃんのキャラクターの向こうに木崎さんがいるような気がした。
頭の中ではお昼に会った木崎さんがゲームをしている姿がどうしても思い浮かぶ。
なんというか…………こおりちゃんが今までより圧倒的に『近い』存在に感じられた。
…………別に連絡先を交換した訳じゃない。もう基本的に会うことはないと思う。
また会いたい、という思いも不思議と無かった。
あの一回。
あの一度の邂逅で俺は救われたんだ。これから何があってもこおりちゃんを推していける気がした。
『────よし、チャンピオン取れました! じゃあ少し離席しますね!』
画面の中ではこおりちゃんが敵を倒していた。画面全体にチャンピオンという文字が表示される。
…………なんか、こおりちゃんいつもよりテンション高い気がするな。お昼の出来事が原因なら嬉しいけれど。それはちょっと自意識過剰過ぎか。
車内モニターの表示を見れば、丁度最寄り駅に到着するところだった。俺はスマホを音楽再生に切り替えると人波を掻き分けてホームに降り立った。
◆
突然だが、俺の地元には街灯がない。
本当に都心かと疑いたくなるくらいには少なく、夜道は決して女性が一人では歩いてはいけないような様相を呈する。何なら男性でも普通に危ない。上京したての頃はよく縁石につまづいたものだ。
「…………」
そんな暗闇の中を、俺は迷いなく進んでいく。
あの頃おっかなびっくり歩いたこの道も、今となっては目を閉じても家まで辿り着けるような気がした。
きっとこの辺に住んでいる人は皆このスキルを身に着けているはずだ。そうでもしないと出歩けないんだ、この道は。本当にさっさと街灯を増やした方がいいと思う。もし次の区長選挙で街灯を増やすことを公約に掲げる人がいたら、俺はそれだけで迷わずその人に投票するだろう。
こおりちゃんの曲を聴きながらずんずんと進んでいくと、俺の住むマンションが見えてきた。八畳一間のワンルーム。バストイレ別。家賃七万五千円。
別に不満はないが、芽衣ちゃんの家を体験すると同棲の誘いに思わず首を縦に振ってしまいそうになる。俺が住んでいるのはそんな感じの部屋だ。
「…………ん?」
そんな良くも悪くもないマンションの前に、何かがある。暗くて良く見えないが、マンションのエントランスから漏れる光を薄く浴びたそれは、うずくまる人のように見えた。
俺はイヤホンを外すと駆け出した。さっき言った通りこの辺りは街灯がなく薄暗い。何かトラブルに巻き込まれたのかもしれない。
近付くと、やはり人だった。シルエットで若い女性だと分かる。ますますトラブルの可能性が高まり心臓の鼓動が早くなった。
「あの、大丈夫で──────え?」
「…………岡さん……?」
まさかの出来事につい間の抜けた声を出してしまう。
俺の家の前にうずくまっていたのは────昼に会ったばかりの、こおりちゃんだった。
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