不穏

 芽衣ちゃんと付き合うようになってありすちゃんの配信を見るようになったかと言えばそんなことはなく、俺は変わらずこおりちゃんのファンを続けていた。


 というより寧ろ、付き合い始めてからありすちゃんの配信を見るハードルは高くなったように思う。


 想像してみてほしい。自分の彼女が数万人からちやほやされているのを。


 …………誇らしい気もするし、何となく見てはいけないような気もするし、とにかく色々な外部情報のせいで素直に配信を楽しむことは出来なかった。芽衣ちゃんは配信でも話し方や声がそのままだから、余計にそう思うんだろう。


『皆さんこんばんは。氷月ひゅうがこおりが午後七時をお知らせ致します。今日も私の配信に来てくれてありがとう。今日は雑談枠です』


 そんな訳で俺はこおりちゃんの配信を観ていた。推しというのはそう簡単に変わるようなものではないんだ。

 こおりちゃんの甘々ボイスを聞いていると……うん、やはり実家のような安心感があるんだよな。


 まあ、といっても最近はめっきり観る頻度は減った。


 昔の俺はこおりちゃんしか生き甲斐が無かった。けれど今は違う。芽衣ちゃんという大切な人が出来た。

 となればやはりフリーな時間の大部分は芽衣ちゃんの為に使うことになるし、俺自身そうしたかった。こおりちゃんの配信を観る時間は当然、減った。


 芽衣ちゃんは彼女で、こおりちゃんは推し。

 比べるようなものでもない。勿論こおりちゃんに対して恋愛感情なんてあるはずもない。以前はもしかしたら少しはあったのかもしれないが、今となってはそれも遠い過去のように感じられる。


『今日はどうしましょうかね……あ、そういえば皆さんに報告があります。なんと、今度メモちゃんとオフコラボします。多分来月くらいかな? 楽しみにしていてくださいね』


 突然のオフコラボ告知に、コメント欄は大盛りあがりを見せる。

 こおりちゃんはあまりオフコラボをしない、というかまだ姫としかしていないから、ファンにとっても特別なイベントだ。


「…………オフのこおりちゃんか」


 どんな人なのかな、と考えた回数は数え切れない。やはり気になるものは気になってしまうのだ。


 そして────俺は数日後、こおりちゃんと会う。


 仕事の詳細がある程度固まって、うちの会社とバーチャリアルのコラボは今回は姫とこおりちゃんでということに正式に決まった。

 その第一回打ち合わせが、今度うちの会議室で行われる。そこには勿論…………こおりちゃんもいる。


 想像するだけで口の中が乾いて、俺は缶チューハイを思い切り流し込む。


芽衣ちゃんと遊ぶようになって、ありえないことだが人気バーチャル配信者という存在は俺の日常になった。

 今更どのバーチャル配信者と会うことになっても緊張なんてしないと思っていた。


 でも、それは間違いだった。


 推しに会えるというのは、そんな理屈なんて全く関係ない、暴力的で原初的な出来事なのだった。





 打ち合わせを明日に控えたとある夜、俺はいつもの如く芽衣ちゃんの家に来ていた。

 芽衣ちゃんはどうやら俺と毎日会いたいが為に、配信をお昼か夜中にして夜をフリーにしているみたいだった。彼女からの愛が嬉しい。


「…………千早くん、いい加減首を縦に振ってよ」


「うーん、そうは言ってもなあ……」


 俺はソファに座って芽衣ちゃんからの密着攻撃に耐えていた。ソファと芽衣ちゃんの身体に挟まれて潰されそうになると思いきや、両方柔らかくて大した攻撃力はないのだった。


「千早くんも毎日うちに来るの大変でしょ?」


「芽衣ちゃんの顔が見れるから大変じゃないよ」


「なっ…………!?」


 そう言って芽衣ちゃんと目を合わせると、芽衣ちゃんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 芽衣ちゃんは自分からくっついて挑発してくる癖に、反撃されると弱いんだよな。そんな所も魅力的だった。


「ゴ、ゴホン! そんな事言っても誤魔化されないんだから。今日のボクは本気だよ」


 芽衣ちゃんは湯気が出そうなほど顔を赤くしながらも、ジトッ……とした上目遣いで俺を睨んでくるのだった。


「一緒に住んでくれるって言うまで、今日は帰さないから」


「うーん…………」


「今だって同棲してるようなものでしょ? 何が気になってるのさ」


 ここ最近の俺達の話題は専らこれだった。


 芽衣ちゃんはどうやら俺と同棲したいみたいだった。確かに俺は毎日のように芽衣ちゃんの家にお邪魔していて、このリビングにも徐々に俺の私物が増えつつある。同棲しているようなものだと言えばそうかもしれない。


 …………別に、俺だって芽衣ちゃんと一緒に暮らしたくないわけじゃない。

 一般的に付き合ってからどれくらいで同棲するのかとかは分からないけれど、もしかしたら俺達はまだ早いのかもしれないけれど、俺は芽衣ちゃん以外考えられないし、そういう一般論は今関係なかった。


 俺が渋る理由は別の事だった。


「うーん、でもなあ。流石にリスク高くないか? 配信中とか、いつか絶対事故っちゃうと思う」


 そう、芽衣ちゃんはバーチャル配信者なのだ。その仕事は私生活に完全に食い込んでいる。

 そんな中で同棲なんてしようものなら、気をつけていてもいつか絶対ボロが出ると思うんだ。

 バーチャル配信者界隈はそういうスキャンダルに対する嗅覚が非常に敏感で、実際に定期的に誰か炎上している。やはりみんな、配信者の中の人には興味があるのだ。


「…………あ」


 中の人と言えば。


 …………一応言っておいたほうがいいよな。

 恐らく向こうのスケジュール的にもオフィシャルになっているはずだから、バーチャリアル所属の芽衣ちゃんに対してなら社外情報という訳でもないだろう。


 別に姫と会うだけなら、仕事で会うだけだし言わなくていいとも思うんだが、俺がこおりちゃんファンだということを芽衣ちゃんは知っている。誤解されない為にもここは詳らかにしておくべきだと思うんだよな。芽衣ちゃんに対して隠し事はしたくなかった。


「あのさ」


「うん?」


 腕に抱き着いている芽衣ちゃんがこちらを見上げる。俺を信じ切っている澄んだ瞳。

 裏切るようなことは絶対にしたくないと心に誓った。


 「明日さ、仕事でバーチャル配信者と会うことになったんだ。芽衣ちゃんと初めて会った時みたいな感じでさ」


「そうなんだ。誰と会うの?」


「姫と────こおりちゃんに会うことになった」


「…………え」


 芽衣ちゃんの顔が、強張った気がした。

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