夜空に願いを

『千早くーん』


『起きてるー?』


 スマホがポコポコっと通知音をたて、俺は目を覚ました。

 表示を見れば時刻は午前二時。寝ぼけまなこを擦ることもせず、反射で返信する。


『寝てた』


 ルインは芽衣ちゃんからだった。俺にルインしてくる人なんて芽衣ちゃんくらいしかいないし、芽衣ちゃんはルインを頻繁に送ってくるから最近はスマホが鳴ると「芽衣ちゃんだな」と思うようになった。


『ごめんごめん』


 こんな夜中になんなんだろうか。

 流石に何か用があるんだと思うけど、用もなくチャットや電話をしてくることも多いしまだ分からない。


『どしたの』


 短く返信して、あとは寝そうになるのをなんとか耐える。ああもう、スマホが眩しいな。


 少し間があいて「もうダメだ限界だ」と目を閉じようとしたその時、芽衣ちゃんから返信がきた。

 それは衝撃的な内容だった。


『明日、ウチこない?』


 …………。


 ……………………は?


 俺はそこで初めて眠気まなこを擦った。むわあ……と体から眠気が飛んでいくのが分かった。


「えっと…………」


 画面を見返してみても、さっきのメッセージは俺の寝ボケではなかった。

 何度見てみてもそこにはこう書いてある。


『明日、ウチこない?』


「…………マジか」


 芽衣ちゃんの家。


 …………気にならないと言えば嘘になる。


 家ではどんな服装なのかなーとか。

 部屋はどんな雰囲気なのかなーとか。


 …………気になる。気になるよそりゃ。

 友達だと思っていても気になってしまうんだよ。


 だってもう、芽衣ちゃんは俺の生活の一部になっていた。

 特に用事もなくだらだらとルインを送り合ったり、仕事の愚痴を言い合ったり。


「…………一人でも生きていけると思ってたんだけどな」


 こおりちゃんさえ居れば、あとはなにも要らない。


 そういう生活を送ってきた。

 暗い部屋で一人缶チューハイを啜る生活も別に平気だった。こおりちゃんがいれば俺は満たされていた。


 それが……今はちょっと違う。


 スマホが鳴る度に心のどこかで嬉しくなる自分がいる。芽衣ちゃんの声を聴くと安心する自分がいる。

 付き合えるわけが無いけど……失うのも怖すぎる。


 …………この関係も、いつか終わってしまうんだろう。

 小学生の頃仲が良かった友達ともう連絡を取り合っていないように。

 大学の数少ない友人が今何をやっているか知らないように。


 芽衣ちゃんに彼氏が出来でもしたら……いやそんな出来事すらなくても、いつか終わってしまうんだろう。

 あっけなく、なんとなくいつの間にか、特に理由もなく。これまでの友達がそうだったように。


「嫌だな……」


 俺はスマホを操作すると、短く返信を送った。


『どうして?』


 告白する勇気なんて無い。


 そんなことをすればその瞬間にこの関係は終わってしまうんだから。

 それなら一分一秒でも長く友達でいられた方がいいじゃないか。


 そもそも俺は芽衣ちゃんのことが異性として好きではない。好きになってはいけないんだ。

 何が告白だ、何を考えている。


『明日さ、近所の花火大会なんだよね。うちからよく見えるんだ、花火』


 花火……?


『千早くんと一緒に見れたらなって…………ダメ?』


 ダメじゃない。

 ダメなはずないじゃないか。


『行くよ』


 花火の下で笑う芽衣ちゃんは、きっと絶望的に可愛いんだろう。

 余計辛くなるだけと分かっていても、俺はその輝きに惹かれてしまうのだった。





 午後六時。

 西の空が赤みを増してきた頃、俺は芽衣ちゃんの家に到着した。


「やっほー。迷わなかった?」


「うん。スマホの案内アプリ使ったから」


 驚くべきことに芽衣ちゃんは高級タワーマンションに住んでいた。昨日送られてきた住所を試しにネットで調べてみたら、なんと家賃は三十万円以上。

 高層階になるほど家賃が高くなるというタワーマンション事情を俺は初めて知った。


 タワーマンションに入るのは初めてのことで俺はロビーから挙動不審になってしまったんだが、それはまた別の機会に話せればと思う。今重要なのはそこではない。


「…………」


 目の前の芽衣ちゃんの姿に、思わず目を奪われる。


 日本の夏。


 青春の憧れ。


 圧倒的なリア充オーラの象徴。


 そう、芽衣ちゃんは浴衣に身を包んでいた。

 アップにした髪の下から覗くうなじが俺の心を強く揺さぶる。藍染の浴衣と真っ白な肌のコントラストが俺をどこか遠くへ連れていこうとする。


 俺の視線に気が付いた芽衣ちゃんが慌てた様子で捲し立てた。


「あ、あああああこれ!? これはそのえーっと……この前クローゼット漁ってたらたまたま見つけたんだけどさ! 大学時代に買ったやつで多分もう着る機会とかないよなって思ったんだけど、勿体ないしどうせならって今日着てみたんだっ!」


 芽衣ちゃんは一息でそこまで言い切ると、大きく深呼吸して手を少し広げてみせた。


「えっと…………どう、かな……?」


「う、うん。えっとその……か、か、可愛い……と思う……」


「あはは……そ、そっか! それは良かった! ボクもまだまだ現役だなー………なんて、ね」


「あはは……」


 今顔を見たらきっと好きになってしまいそうで。

 芽衣ちゃんの顔は見れないけれど、不器用に笑い合う俺たちはきっと真っ赤になっていたと思う。


「ほ、ほら! もうすぐ花火始まっちゃうよ! あがってあがって」


「えっと……うん。それじゃあお邪魔します」


 用意されていたモコモコのウサギのスリッパに履き替え、俺は初めて女の子の家にあがった。浴衣ならではのちょこちょこ走りで少し先を行く芽衣ちゃんの後ろ姿が、異常なくらい俺の目を惹いた。





「うおおおおっ!? すげーーっ!!」


 三十七階から観る打ち上げ花火は壮観だった。


「あははっ千早くん大袈裟すぎ!」


「いやいや本当に凄いって! 下から見る二倍は大きく見えるもん!」


 芽衣ちゃんの家のベランダはめちゃくちゃ広く十人くらいなら並んでみれるほどだった。

 そんなに広いのに俺たちは、ともすれば肩が触れ合うくらいの距離で並びあって花火を眺めている。

 二人の手には缶チューハイ。芽衣ちゃんはお酒に弱いのか割と出来上がっていた。


「…………本当に綺麗だなあ。去年は一人で観てたからあんまり感動しなかったけど」


「一人で観てたんだ?」


「ボク、友達そんなにいないからねー。一人寂しく観てましたよーだ」


 芽衣ちゃんはぷい、と手すりに突っ伏してしまう。拗ねてしまったのかな。


「ああいや、そういうことじゃなくて。彼氏とかと観ないのかなーって」


 酒の勢いでつい聞いてしまった。

 …………リア充の得意技『彼氏彼女がいるかを確かめる為にわざといる前提で話を振る』をまさか俺が使う時がくるとは。


「…………よ」


 芽衣ちゃんがもごもごと何かを呟いた気がしたけど、そっぽを向いているのと花火の音で掻き消されてよく聞こえなかった。


「うん?」


「…………いないよ、彼氏なんて」


 今度は、ハッキリと聞こえた。


「……そうなんだ」


 嬉しい気持ちをバレたくなくてつい素っ気なく返してしまう。


「…………うん。いない」


 絶え間なく鳴り続ける花火の音を置き去りにして、芽衣ちゃんの声がはっきりと耳に、そして脳に届いた。


 俺には、この場に変なムードが漂っているように思えた。恋愛初心者だからその辺の事は分からないが、とにかく普通じゃないような気がした。甘ったるくて少し悲しいような、今まで経験したことのない気持ち。


「…………」


 それから暫くの間、俺たちは無言で花火を見続けた。

 何か気の利いたことを言った方がいいような気がしたんだけれど、どんな言葉もこの場にはしっくりこないように思えて、変にそわそわした気持ちで俺は花火を見続けた。芽衣ちゃんは今どんな気持ちで俺の隣でいるのかな、なんてそんな事ばかり考えていた。


 空はいつの間にかすっかり暗くなっていて、夜空に打ちあがる大輪の花火はとても綺麗だった。


 だけど俺はどうしても隣にいるはずの芽衣ちゃんの事ばかり気にかけていた。


 心の半分は芽衣ちゃんの一挙手一投足にビクビクと身構えていて、もう半分はこの沈黙に安らいでいるような不思議な気持ちだった。

 女の子と二人きりで花火を見ているのにどうして変に居心地の良さを感じているのか、その理由は分からなかったけれど、きっと他の女の子とではこうはならなかっただろうという確信だけはあった。


 とっくの昔に空になっている缶チューハイを片手に夜空を眺めていると、一際大きな花火が上がった。

 それっきり花火があがることはなく、静寂が二人を包んだ。きっと花火大会が終わったのだ。


「…………千早くんさ」


 花火があがらなくなっても、俺たちは空を見続けていた。

 どちらから近寄ったのか、いつの間にか肩が僅かに触れ合っている。


「…………うん」


「MMVC、誰を応援するの」


「…………え?」


「やっぱり……こおりちゃん?」


「いや……それは────」


 視界の端で、芽衣ちゃんがこちらを向くのが分かった。


「────ボクの事、応援して欲しい」


 アーモンド型の綺麗な瞳が真っすぐに俺の心を射抜く。


「今回だけでいいから。今回だけは、こおりちゃんじゃなくてボクの優勝を願っててよ」


 芽衣ちゃんは妙に大人びた表情を浮かべて、けれど瞳の奥に僅かに不安を湛えているような気がした。


「…………分かった。芽衣ちゃんの優勝を祈ってる」


 気付けばそう口にしていた。考えて発言した訳では無かったけど、その分それは本心だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る