すれ違い通信

「やっほー!  不可思議ふかしぎありすだよー! 今日も盛り上がっていこー!」


 始まりの挨拶は口が覚えている。

 頭の中がふわふわしていても詰まることはない。


「今日はノープランだったけど……ゲームやるって気分でもないし雑談枠にしようかな。最近やってなかったしねー雑談枠」


 チャット欄に目を向けると、沢山の人達が思い思いにコメントを書き込んでいる。


『雑談枠きちゃーーーー』『確かに』『ありすちゃんの雑談枠ちょうど切らしてた』『おっけーい』

『了解です』『丁度さっきお題送ったw』『待ってたよーーー』


 いつも通りのチャット欄。沢山の人に観て貰えて本当にありがたい。


「確かお題箱も溜まってきてた気がするんだよねー。ちょっと待ってね…………えーっと何々、『最近面白かったゲームは?』」


 いつも通りのチャット欄。

 いつも通り…………なんだけど。


『かわいい』『癒やされに来ました』『今日もかわいいーー』


 無数に流れていくコメントに、その中に紛れたある意味を持った言葉に……ボクは釘付けになってしまう。


 可愛い。


 好き。


 ────もう数え切れないほど言われてきた言葉。

 ボクは個人でやっているバーチャル配信者さんと違って最初からバーチャリアルという大きな箱が用意されていたから、初配信から何万人という人が見に来てくれた。特に苦労することなく順調に伸び続けてきた。


 こういう言い方は申し訳ないけれど…………『可愛い』も『好き』も、ボクにとってはありふれた言葉だったはずだった。本気にすることはないし、一つ一つのコメントに心踊らせることもなかった。ありがとう、とは思うけど。


 ────それなのに。


『結婚してくれ!』


 ────瞬間、胸がドクリと大きく跳ねた。


「…………さ、最近面白かったゲームはやっぱりエムエムかな! 配信外でも結構やってるんだよねー」


 震える胸を抑えつけてなんとかいつもの声を絞り出す。


 ダメだ。


 ダメだダメだダメだ。


 何を舞い上がってるんだボクは。


 もしかしたら千早くんだったりして……なんて勝手に期待して顔を赤くして。


 しっかりしろ神楽芽衣。


 ボクはそんなキャラじゃなかったはずだろう。


『MMVCも近いしな』『エムエム枠好き』『この前夜中にマッチングしてびっくりした』『こおりちゃんとコラボしてください!』


「MMVC楽しみだねー。バレッタの足引っ張らないように頑張らないとなあ」


 MMVC。

 ボクはこおりちゃんのスナイパーライフルにやられてもえもえの足を引っ張ってしまったのだった。その事はボクの人生でもトップレベルに悔しい出来事として胸に刻まれている。


 そして何より……千早くんへの恋心を自覚したのも、MMVCがきっかけだった。


 気がつけば千早くんに抱き着いていた。千早くんは困り果てていたけど、ボクの背中を優しく撫で続けてくれた。

 あの温もりを、ボクは一生忘れないだろう。


「よーーーし決めた! 雑談枠って言ったけどやっぱりエムエム枠にする! なんかやりたくなってきちゃった!」


 不思議と落ち着きを取り戻した心の奥でボクは一つの決心をした。

 一度決めてしまえばそれは、最初からそう決まっていたみたいにしっくりくるのだった。


 ────MMVCで優勝して、千早くんに告白する。


 あの時手に入れられなかったものを、全て手に入れるんだ。





「か、わ、い、い…………っと」


 コメント欄に入力したその言葉を、エンターキーまであと一ミリの所で思い直して。

 指はそのひとつ上のバックスペースキーに緊急着陸。


  その動作を、もう何度繰り返したか。


「なんでだ……恥ずかしいぞ……」


 俺は現実では恋愛のれの字もない人生を歩んできたけれど、それでも配信者へのコメントで恥ずかしがるような男では無かったはずだ。

 世のイケてる男達みたいに素知らぬ顔で女性に「可愛い」なんて絶対言えないけれど、チャットでなら伝えられる。

 これまでこおりちゃんに何百回も伝えてきているんだ。


 なのに何故だか俺はありすちゃんに「可愛い」と伝えることが出来ずにいるのだった。いつもはほぼ無意識に押しているエンターキーが、今はまるで磁石の同極のように俺の指を拒絶している。


『敵はっけ〜ん! とつげき〜〜!!』


 ヘッドホンから聴こえてくるのは、夕方までこの部屋に直接響いていたあの声。


 芽衣ちゃんはバーチャル配信者「不可思議ありす」として活動するにあたりほとんど声質や話し方を変えたりはしておらず、それは神楽芽衣としての話し声を聞く人が聞けば分かってしまうのではないかと不安になるほどで、だからありすちゃんの配信を観ていても頭の中に浮かぶのは芽衣ちゃんの姿だった。


 そしてその姿が浮かぶたび、俺の指は頑なにエンターキーを押すことを拒む。羞恥心でガチガチになってしまうのだった。


「……好き…………なのか?」


 考えないようにしていたその疑問を、ついに口に出してしまう。


『うわっそこに敵いたの!? 全然分からなかったんだけど!?』


 ヘッドホンの声に反応して芽衣ちゃんの姿が頭に浮かぶ。どうにかして消そうとしても、消したそばから湧いてくる。


 やがて脳内を埋め尽くした芽衣ちゃんは、嬉しそうに俺の名前を呼んだ。


『千早くんっ』


 …………。


 ……………………。


 ………………………………。


「…………一回落ち着けよ、俺」


 胸の高鳴りに思考を任せるな。

 そんなことをしても辛い思いをするだけだろ。


 芽衣ちゃんに恋をしたって、眠れぬ夜を過ごして終わるに決まってる。


 だって考えてみろ。

 向こうはチャンネル登録者百万人の大人気バーチャル配信者だぞ。周りには沢山の人気ネットタレントがいる。この前だってイケメンプロゲーマーとエムエムで遊んでいた。


 そもそも芽衣ちゃん自体めちゃくちゃ可愛いじゃないか。不可思議ありす以前に、神楽芽衣という存在が現実でモテモテに決まってる。芽衣ちゃんの私生活は何も知らないけど、普通に考えたら仲のいい異性くらいいるだろう。


 対して俺はどうだ。

 特徴もない地味なサラリーマン。誇張抜きで本当に何一つ長所がない。


 考えれば考えるほど、脈がないって分かるじゃないか。


 そうだろ岡千早。


 分かってるよな?


「…………よし」


 胸の高鳴りを無理やり抑えつける。


『やった勝った〜! ボク上手くなってきてない!?』


 チャンピオンになったありすちゃんの歓喜の声がヘッドホンから響く。


 頭の中の芽衣ちゃんはもう俺の名前を呼ぶことはなく 代わりに少し悲しい表情をした気がした。

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