茜色の真実

 ごうごうと音を響かせてエレベーターが上昇していく。ボクの顔の温度も上昇していく。

 大きくなる心臓の鼓動はそろそろ限界を突破して、どこかへ行ってしまいそうだった。


「…………」


 柄にもなくそわそわしながら備え付けられている鏡で全身を確認する。

 覗き込むように色々な角度から髪型をチェックして…………うん、大丈夫そう。


 そのまま視線を下げていくと肩口が大きく開かれた白いオフショルダーのトップス。肩丸出しでちょっと恥ずかしい。

 着て行くか迷ったんだけど…………千早くんだしこれくらい攻めないと意識して貰えない気がして、悩みに悩んだ末の採用。普段はこういうの着ないから落ち着かないけど……頑張れ、ボク。


 さらに視線を下げていくとデニムのロングボトム。

 流石にオフショルにミニスカは露出が多すぎて「わお」って感じだったから、バランスを取るようにロングにしてみた。

 これならまあ、遊んでいる印象もそこまでないんじゃないかな。


 身体を左右に振って全体を確認する。

 特に問題は見当たらない。


 大丈夫。ボクは可愛い。


 大丈夫。


「…………おっと」


 ドアの開く音で現実に引き戻される。いつの間にか九階に到着していたらしい。


「…………よしっ」


 ボクは千早くんの部屋番号を探すと、深呼吸をひとつして呼び鈴を押した。





 玄関のドアを開けると、何というジャンルなのかは分からないがあの肩が丸出しの服を着た芽衣ちゃんが立っていた。

 反射的に目が吸い込まれそうになるのを瞬時に抑えて顔に視線を戻すが、その整った顔を見つめるのも恥ずかしくて、結局顔の少し上で焦点を結んでしまう。


「えっと…………いらっしゃい」


「やほ。久しぶりだね」


 芽衣ちゃんがひらひらと手を振ると、どうしてもうなじから肩、胸元にかけての肌色に目がいってしまう。誰か助けてくれ。


「ひ、久しぶり。えっと……本当に何もないけど…………とりあえず、あがって」


「うん。おじゃましまーす」


 俺が手で示すと、芽衣ちゃんは俺の動揺などどこ吹く風と言った様子で靴を脱ぎ始めた。

 変に意識しているのは俺だけだったらしい。恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうだ。


「ありゃ、綺麗にしてるんだねー。男の子の一人暮らしってもっと散らかってると思ってたよ」


 芽衣ちゃんは部屋をじろじろと見まわしながら驚いた様子で声を上げた。


「まあね。綺麗な方が落ち着くから」


 緊張で干からびそうな口は、嘘ばかりすんなり紡ぎだす。


 早朝から必死に掃除して、出たごみ袋はなんと四袋。


 …………酒の空き缶だけで二袋埋まった時は流石に反省した。今日がたまたま空き缶の回収日で本当に良かった。


「ふーん、そういうモノなんだ」


 芽衣ちゃんは興味深そうに本棚やデスク回りを眺めている。


「…………」


 丁度死角に入っていることをいいことに芽衣ちゃんをじっくりと観察する。

 芽衣ちゃんは客観的に見ても可愛いし、話していてリア充そうなのを感じるし、男の部屋なんて見慣れていると思っていたけど、もしかしてそんなこと無いんだろうか。

 まあ実際は非リア充の男の部屋が物珍しいだけだと思うが。


 ぐるぐるとそんなことを考えながら健康的なうなじを眺めていると、芽衣ちゃんが突然振り向きベッドを指さした。


「ベッド、座っていい?」


「あ、うん。ど、どこでも」


 見ていたのがバレていないかに気を取られて咄嗟に了承してしまった。


「ありがとー! ……うわ、ふかふかだねー!」


「…………おお」


 俺が普段寝ているベッドに、美少女が座っている。


 その事実に思わずそんな声が漏れ出た。


「千早くん、何突っ立ってるのさ。というかあんまり見られると……その……恥ずかしい、んですけど?」


「ご、ごめんっ」


 どうやら見ていたのがバレてしまったらしい。


 慌てて首を明後日の方向に捻る。

 少し遅れて心臓の鼓動が嫌でも耳に入った。


 心臓は間違いなく人生で一番早く動いている。自分の部屋なのに全く落ち着かない。

 まるで蛇に睨まれたカエルというか。もう視線ひとつ満足に動かせないくらいガチガチになってしまっていた。


 …………女の子と話すのが苦手なのは自覚していたけど、まさかここまでとは。いっそ笑ってくれ。


「…………見たいの?」


「ふえっ!?」


 驚きの発言にどっちが女の子だか分からないような声をあげてしまった。


「ボクのこと、気になるの?」


 岩のように固まってしまった身体とは裏腹に頭が超高速で回転しはじめる。

 脳を刺激する芽衣ちゃんの甘い声は、いつも聴いているのと同じ声色のはずだが、いつもとはまるで異なる魔力を帯びているような気がした。


「…………気には、なる。こんな状況初めてだし」


 その魔力のせいか、気付けば本音を白状してしまっていた。


「…………ふぅん……そっか。千早くんはボクの事が気になるのかあ」


 俺の首は明後日の方向で固定されているので表情は分からないが、芽衣ちゃんの呟きは少し嬉しそうな感じがした。流石に調子に乗りすぎだろうか。


「…………いいよ。千早くんになら、見られても」


「え」


 ────オーバーヒートした。


 何が?


 頭が。


「え、ごめ、ちょっと待って……え?」


 これってそういうことなのか!?


 これってそういうことなのか!?


 …………これってそういうことなのか!?


 さっきまでも意味分からなかったが今回は本当に意味が分からない。


 芽衣ちゃんの言葉の意図が分からない。


 だって素直に受け取ったら芽衣ちゃんは俺に気があるってこと?


 いや待て待て岡千早おまえは一体この二十数年間どうやって過ごしてきた。


 相手は有名バーチャル配信者だぞ?


 しかも中身もめちゃくちゃ可愛いんだぞ?


 おまけにリア充っぽいオーラがマックスなんだぞ?


 ……何をどう間違って俺に惚れるっていうんだ。


 そうだ冷静になれ岡千早。勘違いだけはするな。


 そうとしか聞こえないが、俺に気があるなんてことあるはずないだろ。


 もう大丈夫、俺は冷静だ。


 恥ずかしい勘違い男にはならないぞ。


「見ないの?」


「見ます」


 ……ごめん、俺は勝てなかったよ。


 誰にともなく謝って、俺は大いなる意思に動かされるようにベッドの方を向いた。


 ────と。


「────なーんちゃって。千早くんのえっち」


 頬に当たるひんやりとした指の感触。


 芽衣ちゃんがいつの間にかベッドから立っていて、俺の頬に指を押し付けていた。


「まさか千早くんがボクの事そんな目で見てたなんてなあ」


「い、いや違うんだ! 自分でも訳分からなくなっちゃただけでなんというかこれはその」


「緊張、ほぐれた?」


「…………え?」


 言われて、自分の心が妙に楽になっていることに気が付いた。少なくともさっきまでの固い感じは無くなっていた。

 まるで芽衣ちゃんの指が針のようになって俺という風船から気が抜けていくようだった。


「…………ほぐれた。なんかごめん、女の子を部屋に呼ぶの初めてだったから」


「ううん。ボクの方こそちょっと遊びすぎちゃったかもだね」


 謝りあって、二人で笑いあう。


 そりゃ芽衣ちゃんが俺に気があると思った時はドキッとしたけれど、このゆるーい関係の方が俺たちらしいような気がした。





 それからは俺のパソコンでゲームをやったりして過ごした。

 二人で知らないゲームをプレイしてはあれこれ騒いで、気が付けば夕方になっていた。


「ありゃ、もうこんな時間か。そろそろ帰らないとだね」


「本当だ、全然気が付かなかった」


 窓から差し込む陽光はすっかり茜色になっていて、なんだか少し寂しい気持ちになった。


「本当はもう少し遊んでいたいけど、今日の夜は配信があるからなあ」


「そうなんだ。観るよ、配信」


「お、なになに? ボクのファンになっちゃった?」


「…………なった、って言ったら?」


 そう言って芽衣ちゃんと視線を合わせる。

 まだ付き合いは浅いけど、俺たちは冗談を言い合える関係になっていた。


 ────と、思っていたんだけど。


 芽衣ちゃんは部屋を染める西日に負けず劣らずの赤さで頬を染めた。


「そ、そっか。ふーんそっか、ボクのファンになっちゃったか。仕方ないねこりゃ……」


「あ、えっと今のは──」


「時間だからそろそろ帰るね! また今度っ!」


 芽衣ちゃんはバックを引っ掴むと、逃げるように玄関から出て行ってしまった。


「────冗談、なん、だけど……」


 対象を失った空しい呟きが茜色の部屋に吸い込まれて消えていった。

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