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その後は特にこれと言ってなにもなくただ授業を受けて、気付けば放課後になっていた。
今日も栞奈は部活で、つかさは用事があるとかなんとかで、帰りは必然的に桃と二人になった。
部室は……まあいいかなと思って行かなかった。週明けだから、花たちの様子は朝と昼に見にいったのだった。
この前からの続きのように桃のマフラーを巻いてあげる。三日続ければそれはもう習慣になっているという話があるように。
帰るよとなったときにちょっと落ち着かなそうになる桃を観察するのも面白いかもと思ったのだけれど、なんとなく悪いなと思って、私の方から「ほら」と促した。
校舎の外に出ると、しとしとと細かい雨が音らしい音を立てずに降っていた。
自転車を置いて帰るかどうか、と迷いながらスマホで明日の天気予報を確認する。快晴。
「傘入らせてもらってもいい?」
「あっうん、ぜんぜんいいよ」
と桃はあっさり受け入れてくれる。
「ふゆ、濡れるからもうちょっと寄って」
「いいの?」
「うん。……あ、そういうの気にする?」
「そういうのって?」
訊ねると、桃は少しだけ表情を固くした。
「近い、とか」
「いやないない」
間が生まれないようにすぐに返事をする。
ついでにハンドルを横にずらして桃に寄る。小さな水たまりからはねた飛沫で足が濡れた。
「こういう場合は気にしてもおかしくないって思った」
「んーでも、お願いしてるのは私の方なんだから、近寄れでも離れろでもどっちでも大丈夫だよ?」
「いやその、そうじゃなくて。……気付いてないみたいだけど、相合傘ってことになるじゃん、これ」
「ああ、たしかに」
言われてみれば、と思い桃に目を向けると、
やっぱり気付いてなかった、というような苦笑が返ってくる。
「したことなかったっけ」
「ない。ないない」
ないよ、と考えているうちに付け加えられる。
「写真撮るときとかもっと近いから、なんで今更訊くんだろーって思った」
「たしかに。ちょっとわたしが意識しすぎてたかな」
「……」
「……あ、ちがうのちがうの」
何も言ってないのに、というか言う前に、あたふたしている感じでふいっと目を逸らされる。
それに触れずに頷いて、横目で様子を窺っているうちに、桃は息を整えてから再度こちらを向いた。
「あの、ぜんぜん関係ないんだけど、写真っていうとさ」
「……栞奈から送られてきたやつ?」
「よくわかったね。そうそう、ふゆの写真」
と桃はコートのポケットからスマホを取り出す。
いやいや、と反射的に左手を伸ばして画面を覆う。
「やめてよ恥ずかしいから」
「そう?」
「じゃ想像してみて。友達に自分の写真が映ってる画面見せられるの、恥ずかしくない?」
「うん恥ずかしい」
「ならしないでよ」
「ごめん。働いてるときのふゆを見るの初めてで、ちょっとうれしくなって」
桃はふわふわ笑って、手に持っているスマホを元に戻す。そして、「かわいかったから保存しちゃったんだよね」と嬉しそうに一言。
こういうことになるなら、栞奈に適当なこと言わずに『送らないで』って言うべきだった。なんだ『別にいいよ』って。あのときの自分を恨む。
まあ、喜んでくれているなら……いや、逆にそっちの方が恥ずかしさが増す。いっそのことイジってくれた方が気が楽だ。今日ここまで何も言われなかったから、言ってこないのではないか、と期待していた部分があった。
私が墓穴ったせいで桃に連想させたのだから、悪いのはどう考えても私。適当なことばかり言わないように努めよう。何事も考えてから発言と心の中で誓う。
でも多分一分後にはその誓いごと忘れてるんだよなぁ。最近そんなことばかり思う。
「栞奈ちゃんって、ふゆのお店によく来るの?」
「いや、たまに。今まで何回か」
答えると、なにかを思いついたように桃はすぐ近くから目線を外し遠くを見る。僅かに歩調が早まった。
「よければなんだけど、わたしも行ってみていいかな」
「あ、うん。いつでもどうぞー」
「え、ほんと? 実はね、前から行ってみたいなーって思ってはいたんだよね」
「へえ、そうなんだ」
土曜日にした瑠奏さんとの会話を思い出す。
桃が来たら瑠奏さんはどういう反応をするのかな、と思ったけど、あの人は身長が高めの同性を見ると動揺する習性があることを思い出した。
それってどんな習性だよ、という自己ツッコミはさておき。
ぼとぼとと傘に落ちる音がして、雨が少し強くなってきたことに気付く。
桃もそれに気付いたようで、傘を持つ腕と私の肩とが触れ合うかというくらいまで身体を寄せてくる。
「いきなり行っても迷惑かなって思ってたのもあるけど、一番はやっぱり機を逃していたっていうか、そういう感じで……ふゆがいいなら今度行ってみるね」
「うん」
律儀だなぁ、とぼんやり思う。迷惑だなんて思うわけないのに。
まあ、何かを突然の思いつきで実行しようとしたけど、それまで放っておいたせいでなにかしらの手順を踏む必要性が出てきてしまった、という経験は私もある。
ていうかそんなことだらけなのだ。
「言ってみてよかった」
と桃は言ったけれど、栞奈が桃に私の写真を送らなかったら、多分バイト先に行ってみたいのバの字も出ていなかっただろう。
きっかけというものは普段注視して見ようとしていないだけで、そこらへんに無数に転がっている。そのかわりずっと放置してると拾い上げるのは難しくなる。
それが存在している地面や空間はほとんど変わっていないはずなのに。
「ちょっと駅前のお店寄っていかない?」
「いいよ。買い物?」
「ううん。そういうわけじゃないけど」
ほら、と桃は傘越しに薄暗い空を指差す。
雨宿りも兼ねて、ということだとすぐに気付く。
私も桃につられて周りを見る。勢いをさらに増した雨は白驟雨と呼べるようなもので、等間隔に植えられている街路樹の木の葉からは、閉め忘れた蛇口のように断続的に水が流れ落ちていた。
傘の外を見れば、街灯がレモン色に光っている。この通りは昔はすべてガス燈だったはずだけれど、ちょっと見ないうちにそうじゃないものが入り混じるようになっていた。
「ふゆはこういうとき、家に連絡とかする?」
「しないかな」
「そう。ならわたしもいいかな」
なんて会話をしているうちに駅前について、さてどこに行くかというふうに視線がかち合う。
どちらもそんなに行きたいところはないよね、と自転車置き場のある商業施設にそのまま入ることにした。
二人で放課後どこかに寄るなんて初めてかもしれない。
思いつく限りだと今年の春に桃の家に行ったことくらいで、それは私からしたら『寄る』かもだけど、桃目線だとそうじゃない。
ほぼ毎日一緒に帰っていてそうなのだから、それはもう"機を逃していた"、とは言えないなと思った。
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