部室でぼーっとしていたらSHRまでの時間が迫ってきていたので、早歩きで教室を目指す。

 部室はなんとなく落ち着く。あまり居着きたくはないが、一人になれるし広さがちょうどいいのだ。


 今日はいつも通り早く学校に着いたのだけど、花瓶を洗っているときにはもう次の人が教室に来てしまった。

 週番だったらしく、少しだけ仕事を手伝った。といっても、身長の低めなその子の代わりに黒板の上の方を消したくらいだけど。


 話が好きそうな子でいろいろ話しかけられて、最初のうちは答えていた。でも終わりが見えなさそうだったので部室に行くと理由を付けて逃げた。


 単純な質問に答えるだけだったから、今考えてみると楽だったのかもしれない。普通にそのまま答えていればな、と反省する。もしくはその子のことを聞けばよかったな、とも思う。

 これだから友達が少ないのだろう。こういうきっかけを逃すと後々響いてくるのかもしれない。頬をつねって再度反省する。


 そしてその、つねった拍子にどうしてかは分からないけれど、好きな形の雲の話とか、好きな動物の話をしてくれていた子のことを思い出した。

 小学生の低学年か、それよりも前か……いずれにせよまだ小さいときの記憶だ。


 転校や進学で沢山の人や友達と出会って別れてを繰り返すと、不必要だと感じたものから忘れていってしまう。大抵のものは感じることすらなく忘れる。

 その中で忘れずにいるのは大切だと思っているからなのか。相手にとっては多分、いやきっと、私なんて取るに足らない存在だとは思うけれど。


 記憶に容易に蓋は出来ないものだなぁ、と目を細めていると後ろから私の名前を呼ぶ声がした。


「ふゆゆ、おはよー」


 振り返ると眠たげな調子のつかさがゆるく手を振ってきていた。

 私も手をあげて挨拶を返すと、安堵したような面持ちでこちらに駆け寄ってくる。


「眠そうだね」


「うん。昨日遅くまで電話しててさ」


「そっか」


 噂の恋人さんとなのかな、という考えが頭に浮かぶ。

 きっとそうなのだろう。そうじゃないかもしれないけどそんな気がする。


「ふゆゆはいつも眠くなさそうだよね」


「日付が変わる前には寝てるから」


「へぇー。夜やってるテレビとか見ないんだっけ?」


「そうだね、あんまり。たまには見るけど」


「ふーん。まあなんかふゆゆはそんな感じだよねー」


 そうなんだ、と私は自分のことを言われているのに他人事のように答えた。どう答えればいいのか微妙に思えたから。

 そしたら案の定、「んな他人事みたいに」とツッコミが入った。互いに目を合わせてくすくす笑う。


「やっぱりふゆゆはワールド持ってるよね」


「なにワールドって」


「自分の世界というか、他とは違う系のなにか」


「つまり変わってるってこと?」


「平たく言えばそんな感じ」


「うーん」


「あ、ふつーに褒めてるんだよ」


「いやそうは言ってもねぇ……」


 他人から変わってると言われて素直に喜ぶ人はいないだろう。もしいるとすれば、そういうふうに見られたいと思っている人か、なんでも好意的に捉えることのできる人のどちらかだと思う。


「私だって可能な限りは多数派から外れていたくないって思ってはいるんだよ」


「んーでも、そういう人は友達と話合わせるためにテレビとか見たりするんじゃない?」


 たしかにそうだし、私も昔はそうだった。

 周りから外れていたくないと思うのは誰にでもあることで、外れないために適当な取っ付きやすい話題で話を合わせることは、まあ言っちゃなんだけど一番簡単な方法だ。


 そうじゃなくなったのは、関わる人がそういう話をしなくなったからというだけのことなのだろう。

 取り巻く環境への最適化というよりは、主体性がないために周りに合わせているだけ。


 でも何らかの物事を延長するにあたっての手続きを必要としないなら、それはそれとしてそのまま享受してしまう方が楽だ。


「でもそのふゆゆワールド、わたしはかなりいいと思うよ」


 つかさは冗談めかしたような口調でそう言いつつ、親指を立てた。


「ももちゃんもゆるふわなワールド持ってるし、栞奈はちょっと超人的な感じするし、あーわたしってけっこー普通なんじゃねーのって思える」


「ふうん。てことは、つかさは普通でいたいんだ?」


「まあそれはね。全部じゃなくとも、何個かは普通さをもっていたいじゃん」


「そっか」


「どうしても普通でいられない部分もあると思うし」


「難しいね」


「そ。まあ朝からする話じゃないねー」


 というようなことを話しているうちに、もう教室の前までたどり着いていた。

 まばらな話し声がして、その中にさっき話した子の姿を見つける。目があって、少しだけ隠れがちに手を振られる。


「とーかちゃん、おはよーございまーす」


 ちょっと驚いている私をよそに、つかさは黒板の近くに先生を見つけるやいなや、小学生でもしないようなわざとらしく間延びした挨拶をした。

 視線を戻すと、さっきの子はまだこちらを見ていた。ううん……これはどういう反応をすればいいのか。


 てきとうに会釈をすると、へらーっとした笑みが返ってきた。これはこういうコミュニケーションなのかな? と思った。今度直接聞いてみよう。


「おはようございます、つかささん」


 つかさはいつも先生にがんがん絡んでいく。お気に入りらしい。

 私も「おはようございます」と言うと、きっちりと挨拶を返してきたあとに、先生ははっとしたような表情をした。


「つかささん、あの、ちゃん付けはやめようね。これでもいちおう先生だから」


「はいはーい、わかってますよーとーかせんせー」


「もー……。ああ、今日はちゃんと寝ないで授業受けなさいよ」


「がんばりまーす」


「あっそうそう、テスト勉強はちゃんとやってるの?」


「え、せんせー、テストはまだまだ先ですよ?」


「でもつかささんは、今からやってないと補習かかっちゃうじゃない」


「んー……たしかに。それはたしかにですけどー」


 ともだちみたく楽しそうに会話をしてるなぁとぼんやり二人を眺めて、自分の席へと向かった。



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