「そろそろテストだよね。勉強してる?」


「ぜんっぜん。気付くと一日終わってる」


 廊下を歩きながらの栞奈からの質問に、手を横に振りながら答える。


 十二月の初めには後期の中間考査がある。すっかり忘れていた感があった。それもそのはず、前の試験からあまり月日が経っていないのだ。

 それに先週には校外模試なんかもあって、まあ当然勉強なんてせずに出たとこ勝負だったわけだけど。散々な出来を想像するだけで気分が落ちる。


 テスト期間が来るまでは、試験に向けての勉強なんてしない。

 私はそうだし、みんなもそうだと思う。毎日欠かさず勉強するなんて、そこまで勉強が好きな人はいるのだろうか。


 この学校はそこまで頭が良いところではない。普通よりちょい上くらい。だから、みんながみんな勉強が必要なわけじゃない。

 する人はするし、しない人はしない。しなくたって余程でない限り進級は出来るし、卒業も出来るだろう。


 そんなことを考えながら、階段を上る。私に勉強が必要かそうじゃないかはよく分かっていない。学生の本分は勉強とは言うが、他に没頭している何かがなければ他人からそういうことを言われることもないだろうと思う。


「そういえば霞って、普段は家でなにしてるの」


「なにって……いろいろ? 本読んだり、寝てたり」


 他には、映画を観る。なにか食べる。ただ床に寝転ぶ。二度寝する。三度寝する。四度……中身らしいものがまったくない気がする。

 栞奈は部活が夜まであるから、家に長くはいないのだろう。「なんかちょっと見てみたい」と言われて、ええ……、となる。

 なにをしているか、と聞かれても困る。大半が方針などなくただ適当にしていることなのだ。寝てばかりだとは恥ずかしくて言えない。


「ていうか、どういう質問よ」


「や、ちょっと気になっただけ」


 歩き進んで、渡り廊下を通る。昼休みだけあって生徒が入り乱れていて、体を小さくして避けながら行く。


「栞奈は勉強して……るか、してるね」


「いや、最近は私も全然。部活忙しくてさ、先輩引退したばかりだし」


 そうはいっても、私よりはちゃんとしていそうだけど。

 栞奈は成績がすごくいい。正直言って、この学校のレベルには合っていない。

 それほど勉強しなくとも、余裕で学年一位とか取れそうな感じはする。この学校で一位でも意味ない、と前の考査の時に言っていたことを思い出す。


 先輩が引退した、ということは今まではまだ引退していなかったってことか。

 好きなのだなぁ……と思う。三年間毎日のように部活があるなんて、想像できない。


「あ、キャプテンこんにちはー」


 渡り廊下の半ばに差し掛かったところで、私たちとは別の色のリボンをした生徒が挨拶をしてきた。

 ベリーショートの髪、跳ねるような歩き方と活発そうな印象で、いかにも運動部っていう雰囲気だ。


「はい、こんにちは」


 栞奈が挨拶を返すと、にこっと笑って深々と礼をして友達のところへ駆けていく。

 めっちゃ先輩っぽい。それも普通に学校生活を過ごしていたらあまり拝めない、かなり尊敬されているタイプの先輩だ。


「ていうか、キャプテンだったんだ」


「そうね。言ってなかった?」


「うん初耳。なんか、たいへんそー」


「まあ、そこそこ大変ではあるかも」


 でも小学校の時も中学校の時もやってたし、と栞奈は笑う。

 なるほど。リーダー役が板に付いているのは、そういう事情ないし経歴があったのか。


「ああ、そだそだ。みんなでお出かけするとして、海と滝ならどっちがいい?」


 ぱんと手を打ち、話題を変えるように栞奈は声のトーンを一つ上げる。

 お出かけ、海と滝、と口の中で反復する。景勝地やらマイナスイオンやらという単語が頭に浮かんだ。


 すっごく適当に「滝かな」と言うと、「へえー滝かー」と私に合わせたような反応が返ってくる。


「じゃあ次のテスト休みに、みんなで滝に行こう」


「……え、これすぐ最近の話だったの?」


「そりゃそう。最近遊んでなかったじゃん」


「それは、うん。でも、私が決めていいの?」


 少なくとも栞奈の中では海と滝は同列で、だから私にどちらがいいか聞いてきたのだろう。

 だとすれば、四人で多数決とかそういうことをした方がいいのではとちょっとだけ思った。


「いいの。いつも私とつーが決めてばっかだから、たまには霞の意見も聞かないとって思ってね」


「そっか。うん、それもそうだ、……いつも悪いね、なんでも決めさせちゃって」


 つかさがふと思いついたように誘ってくるか、栞奈がそれまでの何気ない会話から拾ってくるか。

 私から、もしくは桃から四人でなにかをしようという提案を投げかけることは少ない。

 桃と二人になれば、どちらもぐだぐだなにかをしようとしたりしなかったりするのだけど、物事を決めるのにはエネルギーを使うのでしんどい。


 昨年までは、ほぼ二人きりでいたから『休日にどこかへ出かけてなにかをしよう』とかもなかったわけだ。

 つまり行動力のある二人と関わるようになって、やっと決められるようになったという。私は、どちらにしても決めていないのだけれど。


「でも滝って、なにするの?」


 優柔不断にもなりきれない自分の軽薄さを顧みながら、適当な質問をする。成長する気はさらさらないらしい。


「それ私も思ってた。なにしよっか。一応、滝壺と、紅葉観れるところ行って、わーってしてればいいと思ったんだけど」


 どうかな、とちらっとではなくしっかり私を見て聞き返される。

 結構真面目な方で私の意見を参考にしたいっぽい。空腹とは別の意味で胃が音を立てそうになる。


 いいんじゃないかな、という意味を込めて頷く。

 紅葉シーズンの終盤なので、そういう観光地的な場所は混み合うはずだ。出店で食べ物とか売ってそうだし、家族連れも多そう。

 そうした賑やかな雰囲気であれば、特になにも考えずとも楽しめると思う。私の中の楽しいは、どうやらワクワクするようなものとは異なっている。


 そういえば昨日、付き合ったら楽しいことができる、と桃は言っていた。昨日の今日でほぼ忘れかけていたけれど、ふと思い出す。


 恋人の(というと変な感じはするし、むずむずするが)関係性の話なのか、それともまた別の意味での楽しいなのか。

 後者の方であってほしいな、と少しだけ思う。前者は……そもそも分からない。


 桃と私の思う楽しいは、恐らく一致していない。気が合うところはあるから、まるっきり違うことはないのは分かる。

 でも、その意味を狭めていけば、決して小さくはない隔たりが生まれてくることは間違いないだろう。

 その窮屈な感覚みたいなものを、私は見えるようにしてしまいたくはない。


「だよね。わーってしてるのが一番いいと思うよ」


「んー、そう言ってくれると思ってた。どうしてもやることなかったら、温泉にでも入りに行こ」


「近くならいいんじゃない」


「滝から走って一時間くらいのところにあるはず」


「それ、遠くない?」


「まあね」


「しかも最近寒いし……」


「それなりにね。まあでも厚着して、あとは気合いでなんとかなるでしょ」


 そうなのかなー。ならなそうだなー。栞奈はこういう、たまにスパルタなところがある。


 寒い、から連想して、そろそろ朝に走るのも夕方、ないし休日の昼間に変えることも考えなきゃな、と思った。

 今年の冬は絶対に寒い。断言する。何かしらの融点が上がったことで、体とは違う場所が寒さに耐えられない気がする。


 ふと気付くと、手に持っていたアイスが指先から伝わった熱で溶けかけていた。

 そう、こんな風に。それまでしっかりカタチを保っていたものが、でろんと液体になってしまうかもしれないと思ってしまう。


 このアイスと違って不可逆的なものでありそうなのがなんとも、余計にたちが悪そうだ。


 教室に着くと、「おそいぞー」とつかさが机をぽんぽんして席に座るように促してきた。

 早歩きで向かっていたのだが、席の近くでもう一度急かされる。そんなに待ち遠しいものなのか。

 じゃんけんでデザートを買いに並ぶ二人を決めようとなり、栞奈と私が負けて、そして買ってきたのだ。


「おかえり。ふゆはなに食べるの?」


 桃が自分の存在を主張するように、前のめりになりながら椅子を寄せてくる。


「抹茶。桃は?」と抹茶アイスを片手に答えると、「わたしも抹茶」と腕を伸ばしてくる。


 取ったのは、私の腕だった。それもそのはず、抹茶アイスは一つしか買ってきていない。

 こういうことが、いや、まあ冗談か。冗談なはず。うん。浮かびかけたものが言葉になる前に、思考を断ち切る。


「じゃあラムレーズンと半分に分けようね。はいこれスプーン」


「わーい」


 お好きなようで。そんなことだろうと思った。

 というわけで、アイスを掬って桃に食べさせてあげた。


「あ、これおいしいね。じゃあわたしからも、食べて食べて」


「うん」


 ……しかし、食べさせあう意味はどこにあるのだろう。

 そう思っているうちに、アイスが口元に配給されてくる。


 まあ今までも、そこそこの頻度で食べさせあったりはしているような気はする。

 桃はそういうのが好きらしい。私も誰かとなにかを共有するのは嫌いじゃない。


 食べる。ひんやりしてて美味しい。

 舌の上でとろけるやわらかさと、ふわりと抜けていくラム酒の香り。

 アルコール濃度なんぱーなのかは知らないけどお酒っぽいから、これは大人の味っていうのかな。


「つかさも食べる?」


「え」


 物欲しそうに見てきたので言ってみると、つかさは正面から額でも叩かれたように仰け反った。

 いやなにその反応。首痛めそう。


「や、やーわたしは、栞奈と交換するかなぁー」


 なんて言って、気を取り直すように前のめりに戻ってきてから、黙々といちごミルクアイスを食べている栞奈の肩に腕をまわす。


「なにいきなり」


「えっ友情アピール?」


「……うーんでも、つーにはあげたくないかな」


 そう返しつつ、つかさの表情の変化を見て、栞奈は手の甲で口元を覆う。

 へぇー、と私まで言いそうになった。こういう風な仕草をする栞奈は初めて見たかもしれない。


「ていうか、これはいいのかい?」


「へ?」


「……あはは、なんてねー。はい、あーん」


 よく分からない会話が二人の間で交わされている間、桃はアイスが乗ったスプーンをこちらに向けたままでいた。

 ので、スプーンの近くに顔を近付けて、ありがたく頂戴する。色で分かっていたけど、抹茶味だった。


「こっちも美味しいね」


「うんうん」


 それから授業が始まるギリギリまで食べさせあいをして、残りは普通に食べた。

 案外食べさせてもらうのもいいものだな、と思った。楽なのはいいことだ。


 午後も午前と変わらず、集中力なんて微塵にも感じられないような雰囲気で授業が進む。

 話の二割程も頭に入ってきていないように思えて、かといってぼーっと前を見ていてもそれはそれで目立つので、教科書を見ているふりをする。

 板書がほぼない授業だと、ここがしんどい。席が後ろの方でよかったと思う。

 よく眠いことを瞼が重いとは言うが、瞼が軽いとは言わない気がする。だから表現としては正しくないような感じだけど、いつも私は瞼が軽い。


 あまり意識はしてないが、寝る場所とそうでない場所は分かれていて、ここはそうではない。

 だから、眠くもならない。と、多分違うんだろうけれど結論付ける。


 普段疲れるようなことがなければ眠たくならなくて当然だ、と。

 単純にそう思ってしまうのは、なんだか悲しいような気がするから。



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