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思い返してみると、最近の授業は退屈そのものだった。
文化祭やら球技大会、マラソン大会なんかの行事も終わり、まだまだ先の冬休みを待つように、ゆるーくべっとりとした空気のまま授業が進む。
それは今日も例外でなく、一限目から寝ている人がちらほら。運動系の部活に所属している人が多いのもあると思うけど、それにしたってという感じ。
数学の授業を聞き流しながら、隣の席に目をやる。
桃が授業中に寝ているのを、私は今まで見たことがない。いかにも寝てそうではあるのになあ。
なんていうか、ひなたぼっこをしながらすやすや寝息を立ててそうな雰囲気。窓際の席で、にわかな日差しとストーブからの熱を感じて、みたいな。
でも真面目な子だからそれはないか、と一人で納得する。内面よりも外面を、いややっぱり内面を、というように思考が移り変わる。
「ねね、この問題やってきた?」
小声で桃が話しかけてくる。指を差した先には、課題のプリント。
ぱっと見では埋めてあるようだけど、どこか解けない問題でもあったのかもしれない。
「やってきたよ、見る?」
「うん、答えだけ……あ、やっぱり見せて」
私からプリントを受け取った桃は、二枚を見比べて満足そうに頷く。
そして、プリントになにかを書き込んで、今度は私に向けてふわりと笑みながら頷き、「はい」と返してくる。
落書きでもしてきたのかな、と思いながら返ってきたプリントを見ると、
『髪はねてるよ』
と書いてある。冗談だろう、と思いながら窓の反射で確認すると、本当にはねている。
髪を手で梳きながら目を向けると、桃はくすくす口元を隠して笑っていた。
「かわいい寝癖。ふゆにしては珍しい」と普通の声の大きさで桃が言ってくる。
「授業中……」と言いかけて、周りも騒がしいことに気付く。
先生は廊下側の席をうろちょろしていて、いつの間にか話し合いの時間になっていたようだった。
「どうしたの? 寝坊したの?」
「や、違う。……多分風だ。自転車だから。てか言ってよ」
「ふふ、朝から気付いてたんだけど、自分で気付くかなーって黙ってた」
まだちょっとだけ、と桃はこちらに手を伸ばしてくる。
何事か、と思ったけれど、すぐに髪のことだと理解して黙って受け入れる。
桃の手はひんやり系だ。髪、というか頭皮? でその冷たさを感じる。
四枚も五枚も服を着て少し火照っていた体には心地良い。十分間くらいは触れてくれてもいいくらい。
そういえば、自分からはよく私に触れてくるのに、私から触ろうとすると桃は避ける。必ずと言っていいほど。
癖のようなものなのだろうか。分からなくもないけど、うーん。
ためしに、もう直っているはずなのに私の頭に触れている桃の手に、私の手を重ねてみようとする。
「…………」
無言で避けられてしまう。まあ、ここまでは想定内。
「えいっ」とわざと間抜けな調子で言いながら、宙をさまよう桃の手首を捕まえる。
触った感じ、見た目以上に細いな、と思う。青白いとまではいかないけど、血管がはっきり見えるほどに白い桃の肌の色も影響しているのかもしれない。
私が掴んでいるその部分だけが、熱を帯びたように赤くなる。白の中に赤の斑点は、夏の屋台を想起させる。
自分の体温が移っているみたいで、気恥ずかしいような……だったらやめろという話なんだけど。
俯きがちな桃の表情は、無表情? あまり変化の兆しが感じられない。
べつにその反応で物足りなくはないけど、もしかして触られることへの嫌悪感が勝ってたり。
ぱっと手を離したら、桃は赤くなっている部分をさすって、なにかのまじないをするように三本の指でゆっくりなぞった。
そして、「新発見かも」と穏やかな顔つきで顔を上げる。
「ふゆにいたずら好きな一面があるなんて」
「……」
「でも、いきなりだとびっくりするよー、すごく」
「……お互いさまじゃない?」
桃から触れてこなかったら、私も桃に触れてみようとは思わなかった。
「……んー、そうかな?」
「私だってびっくりしたよ」
「あ、そうなの? そうなんだ、そっかそっか」
と桃は小刻みに首筋と肩を揺らす。
それに伴って落ちた目元を見て、ついつい指摘してしまう。
「そこ、喜ぶところ?」
「うん。わたしにとっては嬉しいことだよ」
それは私と同じ動機のようで、なにかしらの純度が違っているような気がした。
問題の解説が始まって、お互い前を向いて話を聞く。
こうなってしまうと、やっぱりすることがないし退屈になる。目が乾燥するし、自然と溜息が出てしまいそうになる。
握っていたペンを手元に置き、またしても話を聞き流すのに適した姿勢を取る。
目で解答を確認する傍ら、時計をちらっと見て授業の残り時間を確認する。これが終われば昼休みだった。
ということで、今日のお昼ご飯について思索を巡らせる。まだちょっと早いけど、暇つぶしには丁度良い。
この季節は、なぜだか無性に冷たいものが食べたくなる。
アイスにプリンにヨーグルトに。食堂のむわっとした暖房だと、二割増し、いや五割増しくらいそう思う。
いつも通り日替わりランチにして、ご飯の量を少なくしてもらおう。そして、食後に冷たいもの。それで時間的には余裕が生まれそうだ。
そんなこんなで、思っているほど空いていないお腹を擦っていると、次の授業までの課題プリントが前からまわってきた。
後ろの席にまわそうと……って、つかさがダイナミックな突っ伏し方で爆睡していた。
腕を枕代わりにするわけでもなく、ただ額を机にくっつけて。絶対起きたら赤くなってるやつだ。
私の体を隠れ蓑にしていたらしい。昨日のバイトの疲れでも溜まっているのだろうか。
ていうか、いいのか先生も。朝に見て分かったけど、教壇からはこの位置で寝ているとバレバレだ。隠れるどころか、むしろ目立つ。
おーい、と声をかけようとして伸びかけた手を止める。なんだか別にそのままでもいいかって思った。
そーっと起こさないように頭から首にかけての位置にプリントを置く。同時に、びくっとつかさの肩が跳ねる。
今思ったけど、寝ている人間って虫みたいでホラーだ。どう動くか分かんない異次元のムーブ。
若干しゃくりかけながらおそるおそる指を離して、戻る。
すると、真横から何度目かの視線を感じた。
「……どうかした?」
「……んーん、べつにー?」
手を振りながら、脚もぱたぱたさせる。
子供みたいな仕草で、ちょっと笑いかける。
「いたずらじゃないよ、これは」
「え?」
「……いや、なんでもない」
「……んー?」
そういう意味の視線かと思ったけど、違ってたか。単純に私が目に入っただけか。
桃は私から目を切って、もう一度「んー」と呟きながら、自分のプリントをクリアファイルにしまう。
その拍子にごにょごにょと口元が動いたが、何と言っているのかまでは読み取れなかった。
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