「ふゆ、これからなにか用事ある?」


 六限の授業が終わると、桃が隣の席から話しかけてきた。少し眠気に誘われていたのもあって、ぐいんと伸びをしてから「んー特には」と返す。

 一応、あることはあるけれど。あまり大したことではないから、なにか用事があると言うなら、そっちに合わせることはできる。


 担任の先生が教室に入ってきて、細かい連絡を済ませてお開きとなる。掃除当番は先週だったから今週は休みのはずだ。


 通学用の鞄に荷物を入れて、上着に袖を通しつつ横を向く。

 桃も同じように帰る準備をしてるところで、私の視線に気付くとすぐにこちらを向いた。


「じゃあ、駅までいっしょに帰ろうね」


 そう言いながら、椅子を戻して隣に並んでくる。そういえば最近お互いに予定があって一緒に帰っていなかった。

 わざわざ用事があるかを聞いてきたのは、私が自転車で桃は地下鉄だからだろう。普段は校門で別れるから、駅まで歩くことはあまりない。


 既にジャージ姿に着替えていた栞奈は今日も部活があるようで、一言「またあしたー」と教室を出て行った。


「そうそう、マフラーを新調したのです」


 桃は鞄の横ポケットに手をやって、くるくる巻かれているマフラーを取り出した。

 幅が広めで、どっちかといえばストールに近い気もするけど、生地は厚めだからどうなんだろう。違いが分からん。

 色は白っぽいベージュに何色かのパステルカラーが入っているもので、たまに桃が身につけているカーディガンと同じような色合いだった。


「巻いてくださりますか」


「えー、自分で巻きなよ」


「朝に練習したんだけど、上手く巻けなかったの」


「今日そこまで寒くないから、また練習してらっしゃい」


「えー……」


「……わかったわかった。仕方ないなぁ」


 もっと寒くなれば、私もマフラーやら首元を覆うものを引っ張り出す必要がありそうだ。

 これぐらいでへこたれてたら今年の冬は越せないぞ、という眼差しを桃に向ける。


「なんかこうやって巻いてもらうの、新婚さんっぽいね」


 めっちゃ鮮やかにスルーされた。その感想は分からなくはないけど。新婚さんが巻くのはネクタイかな。

 今時そんなステレオタイプな夫婦はいるのだろうか。ていうか、巻き方こんなでよかったかな。


「ありがとう。ふゆの巻き方にしてみたかったんだよね」


「ちゃんと巻き方覚えた?」


「ん、んー……」


 視線を落として、マフラーをぐいぐい。首を捻ってから私を見て、「まあまあ」と一言。

 絶対明日になっても覚えていない気がした。


 教室の掃除の邪魔になっていたので、そそくさと廊下に出る。窓から吹き付ける風はわずかに温い。


 クラスメイト数人とすれ違って、まばらに手を振る。大半は私じゃなくて桃に挨拶をしているのだろうと思う。

 桃はけっこう社交的。私は……まあ、人付き合いが苦手ではない程度、なのかな。あまり三人以外とは話さない。


「あれ、靴変えたの?」


 階段を降り、下駄箱から靴を取り出すと、桃は不思議そうに私の手元を指さした。


「よく見てるね」


「ふふん。なんだかいつものよりもスポーティーな感じだね」


「間違って履いてきたの。制服だと浮くからいつも履いてない」


「あ、そうなんだ。わたしも走りやすい靴買おっかな」


 ふゆと同じのとか、と陽気に笑う。もちろん冗談だろう。


「じゃあ帰ろっか」


 桃が靴紐を結び終えたのを確認して言う。いつもほどきっぱなしの私と違ってえらく真面目なこと。


 そんなこんなで外に出る。

 駐輪場に自転車を取りに行こうとすると、桃は察してくれたのかこくっと頷いて足を止めた。


 鍵を開け、サドルが少し高めなスポーツタイプの自転車に跨がる。すいすい漕いで桃のところまで戻って降りる。

 そのまま自転車を押して校門まで歩いていると、後ろから「おーい」と大きな声が聞こえてきた。


「あ、つかさか」


 ぜいぜい息を切らして、つかさが私たちのところに走ってきていた。


「はーっ……。二人ともわたしを置いて帰っちゃうなんてなんてひどいなー」


「教室出てったからもう帰ったんだと思ってた」


「んーまー……なんつーか、呼び出しってやつ」


 軽い口調で、つかさは未提出の課題を出しにいったということを口にした。

 提出期限が今日までだったらしいが、そんな課題には聞き覚えがなかった。隣の桃も同じことを考えているようで、口元に指を添えて首を傾げていた。


 桃、私、つかさの順に並んで歩く。この三人になると、たいてい私が真ん中になる。

 自転車があるから外側に行きたいのだけれど、桃はすぐに私の左側を取るし、つかさも自然に逆側に来る。

 挟まなくたって逃げはしないのに。信用ないのか……いやそもそも二人を無視して自転車に跨がって帰ったりしたこと自体ないのだった。


 学校から駅までの道は、まっすぐ行けば十分ちょっと。東口へと繋がる道を通るのが最短ルート。

 ただ道幅が狭いから、自転車で通るには充分だけど複数人での歩きには向かない。

 なのでいつもぐるっと遠回りして西口の方に向かう。こっちの方が人通りが多いし、街灯があって夜でも明るいからだ。


「ふゆゆとその愛車を見てるといつも思うんだけどー」


 つかさは私の自転車をポンポン叩いて、明らかな思いつきを口にする。


「ふつーにパンツ見えない? てか見える、ゼッタイ」


「はあ」


 質問かと思ったけどそうじゃなかったみたいだ。言ってるうちに自己解決されても困る。

 それにしても、パンツて。女子高生が街中で言う言葉とは思えない。


「ふゆゆ乗ってみてよ」


「そのフリで乗るかなぁ……まあいいけどさ」


 つかさの言ったことには特に気を遣わずに、いつも通りに跨る。

 すると、すぐに聞こえる「おお」という声。


「すげー、全然見えない。鉄壁じゃん」


 それだけ言って、つかさはさっさと前に歩いていく。ゲンキンなやつってこういうこと。

 髪先を摘んでぼーっとこちらを見ていた桃は、私の視線に気付くと一瞬で目を逸らす。……なんだろ?


 しばらくゆるゆると歩きながら他愛のない話に興じる。話題は今日の体育について。


 分かりきったことだったけれど、バドだったら得意ということもなく、テニスとそう変わらなかった。来たシャトルを返すので手一杯。桃のミス待ち。

 でも桃もあまり得意でなかったのが幸いして、勝負としてはあまり酷いものではなかった。どんぐりの背比べ感がやばかったのは忘れることにする。


 一方で、つかさは栞奈とまたテニスをしていたらしい。「今日は三勝二敗、先に十回勝った方にジュース奢りなのだ」と。ほんと仲良いな。

 一年の時は二人と別のクラスだったから、どのようにして仲良くなったのかは知らない。四月には今の感じだったはずだ。


「つーちゃんって昔から運動得意だよね」


「んーそんな得意ってほどではないけどー、まあ体動かして汗流すのはいいよね」


「そうだね、うん。運動はたまにならたのしい」


「んじゃ次の体育またテニスする? この前負けたからリベンジ!」


 この組み合わせも仲が良い。いやどこかのペアは仲悪いとかそういう意味はなく、シンプルに。

 小中学校が一緒のところで、何度か同じクラスになったことがあるとかなんとか。幼馴染っぽいやつ、とつかさが前に言っていた。


 昔の自分をよく知っている同級生がめっちゃ身近にいるのってどんな感覚なんだろう。

 私にはそういう人がいないから、だいぶ未知の領域だ。今度それとなく聞いてみようかな。


「もう着くけど、どこか寄ってくの?」


 そろそろ駅が見えてくるところだったので、桃に声をかける。

 おそらくなにもないんだろうと思うけど、まあ一応。


「このまま帰るつもりだった、けど」


「そっか。行きたいとことかないなら、ここで、だね」


「うん……えっと、そうだね」


「じゃあ、また明日ね、ばいばい」


 階段を下っていく姿をちょっと見ていると、桃がちらっと振り向いた。

 手を振り返すのを忘れていたと思ったみたいだ。やっぱり律儀。



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