第26話 スラム街

「…ここか」


 俺は東のスラム街のある場所に来ていた。そこは何の変哲もない建物。周りとそう変わらない。


「まぁ、少しだけ…」


 ゼルはその建物を背にして中の様子を伺う。


 因みにリゼは目立つので、大きなショルダーバックの中に入れた。嫌がったが、リゼに襲われたくないと説得したら渋々と言った様子で入ってくれた。後でモモック買ってやろう。


 ゼルはバックを少し撫でながら壁に耳を押し付ける。


「〜〜〜ャ」


(何か話してる…?)


 スラム街の薄い壁なら事細かに聞こえると思っていたが、思っていた以上に壁が厚い。


「〜〜はまだ〜〜」

「〜〜さい!!」


 中から怒号の様な声が聞こえて来る。1人は若い女性の声。もう1人は老人の声だ。断片的ではあるが声の高さ、震えから大体予想はついた。


 そんな時。


(ん? あれは…)


 ゼルは建物の周りでウロチョロしている5、6歳ぐらいの少年を見つけて、静かに近づいた。


「此処で何をしてるんだ?」

「ひっ!?」


 少年はこちらを見た瞬間に驚きの声を上げて、後ずさった。そこまで怯えなくても良くないか? とも思ったが、此処はスラム街。知らない人に話しかけられてする、普通の反応なのかもしれない。


「別に何もしないよ。君は此処で何をしてるの?」


 俺は少年を安心させる様に、笑顔を作って見せた。


 何故かこの建物の周りだけを執拗に見渡していた。何かある。そう考えていた。


「お、俺、俺は…」

「いいよ、ゆっくりで」


 慎重に事を運ぶ。


 怪しまれない様に。何かあっても反応出来るように。


「……」


 俺は何も言わず、何もせずに待った。すると、


「お、俺は、姉ちゃんを探してて…」

「姉ちゃん?」


 小さな声でだが、少年は呟いた。


 その言葉に少し拍子抜けをするゼル。


 もしかしたら何かの関係者ではないかと疑ったが、どうやら違ったらしい。


「う、うん…昨日から見当たらなくて…」

「じゃあ何でさっきから此処を探し回ってるんだ? 此処で見失ったのか?」

「ううん、違うけど…」


 何故か少年は目を上下左右に揺らしている。

 何か言いづらい事なのか動揺している事が分かった。


「何か…あるのか?」


 俺は少年の両肩を掴み、真っ直ぐ目を見た。

 視線を合わせたおかげか、少年は少し驚いた表情を見せた後に噤んでいた口を開いた。


「…う、うん。実は噂があるんだ」

「噂?」


 ゼルは首を傾げる。


「この建物は人を喰らう化け物がいるんだって…ひ、人が居なくなったらまず此処を疑えって…」


 少年は少し辿々しくも言った。


 人を喰らう化け物…何かの比喩か…分からないが、火のない所には煙は立たないって物の例えがある。


 噂が立つからには何かあるという、そう言う言葉だ。


 ましてやこんな少年にも噂が出回っている。この少年の妄想と言われたらどうしようもないが、表情から見て…嘘ではないだろう。


「その噂、いつからあるんだ?」

「さ、最近…」

「最近…正確には?」

「せ、正確に? 何日も前だから…」

「……そうか」


 まだまともな勉学を教えてもらって無さそうなスラム街の子供。恐らく1月の日数も分からないのかもしれない。


 それに、思えばこの少年だけに正確さを求めてもこの建物の詳細は分からない、か…。


 ゼルは小さな溜息をして立ち上がる。

 そんなゼルに対して少年は、服の裾を掴んで言った。


「あ、あの、兄ちゃんは何でそんな事聞いてくるんだ?」


 その答えに少し間を置いて、笑って応えた。


「…別に」


 この子に変な期待を抱かせる事も、巻き込まれて変に怪我を負われても、どちらも損しかない。


「何処かでお姉さんを見つけたら、知らせるよ。君の名前は?」

「ラ、ラカ」

「お姉さんの名前は?」

「ラ、ラン」

「分かったラカ。また会ったら宜しくね」


 そう言うとゼルは踵を返すと、屋根へと駆け上った。


 しかし、この建物の屋根に登っても何処も怪しげのないボロい建物に見えた。しかも、どうも頑丈で屋根を突き破るつもりで踏み込みをしてもビクともしない。


 この厳重さ。此処で何かをやってる事は間違いない。


(まぁ、何の目的でやってるにせよ…リゼの危険になる可能性があるなら…)



「潰すだけだ…」


 ゆっくりと手を開き、手の平を建物の天井部分へつける。


「すぅー…ふっ!!」


 ゼルは深く息を吸った後、勢いよく吐き出すと同時に、接触していた部分を深くひび割れさせた。

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