第7話 駆ける
肌寒い暗闇の中、ゼルは王都の屋根の上を駆ける。
(ふぅー…あらかた此処の地形、建物の配置は分かったな)
良い狙撃場所や逃走経路、建物の中の構造等全て確認した。王都の中で戦闘になる事なんてないだろが、調べ過ぎて損はないだろう、そんな思いからゼルは屋根を駆ける。
ゼルは王都の中心、冒険者ギルド近くの屋根の上から"鷹の目"で周りを見渡す。
今の時刻は深夜の1時。出歩いている者は殆ど居らず、歩いていたとしても酔っ払った冒険者や、露出の激しい女性のみ。
この時間でもまだ人が出歩いている。
驚きの事だが、前いたフーゼンではもうこの時間には人は出歩いて居なかったのだ。
フーゼンの街並みは全体的に堅く、清廉を基調としている為なのか飲み屋が少なく、夜のお店も殆ど存在しない。夜出歩きたい者は自然と開いている店に集まり、顔見知りになる。
(…皆んな元気にしてるかな)
フーゼンの飲み屋で知り合った者達の事を思い出しながらも、周囲を見渡す。
(ん? あれは…)
フードの被った者、体型的に女性だろうか。その10メートル後ろ、物陰に隠れながら尾行している男が1人。そしてその男の服装は俺と同じような真っ黒な服だった。
どう考えても怪しく、危険な香りが漂っている。
助けるべきなのか、それともこのまま素通りするべきなのか迷っていると、ゼルはある会話を思い出す。
『レディが困っていたら手を差し伸べなさい』
『え…自分が死にそうな時でもですか?』
『その時はやめとくのです。ただ…』
『えー…』
(…とりあえず見守ってみるか。どうせ明日は何の用事もないからな)
ゼルは屋根の上からその女性達の後を追った。
「ふぅー…」
未だに女性の後を追いかける男は行動に移さない。数分観察した所、女性を襲う男だと思っていたがそうでもないようだ。
その男の様子は、女性の隙を伺っている動きではなく、何処か心配している様な動きだ。
でも怪しい動きをしている事も事実。あれから少し時間が経ったが、此処まで来たからには最後まで見守って上げよう。このまま何もあらずに終わればいいけど…。
ゼルは心配をしながら、引き続き女性と怪しい男の後を追う。
すると突然、女性が周りをキョロキョロと見渡した後、路地裏に入る。
(そっちは…)
「嬢ちゃん、今暇?」
「暇なら俺達と遊ぼうぜ〜?」
女性に対して、ベロベロに酔った2人のガラの悪い男が近づく。その男達は酒瓶を片手に千鳥足を踏んでいる。
「何をして遊ぶんですか?」
「そりゃあ、めちゃくちゃ楽しい事をして遊ぶんだよ」
「もしかしたらクセになるかもな!」
「なるほど…」
男達はニヤけ、下卑た話を続ける。女性はそれに対して俯きブツブツと呟く。数秒後、顔を上げると女性は言い放った。
「それは良いですね!」
女性は声を弾ませ、肯定し、男達へ近づいて行く。
何故そうなるのか、そう思って俺は身を乗り出すが、そこである者が女性と男達の間に滑り込む。
「サーラ様!! いけません!! こんな者達と遊ぶだなんて!!」
真っ黒な服、女性を尾けていた男だ。男の厳格な声からして年はそう若くないように感じられる。
「トマス? 何故貴方が此処に?」
「サーラ様が心配でついて来たに決まっております!!」
トマスと呼ばれた男は焦った様子でサーラと言う女性を、元の道へと戻そうと背中を押す。
「おいおい、爺さん。少し遊ぶぐらいだろ?」
「黙れ!! 下賤な平民め!!」
「何だと?」
「テメェ…!」
その言葉は今の状況では悪手だ。相手は2人、それに泥酔して正常な判断が出来てない。
先程の発言で位の高い者だと言う事は分かった…此処から男達がどんな反応をして、トマスと言う男がどう対処するのか…。
「後悔しても知らねぇぞ!!」
「トマス!?」
トマスの顔面に、酔っ払った者の拳が迫る。
しかし、トマスは拳はを掌で後ろに受け流し、当たる事なく空を切る。
「ふっ! こんなもの当たりませんよ!」
トマスは男から繰り出す攻撃を華麗に躱す。その身のこなしから中々の実力者だと言う事が分かる。
だけど…
「おい!! 大人しくしろぉ!!」
「うっ…」
そこには後ろ手に腕を掴まれたサーラに、ナイフを突きつけている男の姿があった。
もう1人の男は気配を隠し、2人が殴られている間にサーラに近づいていたのだ。
「サーラ様!!」
「はぁ、はぁ、こりゃあ形勢逆転だな!!」
動揺した隙に、男の拳が突き刺さる。
「ぐっ…!」
そして人質に捕らえられたのを気にしてか、トマスは無抵抗で殴られる。
「トマス!! 私の事は良いです!! 反撃しなさい!!」
「ぐっ!!」
サーラは叫ぶが、それでトマスが反撃をする訳にはいかない。
何故なら"様"という敬称を付けている者を人質に取られているのだ。怪我を負わせるわけにはいかないだろう。
(…周りにはあの2人以外見当たらない。あれぐらいなら俺の命を賭けないでも対処出来る)
ゼルは助ける事を決め、屋根から降りて人質を取っている男の背後に回り込む。
今日は辺りの地形を理解するだけのつもりだった。その為、弓やナイフといった物は持ってきていない。
つまり、素手で相手を制圧しなければならない。
(1発で終わらせる…!)
ザッ!
ゼルは一足飛びで男の背後まで行く。その間、10メートル。それを1秒にも満たない速さで近づく。
「あん?」
男は音に反応し、半身で振り返る。
(ありがたい…)
俺はナイフを突き立てている男の右手を、女性の首を傷つけないように引きつけ、男の顎を裏拳で殴る。
「がっ!?」
男はそのまま横へと倒れる。
顎は人間の急所の内の1つ。
顎を殴れば大抵の人間は脳が揺れ、平衡感覚が狂う。簡単には立ち上がれない。
「今だ!!」
「!! うおぉぉぉ!!」
俺が叫ぶと、トマスという男は声を荒げ、男に反撃を繰り出す。
「ぐはっ!!」
「はぁ…はぁ…すまない。助かった」
「いえ…」
後は任せても大丈夫そうだったので、踵を返してそこから居なくなろうとすると、手を掴まれる。
「あ、ありがとうございました…あの…貴方は?」
ペコッ
貴族に名前を知られても面倒なので名前は伏せ、失礼がない様に礼を返す。
そして今度こそ此処から離れようとすると、
「ま、待ちやがれ!!」
「…」
さっき殴った男が憤怒の表情でこちらを見上げている。
足をガクガクにしながら、やっとの思いで男が立ち上がる。
簡単には立ち上がれない筈だ。
しかし、この男は立ち上がっている。コイツが強い奴で上手く受け流されたか、それとも俺の力が弱かっただけかもしれない。
(これは今後の課題か…とりあえず早く片付けるか)
ゼルは目を細め、腰を低く構える。そして先程と同様男に飛びかかる。
「ふっ!!」
「こんな遅いパンチ避けれねぇとでも思ってんのかよ!」
俺は先程とは違う、顔面を狙った遅めのパンチを繰り出して簡単に避けられるが…
「かはっ!!」
俺の遅い顔面を狙ったフェイントのパンチに気を取られ、下のパンチには気がつかなかった様だ。
男は今度こそ地に膝をつき、苦悶の声をあげる。
人は顔への攻撃をされると、反射的に防御の姿勢を取る。つまり人間が1番怖くて、警戒している所だ。
急所は主に身体の中心を通っている事が多い。顎に喉、みぞおち、金的と言ったものがそうだ。基本警戒される。
しかし、その他にも人間の急所とまではいかないかもしれないが、衝撃が加わるとマズイ場所がある。
「くっ…テメェ」
「もう立ち上がれないだろ」
大体の人間は、肝臓に衝撃を喰らうと悶絶する。内臓にダメージが加えられると、身体の奥からとてつもない鈍痛を感じ、一気に身体能力が低下する。
それは身体を鍛えている人であってもだ。
(まさか本当に使う時が来るとは…ありがとうゴルドフさん)
俺は心の中で、教えて貰ったゴルドフさんに礼を言う。あの人には頭が上がらないな。そんな事を思いながら思い出に浸っていると、
「あの…何故私を助けて?」
「…」
フードを被った女性からの質問には答えず、俺は壁を蹴って屋根の上へと駆け登る。
そして空を見上げて、あの時の事を思い出す。
何故助けたのか…そんなの決まってる…。
『その時はやめとくのです。ただ…カワイイ子、美人な子! あとスタイルがいい子は絶対に助けるのです!! 助けなければ…後悔する事になりますからね…?』
これをやんなきゃ怒られそうだったから、とは言えないだろう。
俺は項垂れながら、王都の夜を駆けた。
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