銓衡(せんこう)

    ♤


 静寂に包まれる神社の本殿の中、張り詰めた空気は融解していった。

 俺はクランの横顔を見ながら、ほっと息をつく。

 ゆっくりと対面に座るヒルドアリアに向き直って声をかける。


「ヒルデ、今回も助けてもらってすまないな。」


「気になさらないでください、ヒツギさん。まだこれからなのですから。でも、どのような解決策を立てましょうかね。」


 彼女は微笑みつつも、首を傾げて俺達に問う。

 隣に座るクランもまた、口元に手を当てて考える仕草をしていた。


「そうですね……わたくしの管轄する南東部都市は、現状でも街の兵士の方々が味方になってくれると思います。しかし、宗教国家都市の中で孤立してしまうと街の防衛は厳しいものになるでしょう。」


 位置的に、確実に敵対したヴァリスネリアの東部地区と隣接し、立場が分からないラクリマリアの南部都市とも隣り合い、なおかつ敵国である王政国家都市とも繋がっている。

 不運が重なれば、あっという間に包囲されて街は火の海と化してしまうだろう。


 俺の過去の記憶――転生直前の燃えた南東部都市を思い出す。

 自身の命を落としたあの時も確かに異教徒達が街へと攻めてきていて、死に至る直接的な原因となった。

 二の舞を踏むことだけは避けたい。

 考えあぐねているそこに、ヒルドアリアは大胆な発言を口にした。


「――やはり、こちらからアルスメリアへと戦いを挑んで、この国の支配体制を変えることが一番でしょうか。」


「わたくし達がアルスを……?宗教国家都市に革命を起こすということですか?」


 クランは小声で反芻はんすうする。

 俺やクランを逃がすだけならば、ヒルドアリアの神鎧アンヘルで国外へ飛ぶことが出来るだろう。

 しかし、それでは追われる身には変わらず、アルスメリアの目論む『魂の解放の儀』は止められない。


 クーデターや国家転覆ではなく、革命――ものはいいようだが、確かに状況を一転させる最も効率の良い方法だ。

 何より、俺はエノテリアの無事を確認したかった。


「そもそもアルスメリアの願いというのは、何を望んでどういった形で叶えられるものなんだ?」


 今になって根本的な疑問が頭に浮かんだ。

 クランの様子を見ても、言葉もないまま首を横に振る。

 ヒルドアリアはというと何か思い当たるものがあるのか、神妙な表情をしていた。


「実はあたし、彼女と二人で話しをしたことがあるのです。」


 そして、ゆっくりとその時のことを語り出した。


    ▱


 それは今から数十年前の話です。

 あたしの管轄する北西部都市とアルスメリアの統治する北部都市は隣り合っていて、度々意見の交換のようなものを行なっていたのです。


 その日は朝から赤い髪をした幼い見た目の少女が住む、北部の聖堂に訪れていました。

 彼女は一番奥の祭壇に置かれた椅子に座り、聖書を片手に開いて目を落としながら語ります。


「――この世界は大いなる天蓋に覆われ、善と悪の対立、駆逐した悪意は輪廻を繰り返し、神に弓引く悪しき者が支配する国家が増えるばかりである。」


 あたしは聖堂の真上、極彩色に彩られた長大な天井画を見上げて答えを返します。


「世界の流転――神の無限の愛は全てに与えられ、分けへだてがありません。唯一、世界に救いをもたらす救世主メシアは未だ現れず。争いによって焦げついた歴史はさらなる戦火を招き、澎湃ほうはいるでしょう。」

 ※物事が勢いよく起こるさま

 アルスメリアはこちらに目を向けて言葉を紡ぎます。


救世主メシア――混沌とした現世を救い、新たな世界の王となるものは、天使である神鎧アンヘルの力を纏い、死を体験した者でなければならない……それを待ち望み、また産み出すのが我々の使命のひとつでもあろう。善の欠如としての悪を身に纏うもの、ヒルドアリアよ。」


 あたしは赤髪の少女もまた、同様に不死であることを感じ取っていました。

 天井に描かれた豪奢な絵画に見惚れながら言葉を返します。


「あたしは悠久に流れる時間とともに、ただ見届けるだけ。な人間なんです。となれる人は、見つけたいですけども。」


「七つの天使――神鎧アンヘルが集う時、救世主メシアは復活し、世界の究極の転換による救いへの道は開かれる……しかし、神鎧アンヘルの力を最大限に引き出して、我ら巫女神官の願いを叶える秘儀『魂の解放の儀』によっても、救済の執行――最後の審判を下すことも可能だろう。」


 そこでようやく、彼女と目を合わせました。


「あなたの望む願いとは何ですか?」


 アルスメリアは一度だけ目を伏せ、聖書のページをめくりながら告げます。


「天蓋世界の再構築――妾と六人の巫女神官による完全なる統治と選ばれた者達のみが住まう楽園……あるいは、ここではない他の星、新天地への移住に他ならない。」

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