炯眼(けいがん)

    ▱


 その日、あたしは早朝から北西部の神社敷地内にある本殿、その裏側にある禊ぎ場で水浴をしていました。


 あたしの神社は街より少し高い位置にあり、北西部を囲む山や渓谷の手前に建てられています。

 切り立った崖からは小さな分岐ばくいくつも落ちていて、禊ぎ場に泉を形成しているのでした。

 ※落ち口から幾重にも分岐して流れる滝

 いつも着ている巫女服は泉の縁に畳んで置き、一糸纏わぬ姿で太もも辺りまでの深さまで進みます。

 早朝の低い気温、かき分ける水の冷たさに躰が震えました。

 毎度のことながら寒いですが、もちろん我慢です。


 目を閉じて心を落ち着けると、あたしの神鎧アンヘルの力がほのかに身を包んで寒さを軽減してくれました。

 透き通った滝の水で全身をくまなく清めていきます。


 十四歳で止まった不死の躰――その肌は清めの水を弾き、体温と神鎧アンヘルの力の熱で水滴を蒸発させました。

 すくった水を手でもて遊んでいると、不意に何かの予感が。

 いえ、これは感知でしょうかね。


 あたしの北西部都市を覆う神鎧アンヘル『ベルグバリスタ』の加護が、微弱な神鎧アンヘルの力を察知したのです。

 その二つの力は、あたしの御主人様とその恋人のクランフェリアさん。

 真っ直ぐに近づいてくる感じは、おそらく中央部都市の保養施設――庭園の社の隠された道から来ているのでしょう。


 あたしは禊ぎ場の滝を見上げて、自然に呟きます。


「御主人様……大事な時が来たのですね。あたし、この身をもって力になりますから!」


 そして、泉の縁へ着替えに戻るのでした。


    ♤


 中央部都市からヒルドアリアの北西部都市までのルートはほぼ一本道だった。


「通常の街道とは交わらない、特別に造られた道……ヒルデは何か意図があってのことなのか。」


 俺の呟きに助手席のクランが言葉を紡いだ。


「北西部都市は他の街への接続がとても難しく、本来なら移動や輸送は蒸気機関車で行なっていますから。もしかしたら、緊急事の脱出ルートだったのかもしれません。」


 彼女の神鎧アンヘル『ベルグバリスタ』は高速飛行の出来る不死鳥型だ。

 街から脱出するなら神鎧アンヘルを使えば良い。

 そもそもヒルドアリア自身が不死であり、どんなに身の危険が迫って命を落としても、即座によみがえる。

 言葉は悪いが、何が起きても逃げる必要はないのだ。


 だが、街の住人達はそうもいかない。

 四方を山で囲まれた北西部は昔から自然災害が多かったと聞いたことがある。

 仮に火山が大きな噴火を起こして街全体が危機に曝されたとしたら、蒸気機関車だけでは住民達が避難することは困難だ。

 脱出の経路として、複数を用意しておくのは理にかなっているように思えた。


    †


 わたくし達はヒルドアリアの聖堂へと到着すると、広大な参道へと足を踏み入れます。

 北西部の街並み同様に、異国の雰囲気を感じながら本殿まで歩いていると。


「お待ちしていました、三位巫女神官様。補佐官殿もようこそ、北西部都市へ。さぁ、こちらへ。四位巫女神官様がお待ちです。」


 ヒルドアリアに仕える生真面目な補佐官が本殿前で出迎えてくれます。

 わたくし達は顔を見合わせて、その後についていきました。


 清閑で厳かな本殿の中央にて、巫女の衣装を着たストールを羽織るお下げの少女と向かい合うように座ります。

 彼女とヒツギ様は正座という座り方でしたが、わたくしはクッションの上に座って脚を崩していました。


「お二人がこの街に来た理由は大方の察しがついています。」


 開口一番に切り出すヒルドアリア。

 少女はあの人を見やりながら話しを続けます。


「すでに巫女神官とその補佐官達には、ヒツギさんが謀反を起こしてクランさんを人質にしたと通達がありました。宗教国家都市の民衆全体に広まってはいませんが、水面下で街の兵士達にあなたを捕らえる動きが出ています。」


 彼は厳しい面持ちで受け止めていました。

 ここまでは状況の予測もかたくはありません。

 そして、問題の話へと繋がります。


「四位巫女神官である、あたしの立場としましては――」


 そこで少しの間を空けて、わたくし達と視線を合わせるお下げの少女。

 思わず、こちらも固唾を飲んで言葉を待ちます。


「……北西部都市はあくまで静観の立場を崩しません。補佐官や街の兵士も必要以上に関わることはないでしょう――ですが、あたしはあなた達に出来る限りの協力は惜しみません。」


「ヒルデ……!」


 ヒツギ様はそっと言葉を発しました。

 ヒルドアリアはあの人を優しく見つめます。

 わたくしは見守りながらも、心中では罪垢ざいくにじんでいくのを抑えていました。


 彼女はそれを感じとっているのでしょう。

 こちらに目を向けて、ある選択肢を提言します。


「クランさん、選んでもらいます。あたしと手を組んで今後の対策を練るのか、お一人でアルスメリア達と立ち向かうのか。」


 わたくしは深呼吸をして、心を落ち着かせました。

 彼の視線を感じつつ、ゆっくり答えを返します。


「――もちろん、そのためにここへ来たのですから。ヒルドアリア、わたくし達に力を貸していただけますか?」

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