たった一つの願い

    ‡


 ――愛する人とともにありたい。


 わたくしの、の願いはそれだけでした。


    †


 わたくしは夢の中を泡のように揺蕩たゆたっていました。


 どこまでも深い海の中のような深淵の世界をゆらゆらと。

 これは、わたくしの深層意識なのだと漠然と理解していました。


 心の奥底に眠る最も大きな罪垢ざいく

 巫女神官達に刻まれた業の数々。

 七つの死に至る罪。

 

 その罪は、重い順番に嫉妬、傲慢、怠惰、憤怒、強欲、色欲、暴食とされます。


 特に、幼い頃からねたみやそねみを心の内にくすぶらせてきました。

 それは、あの人――ヒツギ様と出会ってからは収まるどころか、さらに激しく燃え上がります。


 彼に近づく者たちに対する嫉妬心。

 怒り、哀しみ、焦り。

 様々なくらい感情が無いまぜになって、わたくしの心を黒く染め上げていきました。



 それを表すような暗闇の世界に浮かぶわたくしの周囲を、巨大な魚のようなものが泳いでいます。


 神鎧アンヘル『バルフート』。

 ……またの名を『バハムート』とも呼ばれるものの力の源。

 あらゆる全てを撃ち砕き、斬り裂き、焼き尽くす、嫉妬を糧に大きくなるわたくしの魂の器。



 わたくしは望みました。

『魂の解放の儀』によって叶えられる巫女神官の願い。



 ――愛するあの人を、わたくしだけのものにしたい。



 聖なる教の主に仕えるシスターとしてあるまじき、あまりにも私欲に満ちた身勝手な願い。

 それを叶えるために、あの人の制止を振り切って。

 儀式を止めようとしたエノテリアも妨害して。



 ……ゆるやかに躰が沈んでいく感覚がします。


 このまま目覚めず眠り続けること。

 これはきっと、わたくしへの罰なのでしょう。



 それでもなお、わたくしは願っていました。


 あの人に会いたい。


 会って抱きしめてほしい。


 わたくしだけを見つめてほしい。



 そして、そのまま意識が遠く消え去ろうとした時でした。

 音のない漆黒の奥から……小さな光が見えました。


 ほのかな暖かさすら感じる光は段々と大きく広がり、やがて周囲の闇を綺麗に払っていったのです――


    ♤


 俺は南東部の聖堂に隣接したクランの母屋、自室で眠り続ける彼女のそばに座っていた。


 右手は少女の手を握り、左手には俺の血に濡れたロザリオとクランのロザリオを重ねて握って。



 クランフェリア。

 俺はずっと君と一緒にいたい。

 君がどんな罪や業を背負っていようとも。

 君が俺を受け入れてくれたように、俺も君の全てを受け入れる。

 クランとともに生きていくこと。



 ――それこそが俺のたった一つの願いなのだから。


だから、早く目を覚ましてほしい。



 二つのロザリオから発せられた光が収まると、愛する少女はゆっくりと目蓋まぶたを開いた。


「――あなた様……?」


 クランの宝石のような紅い瞳と目が合う。


 少しの間、彼女を見つめておもむろに抱きしめる。


「えっ。あ、あなた様!?んんっ……!」


 心の底からこみ上げる嬉しさについ、唇も塞いでしまった。

 しばらく抱き合った後に躰を離す。


「……もう。あなた様ったら。わたくしは病み上がりなのですよ?」


 ほんのりと顔を赤らめながら頬を膨らませるクラン。

 すまない、と軽く微笑んでから。


「……おはよう、クラン。」


「――おはようございます、あなた様。」


 もう一度だけ、そっと寄り添うのだった。


    ‡


 これはクランフェリアが深い眠りから目覚める少し前の話です。



 わたくしはそっと目を開けると、折り重なるようにヒツギ様と抱き合っていました。

 南東部の聖堂に隣接した母屋、彼の部屋のベッドの上で。


 わたくし達はともに転生する前の世界での記憶を追体験し、失われた母の記憶も取り戻しました。

 そして、熱くあの人と抱き合い、深く激しく愛し合ったのです。



 わたくしは彼のつけたの残る肌を衣服の下に隠します。

 ヒツギ様はまだぐっすりと眠っておられました。


「……あなた様。目が覚めましたら、きちんとクランフェリアを起こしてあげてくださいね。」


 そっと、彼の唇にキスを落とすと立ち上がり、黒い神鎧アンヘルを顕現します。

 わたくしには、まだやるべきことが残されていました。


「さあ、参りましょう。『ザルク』、わたくし達の戦いの場所へ。この世界の、わたくし達のために!」


 凛とした黒い神鎧アンヘルはわたくしの手を取り、ともに影の中へと姿を沈めていきました――

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