十字花の祈り 後編

    ‡


 ――これは、わたくしが『魂の解放の儀』によって、別のこの世界へと転生した時の話です。



 一人、十六年前の南東部の聖堂に降り立っていたわたくしは、状況を理解できずにいました。


 初めは時間が逆行したのかと思いましたが、元いた世界とはわずかに地理も異なっています。

 考えることは多々ありましたが、まずは当面の生活を何とかしなくてはなりません。

 わたくしは教会へと駆け込んで助けを求め、近くの孤児院で暮らすことになりました。


 ヒツギ様を――愛する人を失ったわたくしには、絶望感と先の見えない不安がのしかかりつつも、一筋の光明が差し込みます。



 ――わたくしは妊娠していたのです。

 それは、あの人との愛の日々ゆえの結晶であり、残酷な現実の中で唯一の福音でした。


 ヒツギ様との再会もる事ながら、まずはお腹の子のためにもしっかりしなくてはなりません。

 わたくしは聖なる教のシスターとして、巫女神官としての使命感を新たにします。



 とはいえ、この頃はまだ神鎧アンヘル秘匿ひとくされ、巫女神官という存在も司祭と同程度の認識でした。


 そこで、わたくしは考えます。

 自ら聖なる教、その礎を作り変えるためにできること。



 わたくしは教会の祭事があるごとに神鎧アンヘルを呼び出すようにしました。

 人々の信仰心を深め、巫女神官の立場を盤石にするために。

 宗教国家都市の各地に飛び回り、布教と慈善活動をしていきます。


 東部地区の教会では当時九歳のヴァリスネリアと出会い、わたくしは懇切に聖なる教の教えを説きました。

 北西部都市では十四歳のままのヒルドアリアにとても驚きましたが、彼女は快く今後の協力を約束してくれて。


 北部都市では神の子として祭り上げられた四歳のアルスメリアがいました。

 宗教国家都市で最も影響力を持つことになる少女。

 わたくしは北部の教会には積極的に関わり、巫女神官に序列を作りました。


アルスメリアを筆頭に、巫女神官見習いのヴァリスネリアに二位を取り付け、わたくしは三位を、ヒルドアリアは四位に。




 行く先々の街で聖女と謳われ、信仰と交流を深めました。


 月日は早いもので、わたくしは一人の女の子を産みました。

 亜麻色の髪に紅い瞳、十字の瞳孔を持つ愛する子。

 わたくしは我が子に自分と同じクランフェリアと名を付け、南東部の孤児院に預けます。

 自らはあの人の好きだった花から名をもらい、エノテリアと名乗るようにして。



 しかし、その頃からわたくしは心臓に激しい痛みを伴うようにもなりました。

 多忙な毎日と神鎧アンヘルを繰り返し顕現し続けることの負担が表れ始めたのでしょう。




 ……まだ、倒れるわけにはいきません。


 愛する子に聖なる教や巫女神官の教えを説き、優しく育てるために。


 いつか、あの人と再会した時に胸を張って顔を合わせられるように。




 ――その六年後、隣国の王政国家都市と大きな紛争が起きました。


 わたくしは南東部の我が子の元へと駆けつけます。

 孤児院の入り口には、六歳になったクランフェリアと十五歳のヴァリスネリアがいました。


「ご無事ですか二人とも。外は危険ですから早く避難を。」


 ヴァリスネリアは自動小銃を手に戦う気でした。

 けれど、彼女には我が子の未来を託さなくてはなりません。


「この場はわたくしが収めます。」


 激しい戦闘が起きている南東部を守護まもるためには神鎧アンヘルを顕現する必要があります。

 心臓の痛みはすでに限界まで達しており、おそらくは今回が最後となるかもしれません。



 ゆっくりと我が子に近づき、そっと抱きしめます。


「クランフェリア。わたくしの愛する子。どうか、幸せになってくださいね。」


「……お母様?」


 初めて呼ばれるその言葉に、わたくしは涙が溢れて止まりませんでした。



 そして、意を決して戦場へと赴きます。

 孤児院前の広場で白い巨像の神鎧アンヘルを顕現させると――


 いつもとは異なり、『バルフート』はわたくしの前方に降り立ちます。

 心臓を痛めてからは久方ぶりの顕現で戸惑いつつ、『バルフート』の右手に人影があることに気づきました。




 ……それは、ずっと探し求めていたあの人の姿で。


 凛々しくも優しい愛する面影に、わたくしは視界が霞みました。


「……嗚呼、あなた様そこにいたのですね。ずっと、気づかなくて本当にごめんなさい――これからはずっとあなた様のそばに。この子を置いていくことをお赦しください。」


 あの人はゆっくりと口を開きます。


「――クラン。ずっと一人にさせて、本当にすまない。俺達の子、優しい君に似た素敵な子だ……心配はいらない。別世界での『魂の解放の儀』によって神鎧アンヘルの力を持ったもう一人の、この世界の俺がその子を守護まもるだろう。」


 わたくしは我が子にいつか運命の方が現れることを伝え、あの人に寄り添って旅立ちました。




 神力を使い果たした『バルフート』とともに、わたくし達は天へと昇ります。


 愛する我が子の幸せを祈りながら。


 同時に、行く末を見守り、助けになりたい想いが具現化するのを感じていました。



 もう一人の……蒼い瞳をした六歳ほどのわたくしが、流れる光とともに北東部都市へと落ちていくのを見届けたのでした――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る