撞着

    ♤


 宗教国家都市南東部の聖堂敷地内、クランの母屋へ帰ってきてから三日が経った。


 クランは部屋のベッドの上で寝ている。

 静かに眠り続ける最愛の少女はしかし、倒れてから未だ一度も目覚めることはなかった。


 近くの椅子に座り、彼女の様子を見ては看病するように体温などを確認する。


「クラン……」


 名前を呼んだところで、もちろん返事はない。

 時間ばかりが無常に経っていき、焦りがつのる。


 クランの体調のことは当然ながら、もしこのまま目覚めなかったら……

 そんな不吉な想像を頭から振り払う。


 敵対した巫女神官達のことも気が気ではない。

 いつ、この南東部の街に兵を連れてやってくるかも分からず、不利な状況下に追い込まれる可能性は大きい。


 座った膝の上に肘を立てて、手のひらを組んで額に当てながら祈る。

 眠っているクランとは裏腹に、俺自身はまったく眠ることが出来ずにいた。


 小休憩や仮眠はしても、本格的な睡眠を取れていないことが焦燥感に駆られる原因なのだろう。

 またはその逆でもあるかもしれない。


 とにかく今はただ、この時間がもどかしくてたまらなかった。



 ――と、不意にクランの部屋の入り口に人の気配を感じた。


 顔を上げて振り返ると、そこには左肩に禍々しい印章のある巫女神官服を着た最愛の少女の姿。


 もう一人のクランフェリア――エノテリアが俺を見ていた。


    ‡


 わたくし達は居間のテーブルに向かい合うように座っていました。


「あなた様、少しお休みになられた方がよろしいかと思います。」


 ヒツギ様は浮かない顔でわたくしと視線を交わします。


「ああ、分かってはいるんだ。けれど、どうしても眠れなくてな……」


 彼の考えていることは察することができました。

 今のクランフェリアの様子に、今後起こり得る事態は解決が容易ではないのは明らかです。


 しかし、だからこそ今休んでおかなければ、いざという時に立ち向かうことが出来なくなってしまいます。

 わたくしは立ち上がり、彼の近くへと歩み寄りました。


「あなた様、食事もまともに取られていないのでしょう?クランフェリアのことは、わたくしが診ていますので、横になっていてください。料理が出来ましたら起こします。」


 そして、ヒツギ様の頭を胸に抱きしめます。

 彼はほんの少し、わたくしの躰を抱き返してから顔を上げました。


「……わかった。世話をかけてすまない、エノテリア。」


 そう言って、あの人は自分の部屋へと戻っていきました。




 わたくしはキッチンでいつもの料理であるパンと豆のスープを作りながら、その合間にへと戻りました。


 ベッドの上で眠るもう一人のわたくしを見つめ、考えます。

 このまま、クランフェリアが目を覚まさなかったら。


 わたくしは彼女の代わりにあの人と結ばれることが出来るのではないのでしょうか……。


 アルスメリアやヴァリスネリアとの関係には亀裂が入っていますが、この国の軍事を支える北東部の管轄権はわたくしの手中にあります。

 たとえ宗教国家都市で内戦が起きても、屈強な北東部の軍と神鎧アンヘル『ザルクシュトラール』の神力があれば恐れるものはありません。


 わたくしの中の罪垢ざいくが憤怒のごとく燃え上がりかけたところで、肩に誰かの手が乗せられました。



 ……それはわたくしの神鎧アンヘル――『ザルクシュトラール』の大きな手でした。


 驚愕のあまりに目を見開いて、黒い神鎧アンヘルを見上げます。

 今まで自分の意思でわたくしに触れてくることがなかったのですから。


『ザルク』はもう片方の手で仮面を外し、今は亡きの顔を晒します。

 その視線は部屋の窓の外へと向けられていました。


 つられて見やると、そこにはもう一人のわたくしが育てている家庭菜園が見えました。

 陽の光を受けて、そよそよと風に揺られる植物たち。


 ――今のクランフェリアもまた同じでした。

 太陽のごとき、神鎧アンヘルの加護によって彼女は老いることなく眠り続けるでしょう。


 わたくしが代わりにあの人と結ばれたところで、それがヒツギ様の心を縛り続けることになるのです。


 だからといって、がクランフェリアを演じることに一体何の意味があるのでしょうか。


 他でもないわたくしがだと言うのに……



 本来、わたくしはこの世界にはいないはずの存在。

 そのわたくしがここにいる意味を……今なら見つけることが出来るような気がしました。


 今は亡き、うつろな瞳と見つめ合います。


 わたくしはキッチンへ戻って調理の火を止めて、ヒツギ様の部屋へと向かいました。




 彼はベッドの上で横になり、わたくしの姿を見ると上体を起こしました。


「ん、エノテリア。食事が出来たのか?」


 すぐには答えず、ゆっくりとした動作で彼のベッドに腰掛け、目を合わせてから語りかけます。


「あなた様。彼女が――クランフェリアがなぜ目を覚まさないのか、その理由が分かりますか?」


 ヒツギ様は息を飲んで、言葉の続きを待っています。

 わたくしは服を脱いで素肌を晒し、同時に彼の服にも手をかけていきます。

 ……身も心も深く繋がるために。


「今からその答えをお教えします。わたくしの中に秘めた――の願いを。」

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