脱出

    ‡


 もう一人のわたくしを腕に抱えたヒツギ様が聖堂の西正面から外へと出ていくのを肩越しに確認します。

 そして、前へ向き直ると黒い神鎧アンヘルがわたくしの近くに降り立ちました。


 パイプオルガン型の砲塔を破壊された白い大蜘蛛は、その巨体を床に崩しています。


「エノテリア……貴様……!なんということを……その姿でこの私に牙をくなどと……!」


 ヴァリスネリアは口の端から血を垂らし、前傾気味にかろうじて立っていられる様子でした。

 信頼する弟子の姿をしたわたくしに深手を負わされたのがショックなのでしょう。


「動かない方がよろしいですよ、ヴァリスネリア。わたくしはと違い、あなたに恩を受けた事はただの一度もありません。邪魔をするのなら、命の保証は出来ないでしょう。」


 聖堂の東奥、サンクチュアリの聖書台前には両腕から血を流したアルスメリアがこちらを睥睨へいげいています。

 ※ にらみつけて威圧すること

 わたくしは赤い髪の少女が聖堂の中では戦う事が出来ないのを知っていました。

 彼女の神鎧アンヘル『ウルスラ』は、わたくし達巫女神官の中で最も強力な神鎧アンヘルです。

 宗教国家都市の中央部大聖堂を除いた、七つの聖堂の中で一番に広大な聖堂の中でも、その神力を振るうには狭すぎました。



 しかし、同時にわたくしも彼女達の命を奪うことが出来ずにいます。

 目的はあくまで『魂の解放の儀』の発動を未然に防ぐこと。

 クーデターや宗教国家都市の転覆を目論もくろんではいないからです。


 わたくしはあの人達がこの街から逃げられるように、少しでも時間を稼ぐために言葉を口にします。


「お二方ふたがた、これは忠告です。必要以上に事を荒立てるのは宗教国家都市のためにはならないでしょう。隣国の王政国家都市も水面下で動きを見せています。くれぐれも、早計に失することのないよう肝に銘じてください。」


 ヒツギ様に持たせた、わたくしのの力を感知して、あの人が蒸気自動車で安全な場所まで移動したのを確認します。

 クランフェリアはアルスメリアに力を奪われて気を失い、神鎧アンヘルの力を察知することが出来ません。


「わたくしは。それをお忘れなきように。」


 そうして、わたくしは黒い神鎧アンヘル『ザルクシュトラール』とともに自分の影の中へと潜りこんだのでした。


    ♤


 俺はひたすらに蒸気自動車を走らせていた。


 助手席には気を失ったままのクランが横たえる。

 まずは南東部の俺達の母屋に帰らなくてはならない。


 彼女の管轄下の南東部なら、急速に事態が悪化することはないだろうとの判断だった。

 街の兵士達とも面識があり、一定の信頼関係を築いているのも理由の一つだ。


 運転をしながら時折、クランを見やってはため息を吐く。

 脳裏には様々な記憶や思考が浮かんでは消えている。


 アルスメリアの聖堂で、もう一人の俺である『ザルクシュトラール』に神力を借りた時。

『死の体験』をする前の自分の記憶が流れ込んだ。



 ――俺は全ての記憶を取り戻していたのだ。


 とはいえ、すぐに一から十まで鮮明に思い出せるわけではない。

 それでも自分が一体何者で、今までどんなことをしてきたのか。


 不意に少し前のパフィーリアの言葉を思い出す。



「だって、おにいちゃんは――パフ達やクランとも出会う前から、貪欲にたくさんの人を殺してきたんだから。」



 その言葉の意味を理解してしまった。


 心の中で浮き沈みを繰り返す、不毛な考えを必死で振り払う。


「ダメだ。今はまだ……クランが目覚めるまでは、考えてはいけない……!」


 クランに話しをしなければ。

 彼女は……最愛の少女は何と言うだろうか……


 恐れとも、祈りともつかない念に囚われながら、闇に沈む空の下を走り続けた――

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