深更

    ♤


「それじゃあ二人とも。真っ直ぐ帰るのよ。それなりに楽しめたわ。また一緒に食事しましょうね。」


 店の前でラクリマリアが俺とヒルデに声をかけて見送る。


「こちらこそ、ご馳走様になってしまってすみません。美味しい食べ物をありがとうございました。失礼いたします!」


 ヒルデは丁寧にお辞儀をして店から離れ、俺の隣に並んだ。

 歩幅を合わせながら蒸気自動車が止めてある場所へ向かっていると、彼女は俯きながらゆっくり口を開く。


「……御主人様、ごめんなさい。食事の時、あまり面白くない話をしてしまって。」


「気にしなくてもいいさ。ラクリマリアと三人でも構わないか聞いたのは俺の方なんだ。むしろ、ヒルデこそ本当は二人で夕食にしたかったんじゃないのか?」


 少女を見やると、互いに視線が合わさった。


「そ、それは……。でも、あたしも三人で食べること自体は嫌ではなかったんです。ただ、彼女とはたまにあのような論駁ろんばく――意見のぶつかり合いが起きてしまうだけで。聖なる教の巫女神官として、相互理解の為には必要なことなのですが。」


 そう言って、ヒルデは目を逸らす。



 俺は一瞬だけ考えを巡らせて。


「――ヒルデ。今度は二人だけで一緒に食べような。」


 それだけ言葉にして、小さな肩を両手で触れた。

 過ぎたことを何度も蒸し返すのは性に合わない。

 俺は少女が好きでいてくれる、前を向いたでいるべきだった。


「――御主人様……!」


 ヒルデは苦笑しながら俺の腰に抱きついた。


 蒸気自動車の前に到着すると、ヒルデは助手席ではなく後部座席へと乗り込んだ。

 彼女いわく、助手席はクランの場所だから――と。


「後部席にはクッション代わりに毛布が敷いてあるから、眠くなったらくるまるといい。」


 運転席に座り、車を始動させながら伝える。

 案の定、一日の疲れが出たのか、発進して三十分ほどで少女は横になっていた。




 肌寒い夜半よわの中で安全に車を走らせていると、不意に隣の助手席に気配を感じて振り向く。


 ――そこにはいつの間にかエノテリアが座っていた。

 真っ直ぐに前を見つめる彼女の綺麗な顔を横目に話しかける。


「……ずっとそばに居てくれたんだな。」


「はい。そう約束しましたから。安心してください、私用の秘密には眼をつむっています。」


 それを聞いて少しだけ安堵をする。

 俺個人のことはともかく、クランとの情事も見られていたかと思うと複雑な思いに駆られるところだった。


「あなた様、手をこちらに。」


 言われるままに左手を差し出すと、そっと彼女のロザリオを手渡される。

 ……血に濡れた、俺のお守り代わりのロザリオだ。


「そのロザリオはあなた様がお持ちください。それと、お教えしたいことがあります。彼女――ラクリマリアには気をつけてください。彼女は神鎧アンヘルの力で人の心や記憶を読み取れます。先ほど食事前に出会った時もを使っていました。」


 薄々と勘づいてはいたが、やはり特別な力を持っていたのか。


「わたくしの神鎧アンヘルの力は、あらゆる能力を遮断するものです。それで、あなた様やヒルドアリアの記憶や思念も一部を隠しておきました……あなた様が神鎧アンヘルである事実も。」


「――ありがとう、だいぶ君に助けられたようだ。感謝するよ、。」


 おもむろにこちらを見ると優しく微笑んだ。


「もう……あなた様。今のわたくしはエノテリアです。その名を口にしていいのは、です。それとも……あなた様はその名を呼んで、わたくしと愛し合っていただけるのですか?」


 俺は言葉に詰まって、返すことが出来なかった。

 それを否定ではないと受け止めたのか、彼女はさらに続ける。


「もちろん、わたくしはかまいません。けれど、はもう一人のわたくしのように優しいものではないと思っていてくださいね、あなた様。」


 そして、蠱惑的な微笑みを浮かべたエノテリアは静かにの中へ溶け込んでいった。



 ――もうすぐ南東部のクランの聖堂が見えてくる。

 大きく息を吐きつつも、結局エノテリアが俺とクランの情事を見ていたということに気づいたのは、それからすぐだった。

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