論駁(ろんばく)
♤
俺達三人の前に豪勢な料理が置かれていく。
ラクリマリアの案内したこの店はおそらく、親密な間柄の男女でも特別な時にしか訪れないことだろう。
ヒルデは目の前に置かれた分厚いステーキに対して、ナイフを構えて難しい表情をしていた。
「あたし……
少女は俺の食べ方を見ながら、真似るように香ばしい牛肉と格闘する。
「ここにはわたし達しかいないのだし、マナーは気にしなくていいわよ。」
「そんなわけにはいきません。食べ物はきちんと敬意を持って食さなければなりません!こんなに丁寧に調理されていれば、なおさらです!」
慣れない手つきで肉を切り分けながら、一つ一つゆっくり咀嚼するヒルデ。
「たかが食べ物ひとつ。元は何であるかなど気にしながら食べる人間なんて、普通はいないものよ。」
淡々と話すラクリマリアは完璧な所作で、それでもどこか無造作に食事を続ける。
「わたしは今まで多くの命をこの手にかけてきた。それは人でも食べ物でも同じこと。そして、わたしは聖なる教のシスターとして、巫女神官として、主から
彼女は一切れの肉にナイフを突き立てて
「
「同様に、今わたし達の目の前にある食べ物は死の模倣であり、糧にして取り込むことで生を実感し、尊厳の価値を見出すための手段でしかないの。」
そうして
「……その価値にどれだけの意味がありますか?」
ヒルデは切り分けている肉に視線を落としながら問いかけた。
対するラクリマリアは、その言葉に食事の手が止まる。
「あなたは信心深く敬虔であり、聖なる教のシスター達を先導する巫女神官として、悠然に金言を発信する姿はとても理想的なことでしょう。けれど、あたしにはあなたが死を恐れるあまりに
俺はふと、ラクリマリアとの決闘を思い出す。
闘いに決着がついた時、彼女の剣を握る左手が震えていたのは、負けたことへの悔しさではなかった。
眼前に突きつけられた死への恐怖に他ならなかったのだ。
「貴女には、わたしの全てが理解できるのだとでも言うのかしら?」
ラクリマリアは鋭い目つきでヒルデを見据える。
「そうではありません。――聖なる教の主は言いました。聖別されたパンは主の肉であり、葡萄酒は主の血である、と。それを食することは信仰と運命を受け入れることだ、と。」
ヒルデは肉を咀嚼して飲み込みながら、ひとつひとつゆるやかに語る。
「それは同時に、死を忘れてはならないという意味も含まれているのです。畏敬を以て、死と向き合うことで生きることの――主の存在の恩寵に
ラクリマリアは、まるで己の心を読まれているかのような複雑な表情をしていた。
「……わたしは
「わたしは
彼女はワインを手にして飲み干した。
「人の邪心を斬り捨てるたびに、わたしの
ヒルデはラクリマリアの言葉に瞳を閉じる。
「あたしはいつだって死とは背中合わせでした。罪や過ちとともに、善の欠如としての悪をこの身に宿して。神の無限の愛を感じる為には死を受け入れるしかなかったのです。」
――彼女達は似たもの同士でありながら、性質は全くの真逆だと言っても過言ではなかった。
悠々自適に過ごし、立ち塞がる障害をその手で切り開き死を与えるラクリマリア。
その気概は以前、南部都市で彼女と剣を交えた時に否応にも味わった。
天衣無縫であり、目前に広がる死を受けとめるように命を落とすヒルドアリア。
その献身は南西部での
そんな二人だからこそ、互いに決して相容れない死生観を以て衝突しているのだろう。
料理を食べ終えて、三人は静かに食器を手元に置いた――
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