柩(ヒツギ)の記憶 前編

    ♤


 それは遠い記憶だった。


 俺はどこか見晴らしの良い丘の上でのどかな街を見下ろしていた。

 空は雲ひとつない快晴の青空で、うっすらと二つの月が浮かんでいる。

 丘の一帯には小さな十字の可憐な花が咲き誇っていた。

 穏やかな景色を眺めていると、見覚えのある聖堂も視界に入る。


 あれは南東部のクランの聖堂だ。

 しかし、実際の立地とは少なからず異なっていた。

 わずかな疑問が脳裏に浮かぶが、すぐに霧散した。


 なぜなら、俺の隣には愛するクランが寄り添っていたからだ。

 彼女は微笑みながら俺を見上げて何やら話しかけてくるが、近くにいても声が聴こえない。


 声が聴きたくて、もっと傍にいてほしいという思いから小柄な少女を抱きしめた。

 彼女は少しだけ目を見開き、頬を染めて俺の腕に収まる。


 その瞳は紅い宝石のような輝きと潤いをたたえていた。

 ゆっくりと少女の目が閉じられると、引き寄せられるように彼女の唇へ自分のそれを重ねる。


 ――目を開けると場面が変わっていた。


 場所は同じくして、南東部の街並みやクランの聖堂が一望出来る丘の上だ。


 しかし、状況は一変していた。

 彼方此方あちらこちらで火の手が上がり、街全体が燃え盛る焔で覆われているのだ。


 空には視界にとても収まりきらない星空が広がっていて、大きな二つの月と巨大な幾何学模様が浮いている。

 俺はクランの聖堂へと蒸気自動車を走らせた。


 ――これは俺自身の意思なのか。


 それとも記憶の追体験なのか。


 それを知るすべはなかったが、そのどちらでもよかった。


 今はただ彼女に会いたい。


 守るべき最愛の少女の身を案じる想いで動いていた。


 記憶(?)の街と俺の知っている街並みとの食い違いで迷いそうになるが、不思議と向かう場所の位置は理解していた。


 やがて、外壁に囲まれたクランの聖堂まで辿り着くと車を降りて入り口へ走る。


 格子扉は固く閉められていた。

 俺は懐から合鍵を取り出して開錠すると突入し、彼女を探す。


 真っ先に聖堂へと向かい正面扉を開けると、奥の祭壇にクランの姿を見つけた。


 安堵しながらも駆け寄って、ひざまずいて手のひらを組んで祈りを捧げている少女に声をかける。


「クランっ!無事なのか、何があったんだ!?」


「……あなた様。」


 震えながら見上げる彼女の顔は涙に濡れていた。


 そっと少女の躰を抱き寄せると、クランは胸を押さえて苦しそうに呻いた。


神鎧アンヘルが……わたくしの神鎧アンヘルが暴走を始めて……街には異教徒達の襲撃も……」


 すべてを言い終わる前に激しい振動が起こり、聖堂全体が揺れ動いた。


「クラン、ここにいては危ない。安全な丘の上に避難しよう!」


 俺はクランの躰を支えるように抱きかかえ、聖堂の外に出る。


 彼女は胸を押さえつつ痛みに耐えているようだった。


 神鎧アンヘルは顕現しているだけでも体力を消耗するのだ。

 暴走状態ならさらに負担がかかるのは容易に想像できた。


 聖堂の外壁から二十メートル近い神鎧アンヘルの姿が見えた。

 クランの神鎧アンヘル『バルフート』だった。


 その姿は俺の知っているものとは異なり、四枚の肩部装甲は大きな翼のように連結され、鎧装も全身に覆われた巨大な竜のように見える。


『バルフート』は手当たり次第に銃撃や爆撃を行なっていて、とても止められそうになかった。


「クラン、もう少しだ。今、車に乗せてやるからな。」


「あなた様……わたくしには構わず、お逃げください。わたくしはここで『バルフート』とともに……」


「君を置いてなんて、出来るわけがない!俺達はずっと一緒にいるんだ、これからもずっと……約束だ!」


「ですが……んむ」


 すがりつく彼女を抱きしめて唇を塞いだ。

 クランは弱々しくも腕を俺の首に回す。


 そっと顔が離れると元気を取り戻したのか、どこか恍惚とした表情をしていた。


「すみません、わたくしとしたことが。弱気になってしまって……わたくし達はこれからもずっと一緒です。さぁ、参りましょう。」

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