第八話 悲憤に濡れし鎮魂歌

北東部都市へ

    ‡


 この時間に価値なんて無い。

 あの人が側にいないから。


 このわたくしに価値なんて無い。

 あの人を守れなかったから。


 この世界に価値なんて無い。

 あの人はもうどこにもいないから。


    ♤


 俺は宗教国家都市北東部の外縁、廃墟になった街の中を一人駆け抜けていた。


 一瞬たりとも立ち止まることが出来ないくらい気を抜けない状況だった。


 入り組んだ路地裏をさらに奥へと走り続ける。

 そこで直感的に何かを感じて、すぐさまにその場を転がるように飛び退く。


 刹那、立っていた場所が崩壊してしまうほどの衝撃が降ってきた。


 臨戦体勢をとって、身の丈以上の大剣を顕現させた。

 目の前に浮かび現れた大剣は俺の意思のみで自由に操る事ができる。

 土埃が舞う中、それはこちらに向かって突撃する。


 間合いを合わせて真一文字に大剣を振り抜く。

 ――が、手応えは無い。

 俺は大剣を振り切ったそのままに前方へ走った。


 頭上の空気を切る音を耳にしつつ、振り返ると立ち替わるように佇む奴の姿を確認した。


 そこにいたのは真っ黒な神鎧アンヘルだった。


 鎧装に包まれた三メートルほどの体躯の人型だが、発せられる覇気は他のどの神鎧アンヘルにも劣らない。


 黒い神鎧アンヘルとどまることなく突進を仕掛けてくる。

 俺は乱れる呼吸を整える間もなく大剣を構えた。


 相手の勢いはまるで止まらず、当然だが受けようとは思わない。

 目前まで接近する漆黒をギリギリまで引きつけてから真横へ飛んだ。


 背後の建物が派手な音を立てて破壊される。

 まるで暴走する列車かなにかのようだ。

 間髪入れずに横薙ぎに蹴りが繰り出された。


 俺は跳び退こうとするが一撃を受けてしまう。

 身体が宙に浮かぶ感覚とともに視界が急速に後退する。

 背中から強い衝撃が走り、地面に転がり落ちた。


 別の建屋の窓を打ち破り倒れ込んだようだ。

 全身に鈍い痛み感じて、喉元まで酸っぱいものがこみ上げてくる。


 大剣を地面に突き刺して杖にして立ち上がると、黒い神鎧アンヘルはゆっくりと威圧するように迫ってきていた――


    †


 宗教国家都市北東部。

 そこは大規模な軍事的拠点が点在する国家の要のひとつとなっています。


 それゆえに敵性国家に狙われる要因でもあり、ここ最近では外縁での紛争や衝突が絶えず起こっていました。


 わたくしとヒツギ様は二位巫女神官ヴァリスネリアの要請を受けて、戦闘支援や補助を行なうために管轄担当である六位巫女神官エノテリアに会いに来ていました。


 北東部都市の居住区や商業区を抜けて、軍事施設本部へ蒸気自動車を走らせます。


「異教徒達との紛争が激化したと聞いたから心配していたが、街はいたって平穏そうな雰囲気だな。」


 運転をしながらヒツギ様が話しかけてきます。


「北東部都市は重要な軍事施設がありますから、その分だけ国家戦力も多く配分されているのです。以前、わたくし達の住む南東部で起きた礼拝襲撃事件の規模なら瞬く間に鎮圧されてしまうほどです。」


「それを踏まえた上で俺達に支援を要請するということは、それなり以上の事態ということか。」


 真剣な表情の彼に、わたくしも同意をして考えを伝えます。


「はい、おそらくは。ヴァリスネリアも現地で合流するとのことですし、大規模な戦闘となるかもしれません。もし、そうなった時はわたくしも神鎧アンヘルで戦列に加わりますので、あなた様はわたくしの護衛をお願いしますね。」


「わかった。必ず君のことを守ってみせるよ。」


 あの人はとても頼もしく笑いかけてくれます。



 わたくしの神鎧アンヘル『バルフート』は十メートルほどの白い巨像の神体です。

 花弁のような四枚の肩部装甲があり、四基の近接防御火器をはじめ全身に強力な武装を備えている人型兵器とも言えるでしょう。


 ――実のところ、自分の身を守るだけなら一人でもなんとかなると思います。


 ですが、いくらヒツギ様に超人的な身体能力があるにしても、大事な彼と離れ離れになって前線で危険に晒すのはどうしても心配で耐えられません。


 聖務、ましては人命に関わる物事に私情を挟むことに後ろめたさを感じつつ、三つ指で円と十字の印を切ります。


 ふと彼を見ると、どこか心配そうな顔でわたくしの様子を窺っているようでした。

 とても聡明な方ですので、わたくしの不安を感じ取ったのかもしれません。


 小首を傾げてから誤魔化すように彼の頬にキスをしました――

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