逢瀬

    ♤


 早朝、まだ日も昇らない時間に俺は目を覚ます。

 普段から身体を鍛えるために運動をする習慣をつけていたからだ。


 隣には一糸纏わぬ姿のクランフェリアがぴったり抱きついて寝息を立てている。

 俺は最愛の少女の頬に口づけをすると起こさないよう気をつけてベッドから身を起こす。


 寝室の中でも身震いするほどの寒さを感じて、彼女の躰の温かさと柔らかさが恋しくなる。

 凍えないよう掛布を肩まで上げてやり、部屋を暖めるために着替えて暖炉に火を入れる。


 ――と、そこで薪がだいぶ減っていることに気がついた。

 今日は運動がてらに薪の補充をしておこう。


 母屋の玄関扉を開けると一層冷たい外気が流れ込んでくる。

 一夜でかなり冷え込んだのだろうか、辺りは深い霧で覆われていた。

 薪の保管してある母屋裏へ回るために歩き出すと、地面には霜が降りていてぱりぱりと音を立てた。


 母屋の外観周りを観察をする。

 隣接された聖堂は歴史を感じる建築だが、対して母屋は街でよく見かける一般的な造りだ。

 聞いた話ではクランが巫女神官に迎えられた時に建てられたものらしい。


 そう考える間もなく薪の保管場所へ辿り着く。

 日当りが良い裏庭はクランの家庭菜園にもなっている。

 毎日気を使って丁寧に育てているのが傍目にもわかった。


 彼女の育てている野菜や植物のように俺は彼女に愛を注いでいるだろうか。

 それ以前に彼女の愛を一身に受けるだけの男でいるのだろうか。

 そんなことをふと考える。


 薪束のそばに置かれた手斧を掴み薪をいくつか抱える。

 薪割り場にそれを置くと軽く肩を回し慣らす。

 手斧を薪に軽く切り込んでから、渦巻く思いを断つように真っ直ぐ振り下ろす。


 小気味良い音が鳴り、薪が分割される。

 割れた薪を割り場に置き直し、手斧を握り直す。

 再び振りかざして神経を筋肉と目の前の薪に集中させ振り下ろす。

 手頃な大きさまで割ったら新しい薪を用意する。


 何度か続けていくうちに心から雑念が払われ、神経がより研ぎ澄まされていく。

 周囲の音や寒さは既に感覚の外にあり無心で薪を割り続ける。


 時間すら忘れ始めた頃、不意に陽に陰りが差したことに気づいた。

 俺は汗を拭って息を潜め、耳を澄ませて見渡す。


 空は快晴で雲が過ぎるにはあまりにも早く、蒸気機関の飛行機にしては静か過ぎる。

 となると考えられるのは……


 何か大きな羽ばたきが聞こえ、やがて軽快な足音が近づいてくる。

 音の聞こえる方向へと振り向く。


 巫女服に短めの朱いスカート、ニーハイにストールを羽織った紫髪のお下げ少女がこちらに向かってきて……


「――御主人様ぁぁああ!!」


 勢いもそのままに全力で飛びついてきた。


「うぉわ!!」



 受け止めるのが精いっぱいな上に変な声が出た。


「お会いしたかったです、御主人様ぁ!――んんまっ……」


「やっぱりヒルドアリ――んん!?」


 言葉を発しようとしたところで口を塞がれる。

 なんとか倒れることはなかったものの、のけ反った体勢でヒルドアリアを受け止めていた。


 彼女は俺の首にがっちりとしがみつき、脚を俺の腰に組み合わせて熱烈なキスを浴びせる。


「ぷぁ、ごしゅじんさまぁ……んん――」


「ちょ、待て待て!」


 ヒルドアリアは重心を俺に預けて、小鳥がついばむようにキスをしてくる。


 まずい。完全に彼女のペースだ。

 一度何かに集中すると周りが見えなくなってしまうらしい。

 予想だにしない展開に混乱しつつ打開策を考える。

 正直クランに見られたら、とても顔向けできるものではない状況だ。


 俺はヒルドアリアの腰と尻をしっかりと掴んで抱え直すと、母屋裏を見渡して周囲を確認する。

 ――ちなみに今日の彼女は下着をつけていなかった。


 薪割り場のそばに休憩するための椅子があるのを思い出して、ヒルドアリアを座らせようと身体を傾ける。


「あわわ、落ちちゃうっ!」


「大丈夫だ、とりあえず落ち着いてくれ。」


 そして彼女を椅子に乗せたところで、誰かが近づいてくるのを察知した。

 片手の指を口元に当てて静かにする仕草をして告げる。


「少しだけここで大人しくしているんだ。いいな?」


 ヒルドアリアが返事をするより早く、俺は彼女が死角になるように移動して気配へと出向く。


「――あっ。」


 母屋裏の角で出会い頭になる。

 クランフェリアだった。


「こちらにいらしたのですね、あなた様。」


「ああ、薪割りをし終えたところだった。どうかしたのか?」


 彼女と目を合わせて何事もなかったかのように平静を装う。

 ありがとうございます、と礼を言われた後に。


「朝食の支度が整ったので探しておりました。」


 にっこりと笑うクラン。

 見惚れてしまいそうな清楚な笑顔だ。


「わかった。片付けをして、すぐに行くから先に戻っていてくれ。」


 躰に触れて優しく促すと素直に頷き、母屋の玄関へと向かう彼女。

 それを見届けてから俺は母屋裏へ戻る。

 ヒルドアリアは言いつけの通り、椅子にちょこんと座ったまま静かに待っていた。


「御主人様。どうしましたか?」


「それは俺のセリフだ。」


 とりあえず水分補給に用意していた水筒を手渡す。

 彼女は蓋を開けて水を飲み、きょろきょろと周りを見渡してから考える素振りを見せる。


「ああ、そうでした!」


 ポンと手を叩く。


「御主人様の書簡を読んで飛んできました。」


 ほわっとした良い笑顔で答える。

 クランとはまた違った可愛さがあった。

 話をすることはまだまだあるがクランを待たせるわけにはいかない。


「ヒルドアリア、とりあえず朝食だ。一緒に来てくれ。それと俺に話を合わせてほしい。」


 やましいことがあるわけではもちろんないが、念を押しておくことにした。

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