無限の愛

    ‡


 きびすを返して駆けていくヒルドアリアを見送った後、わたくしは神鎧アンヘルの力で影を伸ばして自身を包み込み、影の中に潜ります。


 実際には、ある空間同士を繋ぎ合わせているので、影に潜るというのは少し意味が違うのですが。

 この次元を超えた能力のおかげで瞬時に別の場所へ移動できるのです。


 ――北西部の一番大きな駅舎の屋根に移り、街を見下ろします。


 列車の路線はここから各地へ接続されていました。

 中央部に続く線路は渓谷にかかる橋を渡る必要があり、それを破壊することが目的だと思います。


 とはいえ、線路上に橋を破壊できるほどの爆発物を仕掛ければ直ぐに分かります。

 必然的に列車に細工をすることが考えられますが、ここで問題が出てきました。


 あからさまに警備を厳重にしてしまうと警戒される上に、列車に兵士を潜ませるにも秘密裏に行わなければなりません。

 駅舎の関係者にどれだけ異教徒が紛れているのか分からないからです。


 一般の利用客として列車に乗り込む必要があるために人数は限られますし、武器を持ち込むこともできません。

 そうなると瞬時に移動ができて武器がなくても強大な力を発揮する、わたくしの神鎧アンヘルの出番となります。


 わたくしの神鎧アンヘル『ザルクシュトラール』は自在に大きさを変えられ、人を遥かに超えた膂力りょりょくを備えていました。


 異教徒の制圧はわたくしが、兵士達には乗客の安全と敵の把握や行動の監視、有事での身柄拘束が最善でしょう。


 足下の影が伸びて、その中から鎧を纏った人型で漆黒の神鎧アンヘルが顕れます。

 大きさはわたくしの頭一つ高いくらいです。


 静かに佇む黒い神鎧アンヘルを見上げて、想いを馳せます。


 あの人は今、何をしているのでしょうか。

 直ぐにでも会いに行って、きちんと話をしたい。

 そして、わたくしを抱きしめてほしい。


 けれど、まだそうすることは出来ません。

 彼とになれる時まで、六位巫女神官として聖務を果たさなければいけないのです。


 わたくしの為すべきことが、あの人を導くものであると信じて――


    ▱


 新年を迎えるその日の夕刻。

 あたしは神楽殿にて舞を奉納していました。

 すでに多くの参拝客が一年の締めくくりに訪れています。


 こうして人前で舞うようになってから、どれほど経つでしょうか。

 顔こそ面を着けて隠していますが、この躰が老いることも死ぬこともないと知る人は、巫女神官達とあたしの補佐官だけです。

 まぁ、生真面目なさんは半信半疑ではありますけども。


 エノテリアさんの方は異教徒達の対処をしてくれている最中でしょうか。

 無事を祈りつつ神楽を続けます。

 ……それと同時に彼女の言葉を思い出していました。


 神の無限の愛アガペーと恩寵。

 敬虔けいけんであり、苦しんでいる者に差し伸べられる神の恵み。

 善きものにも悪しきものにも分け隔てなく与えられる愛。


 いつだって、あたしは神鎧アンヘル――天使をかたどる子なる神の加護によって、死の苦しみから不死鳥の如く黄泉返る。


 死からの解放、生の変革。

 何度も怠惰な生に堕落しては罪と背きと過ちを繰り返す。


 そもそもなぜ罪や悪、不幸などが存在するのでしょう。

 それは、神が世界を善きものとして作り上げたのなら、相反する悪しきものもなくてはならないからです。

 けれど、もまた、神が作り上げたとしてはなりません。


 結論から言えば、善と悪は初めから混じり合ったものとして存在することになり、悪そのものは実在しないとされます。


 善の欠如としての悪の本質は無であり、存在の恩寵の上で見かけの現象として顕れたものの体現。

 そして、あたしはたとえ躰が塵ひとつ残らなくても、無から転生を果たします。


 自らが悪であり、存在することが善とされるでもある矛盾。


 我ながら本当に人間だと言えるかははなはだ疑問ではあります。

 あたしは人の形をしたとも言うべきでしょうか。


 あの日の朝、エノテリアさんは神学の問いを投げたのか、論駁ろんばくだったのかは分かりません。


 神の寵愛をこの身に感じるために。

 あたし自身を赦されるために。

 今はただ舞を奉納し続ける。


 さながら飼われる籠の中の鳥のように――

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