第六話 孵らぬ幼雛の夢

北西部都市にて

    ▱


 あたしにとって現実は夢と同じだった。


 あたしには生死という概念が存在しなかった。

 夢の中で殺されても決して死ぬことはなく夢を見続けるように。

 現実でも死に至る現象が身に降りかかっても、次の一瞬には何事もなかったように地に降り立つ。


 この身体はいつから存在しているのだろうか。

 それすらも忘れてしまうくらいに何度もしている。

 その度に体は最も活動的な状態へと再構成され、記憶は最も古いものから上書きされていく。


 あたしは思考する。

 こんなあたしは本当に生きていると言えるのだろうか。

 それを実感できる何かをあたしは手に入れることが出来るのだろうか。

 今までずっと自問自答し続けていた。

 そしてこれからも。


 そう思っていた。

 あの人に出会うまでは。


    ▱


 宗教国家、その北西部は他のどの地域とも異なる文化や慣習が根づいています。


 大きな山に囲まれていることもあり、北西部から移動しようとすると大変で、徒歩はもちろん蒸気自動車でもかなりの時間と危険が伴います。

 それ故に、安全な方法としては列車を使うか空から山を越えるしかありません。


 とはいえ、街自体は田舎でも廃れているわけでもなく、他と遜色ない建築などの技術があり交流も盛んです。

 独特な街並みや風景、山から湧き出る温泉が人気で観光に来る人も多いほどです。


 そんなわけで、宗教国家の中でも独自の発展を遂げてきた北西部を管轄するのが四位巫女神官のあたし、ヒルドアリアです。


 街では普段から大小様々なお祭りが開かれているのですが、年末年始は特に大きな賑わいを見せます。

 そうなると必然的に祭事を取り仕切るあたしも忙しくなるわけで。

 この時期はまた、休みもなく聖務に励むことになっていました。


 年末を控えたある日の朝、あたしは一人で自分の神殿に向かうために境内を歩いていました。


 まだ日の出したばかりの薄霧かかった刺さるような冷たい空気の中で、あくびをしながら目を擦って眠気と格闘します。


「ふわぁ……今日も寒いですが良い天気で……眠たいですねぇ。」


 あたしの神殿は御神体のある本殿を除いた、境内やその周辺から拝殿まで一般開放されており、参拝や御守りなど加護の施しもしています。


 さすがに早朝や深夜の時間帯には訪れる人もいませんけど……たぶん。


 そこでふと、拝殿の前で誰かが立っているのが見えました。

 巫女神官のコートを着てフードを被った後ろ姿。

 左肩に禍々しい紋様と十字が描かれています。


「あれは……北東部管轄の六位巫女神官のエノテリアさん。」


 これはまた珍しい参拝客が来ていますね。


 あたしはゆっくりと近づいて彼女に並び立ちます。


「おはようございます。あたしの神殿にご用でしょうか。何かの祈願ですか?それとも厄除けのお祓いですか?」


 まだ聖務の前ですので、軽い調子で話しかけました。


 エノテリアさんは無言のまま本殿を見上げます。

 つられて視線の先を追うと、軒下には小さな鳥の巣がありました。

 中には一羽の雛鳥の姿が見えます。


「あ、いつの間に!可愛いですねぇ。親鳥はどこでしょうか。」


 手をかざして探していると、不意にエノテリアさんが口を開きます。


「あの雛鳥は、もしこのまま取り残されてしまったら……自ら空へと飛び立つことはできるのでしょうか……」


 彼女と会話することは滅多にないので少し驚きますが、あたしなりの答えを返します。


「難しいですね。巣から落ちてしまうか、餌がなくて果ててしまうか――でも心配はいりません!あたしが見つけたからには、いざと言う時はお世話をしてまで見つけられるようにしてあげますから!」


 胸の前で両手を握りしめて意気込みます。


「……神の無限の愛アガペーと恩寵の追体験、ですか。たとえ雛鳥が善の欠如としての悪――いいえ、存在の恩寵の上で見かけの現象として顕れたもの、その具現にも分け隔てなく与えられるものだと……そう言うのですね。」


「え?」


 思いもよらない彼女の言葉に理解が追いつかず、つい訊き返してしまいました。


 エノテリアさんはいつもフードを深く被っていて、巫女神官同士でも全くと言っていいほど関わり合いをしません。


 今までまともに顔を見たことをありませんけど、この場で目にしたその横顔は三位巫女神官のクランフェリアさんと双子のようにそっくりでした。


「あなたは一体……」


 疑問を投げかけようとして彼女は言葉を紡ぎます。


「――異教徒達がこの街の新年行事に乗じて襲撃をしようとしています。すぐに手を打たなければ多くの犠牲者が出ることでしょう。」


 突然、とんでもない話を聞かされました。

 六位巫女神官の彼女は情報調査や諜報活動を聖務の一つとしているので、おそらく間違いないと思われます。


「そ、それは大変です。何か知っているのなら詳しく教えてください!」


 エノテリアさんはこちらを向いて話を続けます。

 可愛らしい整った小顔の綺麗な蒼い瞳と目が合いました。


「少人数でも作戦行動が出来て、北西部に大きな打撃を与えることができ、尚且つ巫女神官のあなたにも邪魔されない手段――おそらくはこの街と他の地域を結ぶ鉄道が狙われているものと思われます。」


 年末年始の行事には多くの観光客も列車に乗って訪れるので、何かあれば大惨事になる上に交通手段が分断されてしまいます。


 かといって、あたしは聖務があるので神殿から離れることができません。


「うぅ、鉄道駅や列車に警備を増やさないといけません!さっそく手配をしておかないと……!他の巫女神官方にも協力をお願いするべきでしょうか?」


 どうやって対処するか考えあぐねていると。


「わたくしも街の兵士を引き連れて列車の警備に加わり、異教徒を排除いたします。公算の高い路線は当たりをつけてありますから。」


 エノテリアさんは淡々としながらも、ありがたい申し出をしてくれました。


「ありがとうございます、恩に着ますよう!」


 彼女の街の兵士は屈強で戦果の高い軍人ばかりなので頼もしさはこの上ありません。

 あたしは感謝の念でいっぱいになります。


 そうして、あたしは急いで補佐官に相談をしに走ったのでした。

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