宿泊施設にて

    †


 陽が沈みかける頃、入浴を済ませて脱衣所を出ると寄宿舎へ続く連絡通路にあの人はいました。


「お待たせいたしました、あなた様。」


「ああ、いや俺も今来たところだ。ちゃんと温まったか?」


 柱に背を持たれていた彼がわたくしを見て手を差し出します。


「はい、おかげ様でゆっくりできました。それでは寄宿舎のわたくしの部屋へ参りましょうか。」


 手を取って案内するために歩き出します。

 温まった手を繋いだまま歩いていると、気恥ずかしさと嬉しさがない混ぜの不思議な気分になりました。

 わたくしの部屋に着くと扉を開けて中へと促します。


「どうぞ、自分の部屋だと思って寛いでくださいね。」


 自分の母屋同様に必要な家具や物だけを揃えた質素な部屋の中。

 それ故に気分が落ち着いて楽に過ごせる場所へ来れたと感じます。


 あの人は部屋を暖めるために暖炉に火を入れ、わたくしは夕食の支度に取りかかります。

 事前に視察、宿泊をすることを伝えていたため必要な食事の材料は部屋に用意されていました。

 わたくしの菜園で取れたものも一緒に置かれています。

 今日は特別なご馳走になりそうです。


「クラン、何か手伝えることはあるか?」


 彼が申し出てくれます。


「それではこちらの野菜を洗って切るのをお願いしてもいいですか?」


「わかった、任せてくれ。」


 せっかくの厚意なので、二人で料理を楽しみたいと思いました。

 わたくしは自分の作業をする前に髪を上げて結びます。

 すると、あの人がわたくしを見ていました。


「いつもはもちろんだが、その髪型のクランも可愛くて好きだ。」


 はっきりと言われ、顔が火照ってしまいます。

 普段からわたくしは料理を作っていますが、彼もナイフの扱い方は手慣れたものでした。


 怪我の心配はしなくて良さそうです。

 誰かと並んで調理をするのは久しぶりで、どこか懐かしさのようなものがこみ上げました。


 二人の持つ包丁の音がリズム良く部屋に響きます。

 仕込みは早くに終わり、鍋に材料を入れると火にかけて煮込みます。


 サラダを盛りつけて固パンを適度に切り分け、後はスープが出来上がるのを待つだけです。

 いつもより量が多いので明日の朝も食べられそうでした。


「ありがとうございます、あなた様。今、お茶を淹れますね。」


 お茶を注いで彼に渡して、向かい合うように椅子に座りました。

 あの人はゆっくりとお茶を飲み、わたくしの顔をじっと見ています。

 わたくしは小首を傾げ、彼を見つめ返します。



 特に会話もなく視線を交えているだけで胸が高鳴ってきました。


 ――彼はわたくしのことを見てくれている。


 どんな時でも話を聞いて尊重してくれる。


 いつだって優しくて大事に扱ってくれる。


 彼への想いは日を追うごとに胸の内で大きく膨らみました。

 今ならどんなことでも言うことを聞いてしまうかもしれません。



 ――と、そこまで考えて。


「そ、そろそろ良い頃合いでしょうか。」


 自分を誤魔化すように意識を料理に逸らします。

 くつくつと煮込み続ける鍋をかき回しながら、おたまでスープの味付けを確かめます。


「――熱っ!」


 動揺していたせいか、うっかり冷まさずに飲んでしまいました。


「大丈夫か、クラン。」


 彼が立ち上がり、わたくしのそばに寄りました。

 舌がひりひりとしていますが火傷はしてなさそうです。

 口元を押さえながら頷くと、彼はわたくしの顔に手を添えて顎を上げキスをされました。


「あっ……んむっ。」


 あの人の舌がわたくしの舌に触れます。

 びっくりして熱さも忘れてしまいました。


「んふぅ……んっ……」


 彼の首に腕を回すと、自然に身体も強く抱きしめられました。

 わたくしは我に返ると飛び退くように離れます。


「ご、ごめんなさい。わたくしったらつい――いえ、そのなんというか……」


 髪をかき上げながら顔が熱くなっているのを実感して、恥ずかしさに身が縮む思いでした――

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