苦い記憶

    ♤


 保養施設内にあるクランの菜園を出ると他の施設に繋がる連絡通路に入った。

 丁字路の傍に階上へ伸びる螺旋階段がある。


「この上は巫女神官筆頭のアルスメリアのみが上れます。通路を真っ直ぐに進むと寄宿舎へ、右手に進むと巫女神官だけが利用できる専用の大浴場があります。」


「巫女神官専用?」


 思わず聞き返した。


「巫女神官はシスターの中でも特別な立場なので浄めの場が分けられています。施設のシスター、職員の浴場は別にあります。たまに懇意の補佐官を連れて入浴する巫女神官もいますが……」


「俺もクランと一緒に入れるってことなのか。」


 ついそんなことを口にしてしまった。

 クランは頬を紅潮させて俺を見上げる。


「わ、わたくしとあなた様が一緒に――ですか?」


「ああ――日頃のクランの疲れを癒してあげられたら、と思ってな。」


 下心が出過ぎないように気をつけて、偽りのない言葉とともに彼女の紅い瞳を見つめる。


「か、考えておきますね。その、できるだけ前向きに……」


 耳まで赤くなったクランは目を泳がせ俯いてしまった。

 俺自身も言っておきながら気まずくなって、空を仰いで顔を逸らした。


 会話が途切れたままで保養施設内をぐるりと一周するように歩いていると、通路の所々に宗教画のようなものが壁に掛けられているのに気づく。

 特に気になったのは抽象的な神鎧アンヘルと思しきものを描いた絵だ。

 立ち止まって見入っているとクランも隣に並び立つ。


 神鎧アンヘルとはクラン達の信仰する聖なる教の三位一体、そのひとつである天使をかたどる子なる神。

 七人いる巫女神官のシスターのみが顕現できる強力な神力を振るう七つの神体。


 先日の神鎧お披露目でクランを含めた巫女神官達がそれぞれの神鎧アンヘルを顕現した時を思い出す。


「クランはいつから神鎧アンヘルを顕現しているんだ?」


 俺は宗教画を見ながら訊いた。


「わたくしが初めて神鎧アンヘルを発現したのは十二歳の時です。」


 彼女は絵を眺めながら、感慨深くもどこか苦い記憶を引き出すような表情で語り始めるのだった。


    †


 わたくしは巫女神官として聖務をこなし始めた頃を昨日のように思い出していました。


 それは十二歳で神学校を卒業して、管轄である宗教国家都市、南東部の街で初めてミサを取り仕切った日の出来事です――


 夜が明ける前から目を覚ましていたわたくしは、カーテンを開けて窓の外を見ると空には厚い雲が多く広がっていました。

 肌寒そうな空気感があり、もしかしたら雨が降るかもしれません。


 ベッドの傍で朝の祈りを済ませたあと、前日に用意していた初めて袖を通す巫女神官の正装に着替え始めます。

 左肩に円と十字を組み合わせた、わたくしのシンボルが施されていて気が引き締まります。


 スカートが少し短く、捲れてしまわないか心配になりますがとても素敵な衣装でした。

 鏡の前でくるくる回りながら、おかしなところはないか何度も確認をしてしまいます。


 着替えが済むと軽い朝食を取って、ミサの段取りを確認しました。

 基本的には生誕祭での礼拝とほぼ同じで、聖歌を交えて聖書の朗読や聖餐せいさんといった典礼を行ないます。


 わたくしは準備を整えるために聖堂へ足を運びました。

 本来ならこのような雑務は巫女神官の補佐をする方が済ませてくれるらしいのですが、わたくしは補佐官を立ててはいませんでした。


 一人でいることに慣れていたのもありますが、自分で支度をすれば少しでも緊張を解せると思ったからです。

 前日までにある程度の支度を済ませていたおかげでほとんどすることはありません。


 簡単に掃除をしながら時間を過ごし、聖堂内へ街のシスターの方々や住民の皆さんを迎えました。


 そしてミサは粛々と始まっていきます。

 それは、わたくしと聖堂に集まった人々がともに聖歌を歌っていた時のことでした。


 武装した異教徒達が装甲を施した蒸気自動車で国境を越えて、南東部の街へ押し寄せたのです。

 いち早く警備兵の方が知らせに来て、聖堂内はざわめきました。


 こんな時、わたくしは何をすればいいのでしょうか。

 恐怖で胸がいっぱいになる中で、どこか決意のようなものも感じています。


 わたくしがこの街の人々を守らなくてはいけません。


 巫女神官としての力を発揮するのは正にこの時のためなのだと。

 声が震えるのを抑えてはっきりと言葉にします。


「皆さん、落ち着いて。この場はわたくしに任せてください。必ずこの街を守ってみせます!」


 聖堂内にいる方々はみな不安そうにしながら祈っていました。


 ここできちんと異教徒達を撃退すれば、わたくしは巫女神官としての使命を果たし、街の人々と打ち解ける切っ掛けとなることでしょう。


 自分を奮い立たせて警備兵の方と国境付近へと向かいました――


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