胸中

    †


 わたくしはいつもと違う感覚に戸惑い、背を丸めます。

 躰が熱く火照って感覚が鋭くなり、心に秘めた黒い感情が膨れ上がって抑えることができません。

 今まではこんなに情欲が強くなることはなかったはず……。


 まるで何か別のものと共振しているようでした。

 今すぐにでも神鎧アンヘルを顕現して衝動のままに力を解放したくなってしまいます。

 わたくしは目を閉じて手のひらを組み、額を当てて祈りを捧げます。


「クランフェリア、大丈夫なのか?もう休んだ方がいいんじゃ……」


 側にいる彼の声がどこか遠くのように聴こえます。

 今のわたくしに渦巻く黒い感情。

 それはとても人には言えないもので、中でも強く表れたのはねたみやそねみでした。



 子供の頃からずっと清貧を貫くように教えられて、それが普通なのだと思っていました。

 けれど、巫女神官となり世俗に触れてからは一変します。


 街に住む様々な人達、市場でのあふれた活気はわたくしには無縁だったもの。

 豊かな食事、人々の笑顔、幸せそうな家族に親密な恋人達の姿。


 隔たれた生活で孤独に育ったわたくしには決して手に入れられなかったもの。



 そしてある時、わたくしはささやかにも、それらの眩しさに触れることができるのではないかと思い、街や人々を守るために『神鎧アンヘルの力』を使って奮闘したことがありました。


 しかし――強大な神鎧アンヘルの力は街の人々に受け入れられることはありませんでした。

 わたくしに与えられたのは、拒絶に近い畏怖だったのです。



 それからというもの、今までに抱えていた孤独感はさらに強まります。


 多くのものは望んでいないはずなのに……

 なぜ、わたくしだけ……


 シスターとして、巫女神官としての責務を果たしつつ、より一層に嫉妬の感情を膨らませずにはいられませんでした。


 もちろんそれは絶対に表に出すことはできません。

 そうすることは、今までのわたくしを否定することになってしまうからです。

 そして、黒い感情に反発するように、清貧を貫き続けることはより強固な信念にもなりました。



 背反とも言える思いを胸の内に抱きながら、わたくしはきっと独りで生きていくのでしょう。


 これまで当たり前だったので、辛くも悲しくもありません。

 これからも、主とともにあり続けるだけのことなのですから。



 ――そう心の中で落ち着かせようとしていたところでした。


 背後からわたくしを抱くようにして、組んだ手のひらに大きな手が重ねられました。


「クラン、俺がそばにいる。だから無理はしないでほしい。」


 わたくしは目を開いて背中に感じる温かさと、心をほぐすような優しい声色と言葉を聴きました。

 そっと振り向くと、ヒツギ様は同様に目を閉じて祈っているようでした。

 それはまさしく敬虔けいけんな信徒さながらに。


 けれど、この人の祈りはおそらく聖なる教の主ではなく、わたくしの神鎧アンヘルにでもなく、わたくし自身に捧げてくれているのでしょう。

 重なった手にこもる力がそう思わせました。



 わたくしは心が急速に惹かれて、鼓動が早くなるのをはっきりと感じました。


 ずっと待っていたのかもしれません。

 子供の頃から独りきりだったわたくしに、こうして寄り添い抱きしめてくれる方を。


 遠い記憶を思い出しながら、二人重なって祈り続けます。

 この方はきっと主がわたくしに遣わせた御使いなのでしょう。


 いつの間にか発作のような黒い感情は薄れて、代わりに顔が上気してしまうほどの淡い想いで満たされていました。


    ♤


 夜になって、クランフェリアはすっかり快復している様子だった。

 しかし、彼女は顔を紅くしたままずっと俯いてしまっている。


「クランフェリア、大丈夫か?」


 何度目かわからない質問をしつつ、彼女の背をさする。


「……あなた様。」


 か細い声で俺を呼んで躰を預けてきた。

 そっと彼女の肩に触れるとゆっくりと俺の手を取った。

 そして、俺の身体に頭を擦りつけて静かに言葉を待っている。


 自分がいったい何者なのかはわからない。


 この少女とどんな因果や関係があるのかも思い出せない。


 しかしこうして甘えてくれる彼女に対して、今の想いを伝えることにした。

 決して、この場限りの感情ではないのは確かなはずだ。


「クラン、俺は君のことが好きだ。これからもずっと一緒にいよう。」


 シスターであり巫女神官である彼女に特定の関係を示すことはできなかった。

 それでもクランは心底嬉しそうに顔を上げてうっとりした表情を見せてくれる。


「はい、わたくしもずっと一緒にいたいです。これからもよろしくお願いいたします……!」



 俺達は見つめ合うと、ゆっくりと唇を重ねた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る