第20話

馬が嫌い。-20


寄り合い場でパンを焼いて出していると、年配のお客様から緑の酸っぱいジャムパンが美味しかったと言われた。恐らくルバーブジャムだろう。そんなハイカラな名前だったのかと驚かれ、また買うと笑ってくれる。こうして直に声を貰えるのは本当に嬉しい。


「ウラ君。娘達が収穫の手伝いに来てくれててさ、今日だけ従業員って事でお疲れ様パン買わせて貰えないかな?」


「勿論大丈夫ですよ。これ、村上さんの人参が入ったコケモモのパイです。あ、表に人参のピザも出しているんですが、お値段一緒にするのでお昼用に買っていかれませんか?」


「ありがとう!買っていくわ。午後に人参取りに来てね。自家野菜オマケしておくから、皆でわけて」


「ありがとうございます!伺います」


村上さんの人参は大人気だ。パンやスープ何を作っても味が濃くて美味しい。

梨瀬シェフが考案した人参ジャムは子供も喜んで食べる。瓶には信陽さんの作った蹄鉄の写真が使われている。お洒落だと贈り物としてもよく買われている。姉弟合作の品だ。


鼻歌を歌いながら、焼いたパンを店頭に並べる。ここがオープンして2ヶ月。効率良く作業を進める方法を皆で話し合い、ピークタイムを過ぎたら僕一人でも十分対応出来るようになった。

その分カフェに人員をさけるようになり、ラテアートを提供できるようになった。馬がモコモコの泡で立体的に描かれており、付加価値をつけただけあってケーキと一緒によく出る。僕も練習中だけど、何度やってもカバになるんだ。才能が無いとは誰も言わない。練習あるのみだ。


寄り合い場の片付けを終えて、明日の準備をする。仕事を終えて、道路の向かいまで歩いて戻る。ログハウス前の柵の中でルフナ達がのんびり草を食べている光景に、ホッと落ち着く。白い吐息は馬達と一緒だ。


「戻りました!」


「お帰りなさい」


厨房に入り声をかけると、誰からともなくこうして返事をしてもらえる。ああ、良いな。

ラテアートを完成させた梨瀬シェフが、これがラストだと伝票を切った。加賀さんは既に早上がりで、姿は見えない。閉店後、みんなで掃除をしてお終い。効率良くなった。


「村上さんが人参を取りにきて欲しいと仰ってました。後は僕が片付けますので、お願いします」


「わかったわ。浦良さん、冬だと原付乗れないから不便でしょ?車の免許を取ってみたら?中古の軽自動車なら手を出し易い金額だし」


「そうですね…。僕も運転できれば、農家さんの所に一人で行けますし」


「まあ、それもあるけどさ。ほら、君も色々遊びに行きたいでしょ?」


少し勿体ぶった言い方に、何だろうと首を傾げたけど、直ぐにわかった。


「確かに!信陽さんと大和さんに色々連れて行って貰って温泉にハマっちゃいましたが、秘湯がある所は原付だと道が険しいですからね」


「……うん、そうね。今一番楽しい事があるなら、良かったわ」


梨瀬さんが神妙な顔で納得したように頷いて、後は任せたと野菜を取りに行った。何だったんだろう?


明日の準備はボードに書いてあって、殆ど終わっている。それなら、ダクト掃除を念入りにしておこうかな。常に手入れしておけば、大掃除の時が楽だから。


スイッチが切れている事を確認して、カバーを外してお湯に浸ける。ダクト本体に薬剤を噴射して磨いていく。毎日働いてくれてお疲れ様と声をかけると、ダクトがピカピカになる気がするんだ。人形もそうだけど、物に愛着を込めると答えてくれると思っている。


「よ〜し。では、後は組み立てるだけだ」


『きゃ〜!!』『何しているんですか!!』


綺麗にして拭き上げた部品を手にしていた時だ。誰かの悲鳴と声が、ダクトが切られた静かな厨房に響く。


僕はギシッと身が強張り、呼吸する事さえできなかった。何だ、何が起こったんだ?どうしよう、怖い。


ザワザワと表の話し声が変わり、雰囲気が一変する。僕はヒュッと息をする。何が起こっているんだろう。今は学生バイトしかいない。今いる社員は僕だけ。男は、僕だけ。僕が出なくては。


「しっかり、しろ。……僕は、守ってもらっているだろ」


『ワンワンワンワン!!』


クッキーが吠えている声が聞こえる。馬に何かあったのかもしれない!


自分を奮い立たせ、キッチンから小走りに表に出る。お客様達は外を見ながら酷いとか言っているので扉を開けてテラスに出ると、配膳スタッフの女の子が男性に怒鳴られていた。側でクッキーが唸り声を上げている。


「客に媚び売らない馬が悪いんだろうが!お前、バイトふぜいで客に説教しやがって!あ?うるせぇよクソ犬!」


「お前らは客じゃない。馬と犬に失礼だろ。出て行け」


顔を真っ赤にして自分より大きな男に必死に一人で立ち向かうスタッフの姿に、僕は胸が打たれた。なんて勇敢な子だろう。僕はなんて情けないんだ。


「S〜。もういいからさぁ。ここ、臭いし帰ろうよぉ」


見れば、あれはSと知らない女性だ。大和さんが言っていた新しい彼女だろう。大人しそうな見た目に、Sの元婚約者を思い出す。


「客にこんな嫌な思いさせやがって。カリソンのスタッフは教育がなってないってネットに書いてやる。お前の名前も顔もな!」


Sが懐から何かを取り出そうとしたので、僕は慌てて駆け出し間に割り入った。


「お帰り下さい。迷惑です」


「愚図か。お前に会いに来たんだ。あのさ、本当にお前って愚図だよな。俺に言いたい事あるのなら直接言いにこれない訳?うじ虫。余計なの寄越しやがって」


カリソンからも弁護士から言われている。絶対に直接やり取りをしてはいけないと。女の子に店に戻るよう言うと、分かったと震えながら走っていった。ここには、大切なお客様もいる。穏便に帰ってもらわないと。カリソンとして駄目になる。


「全て弁護士を通して下さい。お引き取り下さい」


「店は辞めた!あんな店、俺には合ってないからな。お前さ、さっきから何カッコつけてんの?トロい脳みそしかない愚図のくせによ!」


僕はドンと胸を押されて、地面に倒れる。ああ、コック服が汚れてしまった。だけど、何も抵抗してはいけない。何も言ってはいけない。


「お引き取り下さい」


「ねぇ〜S。もういいじゃない。この子も反省してるしさ。行こうよ」


「そうだな。愛想の糞もない馬も犬もお前と一緒だ」


Sが隣に立つ女性から飲みかけの缶ジュースを手に取ると、馬達のいる柵に投げた。声も出なかった。馬達が悲鳴を上げて柵の中を走り回り、ルフナが皆を守るようにして一箇所に纏め、壁になった。ルフナが馬達を守っている。


「あんなに飛び上がってさ、面白いなぁ!石投げたら転けると思うか?」


「え〜。やめなよ〜」


「ガウガウガウ!!!」


僕が声を出す前に、クッキーがSの足に噛み付かんばかりに吠えた。やめろと怒りを込めて。


「うるせぇなっ!!」


これは、僕は、何を見ているんだ?


Sが足を振り上げて、それがクッキーに。クッキーが悲鳴を上げて、飛んで、地面に落ちた。


「犬畜生が噛みつこうとしたんだ。これは正当防衛だ。処分されてしまえ。行くぞ」


「ねえ、晩御飯何食べる?」


何も無かったように去っていくS達。僕はハッとして、やっとクッキーの側に這いずっていく。


「クッキー、クッキー、おい、クッキー。クッキー」


地面に横たわるクッキー。ヒューヒューとクッキーが息をする。僕に出来なかった事を、クッキーがした。クッキーが馬を守った。クッキーが僕を助けてくれた。


「クッキー、クッキー。ごめん、ごめんよぉ」


僕は前が見えなくなり、呼吸が途切れ途切れになる。何で僕は、こんなに役立たずなんだ。


誰かが呼んだ警察と救急車が到着するまで、僕はクッキーの横で泣くしかなかった。カリソンのスタッフとしても、僕は役立たずだった。


ーーー


「で、これは何かしら?」


翌日。仕事を終えた僕は退職届を梨瀬シェフに出した。ここにはいられない。


「ご迷惑をおかけしました」


梨瀬シェフが戻って来て、迷惑をかけたからとお客様達にお代は貰わずに帰って貰った。店に損害を与えた。僕のせいで。お客様に不快な気持ちをさせた。僕が上手く立ち回れなかったから。


馬に大事はなかったけど、あれだけ怖がらせた。クッキーは、わからない。有馬オーナーが動物病院に連れて行ったきりだ。


「……座りなさい」


梨瀬シェフは、怒っていない。僕がここにいるから迷惑をかけているのに。お客様のいなくなった静かな客席に腰掛けて、迎え合わせに座る。


「あのSはね、法律上では犯罪歴の無い一般市民なの。

貴方に対する過去の行いは示談になった。カリソンに対する発言は店同士の問題になり、Sは自主退職したから責任は無い。

今回の件は、クッキーがSに噛みつこうとしたから正当防衛として蹴っただけ。……馬に物を投げた事は、罪にならないわ」


「Sは、善良な市民だと、世間は言うんですね」


「そう。これが法律よ。ただし、二つだけ相手に有効な攻撃手段がある。

一つは、貴方を突き飛ばした事。お客様からも証言がとれるかもね。罰金で済んでしまう話かもしれないけど、記録は残るわ。貴方が訴えればね。もう一つはこれ。」


スッと梨瀬シェフが懐から出した紙。そこに赤いペンで引かれた文字。僕に近づいてはいけないという誓約書。


「弁護士がやってくれるって。浦良君が働く先を知っていてわざわざ来ているからね。半年も経っていないのに接近禁止命令違反だもの」


「もういいです。僕は、ここをやめます。また来るに決まってます」


「それで良いの?後悔はない?」


「良くないです。あります」


「じゃあ、受け取らないわ。私とキームンがケツを持ってあげるから、やりなさい」


下を向いていた僕に、梨瀬シェフの声が響く。顔を上げると僕をしっかりと見つめていた。その強く輝く瞳は僕に言葉を紡がせてくれる。


「キームンさんがいれば、心強いですね。あの人は自分より強そうな人に弱いですから」


「ええ。使える奴は使いなさい。馬達にあんな事をしやがって。馬達への慰謝料だと思って、むしり取ってやれ」


そう言う梨瀬シェフは、豪快に笑った。久しぶりに見た。


僕は泣き虫だ。弱虫だ。だけど、このままやられっぱなしは嫌だ。


「はい」


僕はクッキーのように勇敢じゃないけど、立ち向かわないといけない。立ち向かいたい。

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