第19話

馬が嫌い。-19


タイマーの音で目が覚める。暗い部屋にフゥと吐く息は白くて。スマホを見て、ああ今年もあと1ヶ月かと一人呟く。


ゴソゴソと布団から這い出し、明かりを付けて暖房のスイッチを入れる。おはようと人形に声をかけて、ノソノソと立ち上がる。

気怠い体に気合を入れて、準備を手早く済ませる。


「さて、と…行くか」


今日は乗馬クラブの手伝いをして、それからフルーツのシリアルバーの試作。明日、梨瀬シェフに見てもらうんだ。


「いってきます」


アパートから乗馬クラブへの道を走っていると、途中の交番前で声をかけられる。


「おはようございます。いってらっしゃい」


「おはようございます。行ってきます」


警察官と挨拶を交わす。この時間に歩いている人は僕位しかいないので、顔を覚えられた。最初は嫌だったけど、こうして声をかけられるうちに警察官というよりも、顔見知りになってきた。

これも、琢磨がこのアパートを推してくれたからだ。日々感謝している。


「おはようございます」


乗馬クラブについて、スタッフさん達に挨拶。身支度をして洗い場に向かう。


「ウララちゃん、おはよう」


「…………おはよう」


琢磨がボロ運びをしている。僕のぶっきらぼうな返しに、まだ根にもっているのかと笑われた。


先日ケーキと戯れていたら、目の前に琢磨が立っていた。1ヶ月ぶりに琢磨が帰ってきたと喜んだらキョトンとされたんだ。


琢磨は自分探しの旅に行った。そして帰って来たんだ。たった5日で!!!


確かに琢磨は自分が見つかるまでとしか言ってなかったけど、でも早すぎるだろ。もともとその予定だったとか。それで自分が見つかったのか聞けば、俺は元々俺だったとか当たり前の発言をされる。何がしたかったのだろう。


「ウララちゃん、そうむくれるなって」


帰ってきてから、僕が忙しく仕事をしているのは見ていたそうで、邪魔をしたら悪いと思いあえて連絡をしなかったそうだ。そんなに僕を見かけていたのなら、一言声をかけてくれていたらここまで大事にならなかったのに。


「これからは、一言言えよ。絶対な」


もっと最悪なのは、僕以外は全員帰ってきているのを知っていた。本当、大袈裟に別れを告げた僕が馬鹿だった!!


「おう。今度、一緒に温泉行こうぜ。おススメの場所があるんだ」


「……ああ」


僕は怒ってはいない。どちらかと言えば恥ずかしい。事実を知った夜は、人形片手に布団に入って悶えた。盛大にお見送りして、お迎えした自分が恥ずかしいっ!!


そのおかげかどうかわからないけど。乗馬クラブや店のスタッフさん達に話は伝わり、僕は友達思いの優しい奴と認識されて、会員さん達からも気さくに声をかけられるようになった。


良かったけど……恥ずかしいっ!!


「ほら、ウララちゃん。お馬ちゃん達が可愛いく蒸し上がってるぜ」


琢磨に指さされた方を向けば、早朝練習を終えた人達が戻ってきた。人も馬も熱気で湯気が上がり、なる程蒸し上がっている。馬饅頭だ。


「今日から洗い場でお湯を使うからな。本格的に冬場到来って感じるよ」


洗い場に戻ってきた馬が鞍を外してゼッケンと呼ばれる布のカバーを取った時だ。もっとムアっと湯気が立ち上がった。馬ってこんなに汗をかくんだな。早く拭いてあげないと、この時期は寒そう。


馬が裏掘りをされ、全体をブラッシング。シャワーでお湯を全体にかけて専用の道具で水を切ってタオルで吹き上げ。蹄に油を塗って仕上がりだ。

お湯を使う場合は、いつも以上に手早く済ませないといけない。蹄がふやけてしまうからだ。


「お湯を使うと手荒れが酷くなるのと一緒でさ。冬場は蹄の手入れに一番気を使うんだ。乾燥させないよう常にケアしてあげないとな」


「へぇ。馬も人と同じなんだな」


「そうさ。だから余計に愛しい。んじゃ、後でな」


琢磨が元気に去って行った。僕を宥めるのはこれで終わりというように。許してないからな。暫くは文句言ってやらないと、また被害にあうかもしれない。


用具入れから洗い場用の掃除道具を取り出し、準備をする。手入れの終わった馬が出た場所から掃除を始める。ボロなどの土汚れがあればチリトリにうつし、ホースで水を流す。そのあと水切りで床の水を切る。次どうぞと馬と待っている声をかけて、他の洗い場も綺麗にしていく。

早く朝ごはんを食べたいのか、早く早くと急かす馬がなんとも面白い。宥めながら手入れをする会員さんは大変だろうけど。


「お疲れ様。浦良君、ちょっと良いかな?」


今日のお手伝いを終えて、ケーキで癒されてから帰ろうとしたら有馬オーナーに声をかけられる。ニルギリの馬房まで案内された。


「今朝はニルギリ凄く頑張ってくれたからね。リゼさん特製のおやつをあげるんだ。手を出して」


僕が右手を差し出すと、有馬オーナーはコロンとした5センチ程のクッキーみたいなものを置いてきた。


「これはクッキーですか?」


「そう。馬は歯応えのある物が好きだから、固めでカロリーが高すぎない甘いクッキーをリゼシェフが考えてくれんだよ。ニルギリ、リゼクッキーだよ」


有馬オーナーが手のひらに乗せたクッキーを、馬房から首を出して待っていたニルギリの口元に差し出す。ニルギリは舐め取りボリボリと音を立てて噛んだ。こんなに大きな口で、この大きさのクッキーを味わうように食べる様子がなんだか可愛くて。僕は自分の顔が緩んでいるのを感じる。


「浦良君も。手のひらにリゼクッキーを乗せて、ニルギリの口元に差し出してみて。怖いなら、そこの飼い葉桶に入れて良いよ」


「リゼクッキーって名前なんですね」


「僕がつけた。本人は嫌がってるけどね。この乗馬クラブ限定商品だよ」


美味しかったようで、前脚で地面を掻いてもっと寄越せと急かすニルギリ。バルンバルンと揺らす口から覗く並列の歯が怖い。けれど、そんな様子もこのお菓子が気に入ったからだと思えば愛嬌なんだろう。


「こうで良いですかね……うわっ、柔らかい」


僕は自然に手のひらに乗せたクッキーをニルギリの口元にスッと差し出すと、彼は唇で上手に摘んでヒョイと口に入れる。こうやって馬は食べているんだな。器用だ。触れた唇はプニプニと柔らかくて温かい。食べ始めてから畳の匂いが増した。


「美味しいか?ニルギリ。そうかそうか。浦良君、もう一個あげてみるかい?」


「はい」


僕は素直に手を差し出すと、有馬オーナーが笑った。おかしな行動をしたかな?


「何かありましたか?」


「いいや。嬉しいんだ。はい、これもあげて」


「…?ありがとうございます。はい、ニルギリどうぞ」


有馬オーナーが楽しそうに見守る中、僕はニルギリにオヤツをあげる。こんなに馬が喜ぶ味ってどんな物が入っているのかな?フルーツシリアルバーが完成したら、梨瀬シェフにレシピを聞いてみよう。


ーーー


翌日、店が終わってからスタッフ全員に僕の作ったフルーツシリアルバーの最終チェックをしてもらっている。


いくら自分が美味しく作れたと思った物でも、それが他の人に評価されるとは限らない。  

パクリと梨瀬シェフの口に入った僕のフルーツバー。ドキドキと心臓が早く鼓動するのを感じる。今回こそは、きっと。


「…うん、良くなったわ。プティフールとして出しましょう。皆も、良いですよね?」


はいと全員から承諾されて、僕は気が抜けた。


「や、や、やったぁ…はぁ〜」


緊張の糸が解けて、厨房の作業台にもたれかかる。6回目にして合格を貰えた。ああ、嬉しいなぁ。


「頑張ったわね。豆乳クリームのコクがより味に深みを出しているわ」


「ありがとうございます」


梨瀬シェフに沢山手助けしてもらった。最終的に、ナッツにドライフルーツと炒った大豆粉、キャラメル豆乳クリームで絡めた。僕が好きなカラメル作りを生かせたのは、かなり嬉しい。僕が作ったフルーツバー。これをカリソンとして出してもらえるんだ!


「かかった材料費は、給料日に纏めて払うから。少し待っていてね」


「はい。ありがとうございます」


試作費用を払ってもらうのが信じられなかったけど、店の為に考えてくれているのだから当たり前らしい。店で勤務中に試作をするよう言われたけど、家で一人でゆっくり考えたいからと言うと光熱費込みで多めに請求するよう言われたので、更に驚いた。けど、当然の権利だからと言われたので素直に受け取る事にした。受け取らないと失礼だから。


「やったな、ウラ君。お疲れ様」


「ありがとうございます」


「次は何を作る予定?」


「えっ?もう次を考えるんですか?」


「そうよ。次々と何でも作っていかなきゃ。忙しなくて楽しいでしょ?」


「最低、毎月一個は考えないとな」


狭山さんと加賀さんから言われ、僕は気合を入れ直す。常に新作を考える意識。これがプロなんだ。


「でも…今日はもう考えないで寝たいです」


「あらら。まあ、そうだろうね。気張り過ぎないようにね」


「はい」


次の休みに、お菓子を作って信陽さんに報告に行こう。ゴボにも会いたいな。アフロさんに話してみよう。


ああ。努力を認めて評価して貰えるって、幸せだ。

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